気ままに良い旅

何気ない日々の暮らしと趣味の山旅・国内旅行・海外旅行を思い出とともにつづります

エベレスト街道・ネパール紀行 4. 2日目カトマンズ旧市街の世界遺産を巡る

2019-07-29 12:17:36 | エベレスト街道2012
エベレスト街道・ネパール紀行 4. 2日目カトマンズ旧市街の世界遺産を巡る

2012/04/14 09:38


2012.4/14(土)雨

2日目
美しき古都を訪ねる

 明日からの登山を控え調整日の今日、初めてスタッフに会うことができた。気さくそうなガイド達でホッとした。

ヒマラヤンスマイルの事務所がホテルから歩いて10分以内だという事も気が効いた配慮だった。
朝、ホテルまで僕達二人を迎えに来てくれたスベディさんの後ろを歩きながらまだ商店街のシャッターが閉まっているタメル地区の繁華街を歩く。商店が閉まっているのにやたらと人が多く迷いそうになる。事務所に着くと、トレッキングと観光代金us1380$をさっそく支払う。



しばらくすると、観光案内をしてくれるディネシュと、登山ガイドをしてくれるダワが来た。二人とも日本に滞在した経験があり流暢な日本語を話す。この時点でこの旅の心配事の50%は解消される。ほぼ聞き取れない英語ではこの国の事情を判らずに通り過ぎてしまう出来事が減ることはうれしかったし、僕たちは全てのことが知りたくて何でも質問をぶつけ彼らはそのつど的確な答えを出してくれる。

それでは、カトマンドゥの観光に出発する
出発する頃にはタメル地区(登山用品・ジュウタン・装飾品・ホテル・レストラン・何でも揃う海外からの旅人が多いエリア)を出発する頃タメルはごった返す町に変貌していた。

ネパールは北海道の1.8倍ほどの国土に2800万人が暮らす小さな国。変化に富んだ国土に古い町並みや寺院が残る文化遺産や自然豊かな国立公園があり世界中からツーリストやバックパッカーを受け入れている。

山登り前に3つの世界遺産をまわることが出来た。旧市街の古い寺院や住宅の殆どがレンガつくりの建築で圧倒されっぱなしだった。

世界遺産ダルバール広場 パタン

ダルバール広場 世界遺産で旧王宮や寺院が立ち並ぶカトマンドゥの中心。


パタン ネワール族の文化と芸術を継承する美の都、博物館は圧巻
ダルバール広場 パタン動画



世界遺産パシュパティナート
 

ガンジス川支流にある聖なる川とされているけれどすごくにごっていた。パシュパティナート寺院はヒンドゥー教寺院のためヒンドゥー教徒以外は入ることが出来ない。そして聖なる川バグマティー川で2体の火葬が行われているのを対岸から見ることが出来た。
ビデオを撮る気にはなれない。



この人なんだか訳がわかりませんでしたが、インドの瞑想する人たちの近くにいたので写真を撮ったら撮影料を要求されました。20ルピーあげました。


シバ信仰の象徴であるリンガが祭られている白い11の塔が丘の上に並んでいる。リンガって男の象徴でいろんな場所で見られます。


民族衣装と背景がステキです。


訳がわからないほど古いレンガ作りの住宅と店舗。パシュパティナート周辺も写真を撮り飽きることはない。


味のある老人




世界遺産ボゥダナート
カトマンドゥから東へ6キロほど車で行くとネパール最大のストゥーパ(仏塔)がある。
地 水 火 風 空 の5大エネルギーを象徴しているのだと言う。
仏塔は右回りに回り、エベレスト街道でもストゥーパや経文石があるとその左を通るのである。









おまたせ
明日からいよいよエベレスト街道トレッキングだぁ
でも、旧市街世界遺産は楽しく写真を撮ることができました。


エベレスト街道・ネパール紀行 3. 1日目カトマンズに到着

2019-07-29 12:17:02 | エベレスト街道2012
エベレスト街道・ネパール紀行 3. 1日目カトマンズに到着

2012/04/11 19:56


2012.4/11(水)雨

 am6:00自宅に友人O夫妻が来てくれた。大きな登山ザックをO氏の車に積み込み中部国際空港へ向う。空港へは30分ほどで到着。やはり地元空港からの出発は楽だと思う。O夫妻の見送りには感謝である。朝食までご馳走になる。

O氏と別れしばらくすると笠杉さんが大きなザックを背負って現る。Eチケットを窓口に提出し荷物を預けると手荷物だけになり自由になる。ぶらぶらしていても仕方が無いので immigration を済ませ免税店街でコーヒータイムとする。

少し、落ち着くと出発のうれしさがこみ上げてくる。久しぶりの海外アドベンチャーだ!

am9:55 発 CATHAY PACIFIC CX533便
pm14:10着 HONG KONG
pm17:05発 HONG KONG CATHAY PACIFIC KA196便
pm22:40着 KATHMANDU
pm23:30着 カトマンズ・タメル地区 タメルエコリゾートホテル





HONG KONG空港
巨大な空港に最初は戸惑いカトマンズ行き搭乗口の電光掲示板も訳がわからず一抹の不安がよぎったが待ち時間が長いためそれも楽しむ材料になった。誰かかが助けてくれるものだ。


HONG KONG空港は光が美しいと思った。
香港でカトマンズ行きの飛行機待ちは長かったが巨大な空港に飽きることは無かった。写真を撮ったりコーヒーを飲んだり帯広ラーメン(名前パクリか)を食べたり退屈する事は無かった。夜の離陸はきれいだった。



カトマンズに深夜到着した。
空港ロビーに出ると薄暗かった。
小銃を持った警官や軍隊がいた。
待合室には人を待っているのか?
これから飛行機に乗るのか?
わけのわからない人々がたくさんたむろしていた。

明日から
どうなっちゃうんだろう、、、と、笑えてくる

メールでやり取りしてきたスベディーが待っていてくれた
ホテルに向う道はでこぼこで
20年前のカローラEXのサスペンションがきしんでいた。

なんだか異空間に放り込まれた感じが僕はいやではなかった。


エベレスト街道・ネパール紀行 2.無事に帰ってきました

2019-07-29 12:13:53 | エベレスト街道2012
エベレスト街道・ネパール紀行 2.無事に帰ってきました

2012/04/08 16:23


2012/4/8(日)晴れ

 長かったようなあっという間に過ぎたようなネパール・ヒマラヤトレッキングが終わった。20台の学生が思い描いたネパールはそれから30数年が過ぎた今でも想像した通りピュアでカルチャーショックの連続だった。ディンボチェ(4400m)の地に到着した時心から みんなありがとう!と叫んでいました。山でそんな気持ちになるなんて、、、この俺が。きっと人は高地へ行くほど心はピュアになっていくんだとおもいました。

今は、画像も動画も整理していなくて何ヶ月かかけて楽しみながら整理したいと思っています。

苦しかったエベレスト街道
楽しかったエベレスト街道
優しい人達
雄大な山々
神々の道
神々が住む里
ビスターリ ビスターリ
ナマステ ヒマラヤ
タンキュー ダンネバード マイフレンド


入山許可証のスタンプもいっぱいになりました




ネパールから帰る時いろんな情景が浮かんでくる
ひょっとしたらこの地が好きになったのかも、、、
そんな気持ちを動画にしてみました。


ネパール・エベレスト街道紀行文はスローペースで書いてみたい思っている。

エベレスト街道・ネパール紀行 1.

2019-07-29 12:12:35 | エベレスト街道2012
エベレスト街道・ネパール紀行 1.

2012/03/15 22:08


エベレスト街道トレッキングコース

3/22  22:10カトマンズ到着      ホテル泊

 

3/23 カトマンズ盆地一日観光(世界遺産など)   ホテル泊


        
3/24 カトマンズ-ルクラ(2710m) 飛行機にてルクラ-パクディン                     歩行3.5時間  ロッジ泊

       

3/25 パクディン-ナムチェバザール(3446m)  6~7時間ロッジ泊                      


3/26 高所順応日 シャンボチェまで散策(3750m) 3~4時間ロッジ泊

                      

3/27  ナムチェバザール-タンボチェ(3867m) 6時間  ロッジ泊



3/28  タンボチェ-ディンボチェ(4350m) 6時間  ロッジ泊



3/29  ディンボチェからチュクン往復または眺望の良い丘へロッジ泊

                        (4743m~5000m)

3/30  ディンボチェ-ナムチェバザール   8時間   ロッジ泊



3/31  ナムチェバザール-パクディン    5時間   ロッジ泊



4/01  パクディン-ルクラ         6時間   ロッジ泊



4/02  ルクラ-カトマンズ 飛行機にて        ホテル泊



4/03  フライト予備日 カトマンズ盆地半日観光                                                      
                                   ホテル泊  

4/04  午前 半日観光

午後 フリータイム

夕食 伝統舞踊ショーの見られるレストランでディナー 
                                                                                                                        4/5 帰国




9日間の歩きは学生の頃以来である。歩けるかどうかちょっと不安になってきた。ネパールの町歩きは楽しみだ。ダルバールなどで写真をいっぱい撮りたい。ヒマラヤの星空を撮ってきます。お腹をこわして最悪な状態にはなりたくない(笑)



                         以上

カンボジア紀行 3.一ノ瀬泰造を偲んで

2019-07-29 12:08:30 | カンボジア11日バイクツアー
カンボジア紀行 3.一ノ瀬泰造を偲んで

2010/06/21 21:46





1973年シェムリアップで一ノ瀬泰造という戦場カメラマンが死んだ。
その頃の僕は血気盛んな大学2年だった。
学業もそこそこに山に明け暮れていた。その頃、写真には全く興味が無く
山で記録を撮る程度のものだった。

当然、その頃一之瀬泰造を知るはずもなく、彼の名前を知ったのはカンボジアをバイク旅する2005年だった。彼が死んで30年も後の事だ!
Angkor Wat を見るだけの観光旅行ならさして予備知識など必要は無かったのだけれど、12日間のカンボジア縦断ツーリングには観光地とはかけ離れた人々の生活そのものに触れる旅だったので少しばかり書物を読んだ。
そんな時、一ノ瀬泰造を知ったのだった。

一ノ瀬の両親は、行方不明後も息子の生存を信じ、カンボジア政府に幾度も捜索の嘆願書を送り続けた。そして一ノ瀬泰造を村人が見たとの情報を得て、1982年、TBSの取材に同行する。そしてアンコールワットの北東約10キロ、プラダックの荒涼とした草原の土に眠る息子の遺骨と再会することになる。取材によると、一ノ瀬泰造は1973年11月22日か23日、アンコールワット潜入後すぐにクメール・ルージュに捕まる。そしてプラダックに連行された。夜は足に鎖を繋がれたが、昼間は自由に村人の撮影をしたりしてたらしい。その後、命よりも大切なカメラを取り上げられ、反抗的な態度を咎められ、11月28日に処刑された。遺体の埋められた場所は、村人の多くが覚えていて、両親はそこを堀りかえし、遺骨を収集した。清二氏が、泥にまみれた遺骨を近くの川で洗い、荼毘に付した。遺骨の一部はアンコールワットを仰ぐ木の下に、残りはのちに日本に持ちかえられ、現在は故郷、佐賀県武雄に眠っている。

アンコールワット



アンコールトム

彼の見たアンコールワットは今とどう違っていたのだろう、、、
囚われの身となった彼が毎日写したのは無邪気な子供だったという。

そういえば、カンボジアツーリングで一番写したのは遺跡と子供達だったなぁ。。。

一ノ瀬泰造のDVDが発売されるらしい。いまだに忘れられていないカメラマンなんですね。
オフィシャルサイトhttp://www.taizo.photographer.jp/