今日が30代最後の日。
明日、9月11日は、私の40歳の誕生日です。
長かったような、あっという間だったような、
かけがえのない40年だった。
思いやりの深い両親に育ててもらって、
たくさんの人に出会えて、共に育った。
節目の時。
平均年齢から考えると、人生半分を生きたことになる。
不惑かぁ。
今の心境としては、迷わないで変わらないで
どっしり構えていられることを理想としてきたけれど、
これからも迷い惑い続けるんだろうな、
ということに対して惑わなくなったかな〜っていう感じです。
思い返すと
10歳、20歳、30歳は私にとっての節目の年で、
人生を大きく変えた特別な歳でした。
。。。
10歳。アメリカに旅行に行かせてもらった。
まだ、東京にすら行ったことがなかったのに、
たまたまご縁があって、この年齢で世界を見ておくのは子供たちにとって財産になるからと、両親がきっと少し無理をして行かせてくれた。
初めて見るニューヨークの高層ビルに、世界はなんて大きいんだとひっくり返りそうになりながら見上げた。これまで見ていた星ですら、ひっくり返りそうなんて経験はなくて、私にとっての世界の大きさはあの時見上げたビルの高さと首の痛さだった。そのビルから見下ろす景色は、人なんて見えなくて、黄色のタクシーがアリのように動いてて。水平線がモヤっとしてて、このずっと先に日本も繋がっていることは知識として知っているものの、どう考えても遠く遠くの別の世界だった。
小さな頃、父に国際という言葉の意味を尋ねた時、一つの国だけではない、世界のってことだよと教えてもらった。明日香には、国際的な人、世界で活躍する人になってもらいたいな、と。
その記憶もあり、この頃から、私の夢は、国際的な人になりたいになった。卒業文集に書いた将来の夢は、『国際的なレポーター』。レポーターは、なぜかふと、夢を書きなさいという欄を見て出てきたので、理由はないのだけれど。書いている最中、なぜか先生が、私の夢だけわざわざ、どれどれと確認しに来て、ニッと笑っていったのを覚えている。あんまりにも大きな夢で恥ずかしくて消そうかと思ったけれど、ほかに夢も思いつかなくて消すのを思いとどまった。
あちこちで、小学校の卒業文集の将来の夢の欄にアナウンサーと書いたと話したけれど、厳密には、アナウンサーではなく『国際的なレポーター』。(いつも取材などで、小学生の時のその文集を見せてもらえますか?と聞かれるのですが、もう手元になくて。すみません)
今振り返っても、なんじゃそれって夢だけれど、そこから私の夢はアナウンサー一筋になっていった。
20歳。岐阜県の学生の寮の食堂で、みんなで持ち寄ったアイスにプリン、クッキーにカステラにチョコにコーンフレーク、ポテトチップスなど、甘いものならなんでも寮の大きなボウルに入れてぐちゃぐちゃに混ぜた巨大なパフェ?のようなもので寮の仲間たちがみんなで誕生日のお祝いをしてくれた。
見た目は、大人になる節目の20歳をお祝いするにはあんまりにもひどいと言わざるをえない有様のパフェだったけれど、すごく美味しくて、みんなでつついてアイスが溶ける心配をすることなく、あっという間になくなってた。これ、美味しいってみんなで笑いながら食べた。
時々入っている魚肉ソーセージなどに、入れたの誰〜?などと文句を言いながら。
すごく安価で、見た目も悪いパフェだけど、仲間の思いと共に、みんなで笑って食べる幸せは、何よりかけがえのないものだと知った。みんなと一緒に喜べることの幸せを知った。
23時前くらいに、誰かが食堂のテレビを見て、
「これ、今のアメリカだって。ニューヨークのビルだって。」
と、大声でみんなを呼んでた。
そこからは、みんなで黙ってテレビを見てた。
もう私の誕生日パーティーではなかった。
映画みたいだねって言いながら。
私が10歳の時に、これが世界なんだと思ったあの場所が、20歳の誕生日に崩れてた。
あんなにあんなに大きくて、見上げることすらやっとだった私にとっての世界の象徴が、あっという間に崩れていった。
あの日から、私の誕生日は恐ろしい日として、9.11として語られるようになった。
私にとって特別な、大好きな誕生日が、他の多くの人にとっての悲しい日となったことが寂しかった。数字に罪はないのに。
30歳。東日本大震災からちょうど半年。
私は何にも出来てなくて苦しんでた。
みんなが助け合っている中で、私は人の役に立つことが何も出来てないって。
誰の役にも立っていなくて、アナウンサーをやめて意気揚々と職人になってはみたものの、まだ作品も数点しか売れなくて、趣味の延長線上でしかなくて。なんて情けないんだ。このままじゃいけない。変わらなきゃ、変わらなきゃと焦っていた時期。
だからこの時決めたの。もっと私自身が前に出て活動するって。
その決意をして動いたのが、こちら。
・若手職人グループ『常若』を結成
・リカルデント『わたしが目醒めるプロジェクト』で、たくさんの人に応援、投票をお願いし、全国一位に。
・ゆかたキレイコンテスト出場。全国グランプリに。
それまで、思っているだけで何にも動けていなかった私にとって、大きな大切な一歩。
覚悟を決めて動いた。
誰かに頼るのではない。自分でやらなきゃ変わらない。
自分が動いたら、たくさんの人が背中を押してくれた。応援してくれた。
私には何もないと思ったいたのに、SNSを中心にこんなにたくさんの人が助けてくれた。
何にもなくなかった。何でも自分で動くかどうかなんだ。
私も誰かの役に立つ人になりたいと強く思った。
そして明日、40歳になる。
国際的な人になりたかったのに、今は世界がとても遠くなるし、人には会えないし。
相変わらず、お世話になって、迷惑をかけてばかりだし、恩返しなんて全然出来てないし。
でも、私が守ろうとしているものは、日本を世界を少し楽しく楽にするものだと信じてる。
それを共に目指し喜べる仲間もいる。
私たちが守るのは日本の誇りで、その価値観こそこれから楽に生きるヒントがたくさん込められている。
“年齢を重ねて美しさを増す”
私が根付に出会って教えてもらった価値観。
たくさん触れて、少しまあるくなって、
美しい色になっていく。
年齢を重ねることを、喜びにしたい。
たくさん関わることで丸く美しい艶のある人になっていきたい。過去のさまざまな傷も、まあるくなって、キズを重ねてキヅナになって、その人ならではの美しさになる。
さあ、いよいよ40代。
楽しみです。
何があるのか、何を起こすのか。
たくさんの人と関わって、美しく成長していきたいです。
これまで関わってくださった全ての人に感謝して。
2021年9月10日 梶浦明日香
さあ、40歳だ!!
これからもよろしくね。