「2月嫌い」の理由・・・
本当に一番悔いていることはわかっていた。
7年前の2月の「ある別れ」
それにまつわる選択が、本当に正しかったのかどうか・・・
本当は共に生きる方法があったのではないか、
もっと頑張れたのではないのか、
いつもは忘れていても、2月になると毎年毎年思い出された。
冷たく吹く木枯らし、冬の匂い・・・
頭では考えないようにしても、
視覚や嗅覚や皮膚感覚・・・
体に染み込んでくる2月の気配が、私にその別れを思い出させた。
そして「その別れ」を想う度に、私は心のどこかで自分を責め続けてきた。
最初の一年目・・・私は心の病に陥った。
次の年、2月の気配から逃げるように南の島に移り住んだ。
その年はどうにかやり過ごした。
なのに島での二度目の冬、斜めに差し込む2月の太陽、
その光の傾斜が、結局私に「その別れ」を思い出させた。
2月が私に思い出させたのではない!!
そんなにしても尚、私は自ら選んで思い出していたのだ。
自らの行為を許せない故に・・・
「2月嫌い克服キャンペーン」とユーモアを交えていたけれど、
私にはトラウマを乗り越えるという、大きな命題であった。
結局忘れることなど出来ないこと、ならば向き合い、越えるしかない。
私は7度目の2月になって、ようやく「その別れ」を言語化できるようになった。
スキルアップの為のロープレの場で、
セルフヘルプの会で・・・
話す度に心は揺れたけれど、
その中でだんだん「その別れ」の意味を見出した。
人は生きる過程で誰かと出会い、別れる。
そしてまた誰かと出会う・・・
別れてもう二度と会えない人もいる。死別もある。
その人と関わったことへの感謝を伝えようにも、言葉を伝える術もなく・・・想いは募る。
それは悲しくて、悔しくて、情けなくて、切ない・・・
私はその人と共にある時、
それまで味わったことのなかった深い慈しみの想いを抱いた。
短い時間だったけれど、その人が共にあることが、私の喜びだった。
そんな素敵な想いを、私が味わうことが出来るように、
その人は私のところにやってきてくれたのかもしれない。
その人へ「ありがとう」
めぐり会えたことに「ありがとう」と感謝の気持ちを胸に、
私が与えられたこの生を、命ある限り精一杯生き抜くこと・・・
私が幸せであること、それしかその人に返せることは無い。
思えば「生きる意味」を探し続けていた。
それは「生きていてもいいよ」という許しを請う日々だった。
そうでは無い。「私が生きていること、それ自体に意味があるのだ。」
そう覚悟した矢先、
「その人は生まれ変わって、今幸せなのだ!」と心の底から感じられた。
虫の知らせというヤツなのか?
繋がっているという無意識が教えてくれるのか??
とにもかくにも、なにか確信を持ってそう感じられた。
離れてはしまったけれど、同じ時空を生きている。
その人の幸せを心から祈ろう。私も幸せであろう。
~☆~☆~☆~☆~☆~
そんな想いの中、2月の終わりにスキル・アップの為の追試験があった。
やるだけのことはやった!というまで、頑張れていない気がしていた・・・
試験のギリギリまで自信が持てなくて、
大好きなデビット・ボウイのアルバム
「ジギー・スターダスト」の曲を口ずさんだ。
ロックが好きな私でいいじゃないか!
最後の最後は、自分のパーソナリティーをもって、
自分らしく、あるがままの姿で人と関わろう。
今出来ることを精一杯やろう!そう腹をくくった。
結果は「合格」☆頭が真っ白になった・・・
2月にまた一つ素敵な思い出が出来た。
一つ越えた・・・そしてまた新たな虹の橋を渡ろう!!
2月よ、どうもありがとう☆☆☆
本当に一番悔いていることはわかっていた。
7年前の2月の「ある別れ」
それにまつわる選択が、本当に正しかったのかどうか・・・
本当は共に生きる方法があったのではないか、
もっと頑張れたのではないのか、
いつもは忘れていても、2月になると毎年毎年思い出された。
冷たく吹く木枯らし、冬の匂い・・・
頭では考えないようにしても、
視覚や嗅覚や皮膚感覚・・・
体に染み込んでくる2月の気配が、私にその別れを思い出させた。
そして「その別れ」を想う度に、私は心のどこかで自分を責め続けてきた。
最初の一年目・・・私は心の病に陥った。
次の年、2月の気配から逃げるように南の島に移り住んだ。
その年はどうにかやり過ごした。
なのに島での二度目の冬、斜めに差し込む2月の太陽、
その光の傾斜が、結局私に「その別れ」を思い出させた。
2月が私に思い出させたのではない!!
そんなにしても尚、私は自ら選んで思い出していたのだ。
自らの行為を許せない故に・・・
「2月嫌い克服キャンペーン」とユーモアを交えていたけれど、
私にはトラウマを乗り越えるという、大きな命題であった。
結局忘れることなど出来ないこと、ならば向き合い、越えるしかない。
私は7度目の2月になって、ようやく「その別れ」を言語化できるようになった。
スキルアップの為のロープレの場で、
セルフヘルプの会で・・・
話す度に心は揺れたけれど、
その中でだんだん「その別れ」の意味を見出した。
人は生きる過程で誰かと出会い、別れる。
そしてまた誰かと出会う・・・
別れてもう二度と会えない人もいる。死別もある。
その人と関わったことへの感謝を伝えようにも、言葉を伝える術もなく・・・想いは募る。
それは悲しくて、悔しくて、情けなくて、切ない・・・
私はその人と共にある時、
それまで味わったことのなかった深い慈しみの想いを抱いた。
短い時間だったけれど、その人が共にあることが、私の喜びだった。
そんな素敵な想いを、私が味わうことが出来るように、
その人は私のところにやってきてくれたのかもしれない。
その人へ「ありがとう」
めぐり会えたことに「ありがとう」と感謝の気持ちを胸に、
私が与えられたこの生を、命ある限り精一杯生き抜くこと・・・
私が幸せであること、それしかその人に返せることは無い。
思えば「生きる意味」を探し続けていた。
それは「生きていてもいいよ」という許しを請う日々だった。
そうでは無い。「私が生きていること、それ自体に意味があるのだ。」
そう覚悟した矢先、
「その人は生まれ変わって、今幸せなのだ!」と心の底から感じられた。
虫の知らせというヤツなのか?
繋がっているという無意識が教えてくれるのか??
とにもかくにも、なにか確信を持ってそう感じられた。
離れてはしまったけれど、同じ時空を生きている。
その人の幸せを心から祈ろう。私も幸せであろう。
~☆~☆~☆~☆~☆~
そんな想いの中、2月の終わりにスキル・アップの為の追試験があった。
やるだけのことはやった!というまで、頑張れていない気がしていた・・・
試験のギリギリまで自信が持てなくて、
大好きなデビット・ボウイのアルバム
「ジギー・スターダスト」の曲を口ずさんだ。
ロックが好きな私でいいじゃないか!
最後の最後は、自分のパーソナリティーをもって、
自分らしく、あるがままの姿で人と関わろう。
今出来ることを精一杯やろう!そう腹をくくった。
結果は「合格」☆頭が真っ白になった・・・
2月にまた一つ素敵な思い出が出来た。
一つ越えた・・・そしてまた新たな虹の橋を渡ろう!!
2月よ、どうもありがとう☆☆☆