フリードリッヒ三世は勢力の強いブルゴーニュ公国のシャルル突進公の公女と息子マクシミリアンの結婚を進める。
ブルゴーニュ公国の版図はオーストリアとフランス挟まれ、ネーデルランドを含む地域になっている。
この結婚話には、勢力的には数段上のシャルルだが、皇帝からの申し込みということで心を動かした。
シャルルはフリードリッヒ三世に自分をローマ王宮に推挙してくれるなら、との条件を出した、しかしマクシミリ
アンはローマ王を決定するのは自分ではなく選帝侯で、自分が要求を受け入れるわけにはいかないと原則をつらぬ
いた。
その後腹を立てたシャルルは数回ドイツへの進行を試み敗退、その後スイスとの3回目の戦いで、戦死した。
それではシャルルの娘のマリアはどうなったかというとフランスのルイ11世から皇太子との結婚を迫られるが拒否ハプスブルグ家に助けを求め、マクシミリアンと結婚する。
怒りに駆られたルイ11世は様々な陰謀を巡らせる、これに対してマクシミリアンは敢然と戦いを挑んで、ギネガ
テの戦いでルイ11世軍を打ち負かした。
名実ともにこの時点で、マクシミリアンがブルゴーニュを統治することになるが、この頃のブルゴーニュは、す
べての面で、ハプスブルグ家より勝っていた、ブルゴーニュ人からは、ハプスブルグの人たちは野蛮な人たちと
映ったようだ。
しかし、マクシミリアンとマリアは幸せに生活を始めていた。
良いことは長く続かないということのようにこの中の良い夫婦は結婚して4年後にマリアが帰らざる人となってしまう。
ブルゴーニュの市民たちはマクシミリアンのことはマリアのだんなと思っている。ハプスブルグ家はでていけと
いう市民もいる。
マリアの死とともに蜘蛛王ルイ11世はこの不幸に付け込んで、ネーデルラントの不満分子焚きつけて内乱状態に
してしまう。
しかしマクシミリアンは巻き返しを図り反対派の拠点のガンやブリュージュを制圧する。
これで、彼のブルゴーニュ時代はひと段落で、舞台はドイツへと移動する。
マクシミリアンがガンやブリュージュを制圧していたころ、ウイーンにハンガリー軍が攻め込んでいた。
ウイーンは地図で見るとわかるようにハンガリーと接し居ているハンガリーの背後にはトルコがいる。
ウイーンがヨーロッパの重要な軍事拠点であったことがわかる。
#オーストリア #ウイーン #ハプスブルグ家 #マクシミリアン
最新の画像もっと見る
最近の「旅の形」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- 旅の注意事項(29)
- 奈良の旅(3)
- 日本旅(103)
- 食の旅(5)
- 東京の旅(16)
- 埼玉の旅(1)
- 日本の旅館 ホテル(5)
- イタリア(2)
- 欧州と日本の美術館(57)
- 神奈川の旅(3)
- 旅先のお店 日本(0)
- 欧州のディスプレー ウインドー(1)
- 日記(29)
- Npo法人アジア音楽教育者プロジェクト(0)
- 寺社仏閣(4)
- 日本のスイーツ(1)
- イタリア バチカン市国(31)
- フランス サンドニ(1)
- 自由旅の勧め(0)
- 60歳からの自由旅(10)
- 時事問題(1)
- 遺言状(4)
- 画家(1)
- 大学(2)
- 大学(1)
- オーストリア(2)
- フランス ジベルニー(3)
- フランス ジベルニー(3)
- フランス アルザス ストラスブール(11)
- 音楽(1)
- イタリア ミラノ(55)
- 旅の始まり(11)
- 旅の形(23)
- 絵画(39)
- 彫刻(1)
- 公園(1)
- 街(1)
- イタリア ローマ(91)
- イタリア ミラノ(12)
- イタリア フィレンツェ(163)
- イタリア(1)
- #イタリア #ローマ(1)
- ベルギー(3)
- ベルギー ブリュッセル(8)
- ベルギー ヘント(6)
- ベルギー ブルージュ(6)
- ベルギー アントワープ(17)
- オーストリア(38)
- ウイーン(35)
- オーストリア ザルツブルク(26)
- オランダ(6)
- オランダ アムステルダム(26)
- アムステルダムからブリュッセルの歩き方(1)
- ドイツ(11)
- ドイツ ミューヘン(12)
- ドイツ ニュールンベルグ(5)
- フランス パリ(251)
- フランス ベルサイユ宮殿(5)
- フランス シャルルドゴール空港(1)
バックナンバー
人気記事