
t母には、兄がふたり、姉が三人いた。

母以外はみんな大正の生まれだった。母が亡くなって兄弟全員あの世の人となった。
私たちが小さい頃、伯父はふたりとも近県に住んでいたので、揃って家に来ることもあった。
母の兄たちは父とは違う雰囲気があった。けっして良い意味では無く。
次兄はずっと独身で、その時はタクシーの運転手をしていた。
長兄は家庭を持ってはいたが、どこかの職員の仕事を早くに辞めたらしい。その後ことは知らない。ずいぶん後に母から亡くなったことだけを聞いた。従兄弟がいるということだが会ったことはない。
母の兄弟は女たちの方がしっかりとしていた。
私たちが小さい頃、次兄の方の伯父は何度かクリスマスにケーキを持ってきてくれた。
切っていない丸いままの大きなケーキを、私たち姉妹ひとりにひとつずつだった。
これは、初めは大変嬉しかった。
人生の最後にその伯父は、独りで埼玉県の幸手市に住んでいた。
父が亡くなってしばらく経った頃、伯父がお世話になっていた民生委員さんから電話があった。
伯父が入院したという。
入院の手続きやらお金の管理やらで、身内が必要と言うことだったので私が行くことになった。
伯父に会いに行くのは億劫では無かった。小さい頃のケーキの威力は大きかった。
初めて会った民生委員さんは私に
「決して一緒に住んでもらおうとは思っていません。それは無理ですので」と言ってくれた。
その言葉にまず安心した。有能な民生委員さんだった。
それから毎月一度は伯父のところに行き、病院や施設に支払いをし、一緒に話し、時には外でお茶を飲んだりした。
伯父は小さな古い財布の中から大事そうに写真を出して私に見せてくれた。行くたびに。
母方の祖母の姿を見たのは、それが初めてだった。
およそ3年後に伯父は亡くなったのだが、伯父が財布の中に入れて文字通り肌身離さず持っていた写真は一緒に棺に入れた。
簡単な葬式には、思いのほか元気になった母も参加出来た。納骨は近くの寺で永代供養を頼んだ。
その民生委員さんは本当に最後まで面倒を見てくださった。有り難かった。
もうすぐ伯父の命日が来る。

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