★強いこだわりがあるものだが 鏡文字 レオナルド・ダ・ヴィンチ
人には誰しもこだわりがあるものですが、そのこだわりが余り極端になると「奇人」「変人」の域に達します。
左利きの人にとっては「鏡文字」の方が普通の字を書くよりも簡単だということを聞いたことがあります、真偽のほどは定かでありません。
しかし、幼児のころならまだしも、生涯にわたって「鏡文字」を書き続けたとしたらどうでしょう、やはり「奇人」「変人」の域に達してしまうのでしょう?
画像は『サンタ マリア デッレ グラツィエ教会』を出て街に繰り出しています、きっとここも『レオナルド ダ ヴィンチ』が眉間にしわを寄せて歩いた道だと思います。
『レオナルド ダ ヴィンチ』は生涯「鏡文字」を書き続けました、彼はメモ魔というか、実に細かいところまで様々な分野にわたって、メモをしています、そのほとんどが「鏡文字」なのです。
これについてもいろいろな解釈があります、婚外子でしっかりとした教育を受けることができなかったので、ある程度の時期になるまで「鏡文字」を書き続けて誰も修正する人がいなかった。(教育説)
その後も工房に弟子入りして、字を書く必要のない環境にいた。(環境説)
生まれて間もなく母親と生別したために、その精神的な屈折が彼にして一生「鏡文字」を書かせた。(母子説)
他人に読まれないように、「鏡文字」を使った。(暗号説)
頭は天才といわれるように良く、人体解剖図を見ると思わずため息が出てしまうような器用さと、記憶力を兼ね備えていた彼が、成人期を過ぎても自らの字が「鏡文字」であることを気が付かなかったわけがありません、そしてその認識があれば修正することはそれほど難しいことではなかったはずです。
そう考えていくと、彼が「鏡文字」を一生書き続けたということには彼の強い意志が感じられます、「絶対に変えるものか」という拳のような意思を感じます。
文字は毎日書くものですから、毎日毎回その精神が確認できます。
画像は『スフォルツェスコ城』今後ここで『レオナルド ダ ヴィンチ』が大イベントを繰り広げます、ご記憶を。
それでは、彼がフィレンッエからミラノに行く際に、ミラノ公にしたためた「自薦十か条」は「鏡文字」で書かれたかというとそれはノーです、字はフォーマルなものであり、文体はフィレンッエ風のものであったと記録されています。誰かに代筆してもらったのでしょう。
「鏡文字」が反骨のあらわれであったのか、屈折の表現であったか私にはわかりませんが、でもそこには彼の強固な意志が関与していたことは確かだと思います。
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