2021年11月訪問
墓地を散歩する意味 モンパルナス墓地
今回の散歩も、モンパルナスから散歩を始めました。
モンパルナス駅を振り出しに、モンパルナス墓地に向かって歩きます。
すぐに、石造りの壁が見えてきます。
11月最後の紅葉、黄色く染まった葉っぱが私を迎えてくれます。
墓の上に杖を支えにうずくまっている人がいます。
ここまで歩いてきたけれどついに力尽きて膝をついてしまったのでしょう。
このお墓はバルサタール・ロボ(1910-1993)の墓です。
彼はスペインの彫刻家ですが、1939年にパリに亡命しています。
同国人のピカソが友達だったようです。
フランスのお墓は日本の四角いお墓と違いいろいろな形をしています。
そしてロボのように彫刻が置かれている芸術性豊かなお墓がたくさんあります。
墓地を散歩していると普段は考えないようなことを考えます。
普段私たちはあまり「死」について考えることはありません。
いつかはたどる道だとしても、あまり意識することはありませんね。
しかし、墓地を歩いていると、たくさんの墓石が並んでいます。
一つ一つのお墓を見ているうちに、自分もいつかは死んでいくという感覚が
明確になってきます、それがいつかは分かりませんが、必ずやってくることです。
どんなに有名な人でも、どんなに才能がある人でもひとしく歩む道です。
でもそれがいつかを考えることではなく、杖を支えに力尽きるまでに。
「何ができるものであろうか?」
そして自分が生きていられるのは、杖になって支えてくれる人がたくさんいる、
などということを考える機会を与えられるわけです。
私は宗教者ではありませんが、そのような時に思わず手を合わせたくなるのです。
それが理解不能の事象が起こった時や自分の生活を豊かにしてくれる事象
に直面したときに、古代人の心に自然と湧き上がってきた祈りではないでしょうか。
私もその何にも縛られることがない祈りを大切にしたいと思います。