気に入った曲があると、それこそ脳内で再生できるまで無限に聞き続ける悪癖がある。
悪癖とは自分で書いていおいてなんだが、やや不本意である。
だが、不本意ではあるがこの癖によって何度か人をぶちギレさせているため、やはり「悪癖」としておくこととする。
流石にいずれ胸やけするときが来るのだが、それでも3,4時間延々ずーっと聞き続けていても基本は平気である。
また、その曲を気に入るスパンも非常に長い。
・・・なぜか急に気分が悪くなってきてしまったので、また次回につづく
雑談レベル1.23/100ぐらいになった今日この頃私は「寒いですね」という言葉を自ら発せるようになった。
何をそんな苦労しているのかとつっこみたくなるだろうが、それくらい職場での雑談は私にとって大変なものなのだ。
直ぐショートする脳みそで考えた結果、会話中の空気が読めないということが原因の一つではないかという説を採用するに至った。
私は主に、いつ声を掛けようかとか、今相手が怒っていないだろうかとか、こんな話題で大丈夫だろうかとかそんなことを心配している。
それはむしろ空気を読み過ぎなのではと、思われた方もいるだろう。
確かにそうだ。私は話しかける前の空気を読み過ぎている。
だが、問題はあくまで会話中の空気なのである。
例えばZさんが上司の愚痴を私に漏らしたとしよう。
Zさんが欲しいのは恐らく共感である。だが、会話中の空気が絶望的に読めない私がこの会話の受け答えをするとこうなる。
Zさん「ほんとあいつ、嫌い!仕事できない、マジ使えない!」
私「いやー、でも課長、この前お花のお水替えてくれてましたよ。そういうところまめですよね。あははは」
Zさん「・・・・・・」
私「ははは・・・は・・・」
※会話は例です
とにもかくにもこの「会話中の空気の読めなさ」からすべては始まっている。
つまり、
第一段階:会話中空気が読めなさすぎて会話がかみ合わない
第二段階:こいつなんかめんどくせーと避けられる。あるいは疎まれる。無視される。
第三段階:無視されるので話しかけるのが怖くなる
第四段階:私のメンタルライフゼロ
というあんばいだ。
身から出た錆と言えばそれまでだ。
だが、人の悪口で盛り上がるくらいならボッチでいた方がマシであるのも事実。
いや、これでは私がなんだか良い奴みたいではないか。
私は決してそんな善良な人間ではない。人を妬んだらそれはそれは酷い。
決して心は澄んではいない、むしろ人よりドロドロだろう。
・・・しかし、やはりこの歳になってしまってから嗜好を変えるのは難しい。
せっかくもらったおいしいお土産の御菓子について、いつも同じようなもので飽きただとか、配る時間がオカシイだとか
センスがないだとか、そもそも○○君はどーのこーの。
そんな難癖に同意しなければならないくらいなら、やっぱり無視されている方がマシだろう。
でも無視されていると、やっぱり人の子なので私も辛い。
要するに私はchicken野郎なのである。
ついては、結局必要なのは強靭なメンタルということになってくる。
だがその前に、周囲の人々に大変恵まれた今の職場に感謝しつつ、雑談マスターへの道を地道に歩んでいくことが先決だ。
そういうわけで、私はまた明日も頑張って職場の人に「寒いですね」と話しかける。
「寒いですね」のあと「寒いねぇ」と返ってきたあとの返事はまだ考えていない。
明日の出勤中に、一生懸命考えることにする。
雑談がとても苦手である。
こんなこといちいち気にしていてはどうしようもないのだろうが「今話しかけても良いのだろうか」ということが私の場合どうしても気になる。
タイミングがつかめない。
また、そもそも豊富な話題なども持ち合わせていないので「何を話しかけたらいいんだろう」ということにまず悩む。
よって「おはようございます」「お疲れ様です」「お先に失礼します」のその先、あるいは前後がどうしてもうまく生成できない。
しかしこれではいけない、とこの世に産み落とされてから○十年してやっと決意した。
雑談する力をもっと養わねば。
結局のところ、仕事には円滑な人間関係が必要であり、円滑な人間関係にはやはり会話が必要だ。
今の職場がとても好きなこともあり、私は一大決心をした。
職場の方がそれはそれは温かく話しかけてくれるのでもはや後には引けまい。引けまい、というより自分は話しかけられて喜んでいるのに、自分からは一切話しかけられないなんて情けないし失礼ではないか!
嗤わないで欲しいのだが、以下は今現在の私が半分本気でやっていることだ。
状況:職場の同じ部署にはAさん・Bさん・Cさんがいる。
朝の朝礼のときにはおおよそ隣がDさん・Eさん(どちらも別部署)である。
もちろんAさん・Bさん・Cさん・Dさん・Eさん以外にもたくさんの同僚がいるが部署部署で離れたところで仕事をしているため、
朝すれ違いざま挨拶を交わす以外なかなか話す機会はない。
よって、前日かあるいは朝通勤バスに乗っている中でAさん・Bさん・Cさん・Dさん・Eさんに話しかけられそうな話題を必死こいて探すのである。忘れっぽいのでスマホにメモをする(こともある)。
Aさん:先日最寄り駅を聞いてくれたので、今日は私から聞いてみる(そのときに聞き返せなかったのは私の雑談能力の無さの表れである)
Bさん:趣味がスポーツ観戦とのことだったので先日の井上尚弥選手対ノニト・ドネア選手の試合について聞いてみる
Cさん:「最近朝晩冷えますね」と頑張って言う
Dさん:「最近忙しいですか?」と聞いてみる
Eさん:よくお子さんの話を楽しそうにされるのでもっとつっこんでみる。習い事はやっているか、など
ちなみに、ここまで準備していっても、成功率は今のところ5分の2程度である。
また、融通が利かないため更衣室でいつも時間帯がずれるはずのFさんに会うとショートするし、Gさんにふいに「最近どうだ、調子良いか?」などとすれ違いざま声を掛けられてもショートの上頭の中は炎上状態になる。
なぜそんな苦労しているのか、と思われるだろうが原因は一番私が知りたい。
しかし先天的だろうが後天的だろうが、どうにかしなければならないものはならないし、どうにかしたいと思ったものはどうにかしたい。
いつまで経ってもこんな体たらくであるが、努力あるのみ。
明日はAさんにもらった御菓子のお礼をいうのだ。
とっても甘くて、おいしかったですと。
金曜ロードショーにて『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』観ました!
こちらはその感想です。
以下ネタバレを含みますのでこれから観るんだい、という方はご注意ください。
『The RING2』のネタバレも若干含みます。
また、グダグダと愚痴を述べていますのでその点もご了承ください。
観ながら思ったこと
1.邦題の「それが見えたら終わり」が絶対に余計
2.画面がトッテモ明るい
3.これ、ホラーなのか?
結論:邦題にギャグにされた要素を絞り込めなかった映画/スティーブン・キングイコールホラーではない
1.邦題における副題「それが見えたら終わり」が絶対に余計
正確に時間を測ったわけではないが、ラスボスが出てくるのが早い。秒速だ。
もう少し我慢できない?と突っ込みたくなる。これは『The RING 2』のサマラちゃんにも言えることなのだが「だってもう前作で面割れてるし?」というふりきりかたはやはりいただけない。
小出し小出し、というより思わせぶりを何十回と繰り返して終盤やっとこさ出演かなう不遇なジャパニーズホラーのボスが観たら嫉妬に狂うに決まっている。
しかもやっと出番キタァ━━!との喜びもつかの間「やっぱり一番怖いのは生きている人間だよ・・・(しみじみ)」というオチが待っているのだから笑えない。
そういう意味で、この『IT』におけるラスボス(イットあるいはペニー・ワイズ)は最初から最後までバンバン出張る上、子供たちがやることなすことにこれでもかと盛大に怖がってくれてさぞ嬉しかろう。
だから最後も鉄パイプやらなんやらでボッコボコに物理的に殴られかなり痛い思いをしても頑張って暴れまわっているのだ。
だからこそ、邦題における副題が致命的。
話が逸れてしまったが「それが見えたら終わり」ったってだってもう見えちゃっているのだ。
別に観客になら構わないだろ?と思うだろうが、開始15分ほどから主人公格の子供たちも順々にそれを見ている。
え、良いのかな?良いのかな?見えてるけど・・・良いのかな?と最後までそんな気分を引きずったまま終わる。
まあもう最後まで見えているし良い・・・のか?
そもそも映画冒頭はほぼ原作どおり。文句垂れたが「それが見えるのは最初」。
だからこそこの副題は余計、余計というよりもはや致命的。
2.画面がトッテモ明るい
とても明るい。夏休みが始まった日から話が展開していくということもあり、空も川もとても青く晴れやかで町もうきうきとした雰囲気。
しかし主人公たちが冗談を言い合って笑っているときも、いじめっこにフルボッコされているときも、皆で楽しく遊んでいるときも、ピエロと恐怖の鬼ごっこをしているときも、とにかく同じレベルで画面が明るい。
明るすぎてペニーワイズの役者さんが人間であることを隠すどころか完全に白日のもとに晒すレベル。これは制作スタッフに悪意すら感じられる。
演技の良し悪しは私にはよくわからないがこれではどんなに頑張っても化け物役を演じるには無理だろう。
なんていうか、非常に生命力にあふれているペニー・ワイズさんである。
金曜ロードショーの時間帯でもとても明るいので、朝見たらハレーション起こして画面が見えなくなるのでは。
3.これ、ホラーなのか?
確かに『IT』には原作にもさまざまな要素がある。ホラーだとか友情ものだとかファンタジーだとか。
だからそもそもキング史上最恐小説という煽りからしてちょっと違うだろうと。
もちろん、原作はあくまで原作なのだから完全ホラーにしたいならそれでも良いだろう。
しかし散々ホラー的な映画ですよ、ホラー小説の巨匠キングの最高傑作ですよ、とか喧伝しておいて蓋を開けてみたらただの青春ファンタジーでは納得がいかない。
何事も必要以上にハードルを上げることと詐称はよくない。期待すればするほど評価は厳しくなるし、嘘をつかれたらこちらだって悲しい。
そもそも煽りCMや邦題以前に、ホラーにしたいなら子供たちの明るさ・無邪気さとの異常なコントラストを出して欲しかったし、
青春ファンタジーにするならもっと1人ひとりのなにかこう、内面的な描写に時間を割くべきである。
原作が長編なのだから要素を絞らないと大変なことになるという典型的な例だ。
結論:邦題にギャグにされた要素を絞り込めなかった映画/スティーブン・キングイコールホラーではない
理由はすでに述べたとおりである。
「それが見えたら終わりなのに」→「すぐに見えた」との矛盾を映画開始数分で観客に植え付け、
ホラーと煽るわりに画面がハレーション起こすほど青春要素が強いが、青春というにはファンタジーが強く、さらにペニー・ワイズさんが出張りすぎてもうぐちゃぐちゃである。
これは「キング=ホラー」という刷り込みが産んだ悲劇でもあるだろう。確かにその誤解はしかたない部分もある。
それでも映画を一度でも見たならば「それが見えたら終わり」はつけられないのでは。
要素を絞り込めなかったことも大いに問題ありだが、邦題にフルボッコされ「ジャンル:ギャグ」にされた。
そんな映画であると私は結論づける。