うちの婆ちゃん105歳。1903年生まれ。
日露戦争の前の年に生まれたんだもんなぁ。
ハレー彗星を2回経験する人ってのも、なかなかいないぞ。
ずっと10年以上寝たきりで、実家で父と母が世話しています。
うちの娘がまだ赤ちゃんの頃、かろうじて抱っこ出来た。
でもその頃はもう目も見えなくて、
耳もほとんど聞こえない状態でした。
いまはもう、な~んにもわかんないんだけどね。
ボケて寝たきりになったあとは、介護も楽になった。
でも、閻魔様の帳面には、
名前載せ忘れてるんじゃないかとか、
爺さんがあの世で、
婆さん呼びたくないんじゃなかろうか、とか
噂されていましたが。。。
内臓はどっこも悪くなかった。
実家が伊豆に引っ越してからは、
顔の色艶もよくなってね、
こりゃ親父やお袋のほうが先にイクんじゃないかと
心配してたんだけど。。。
でも今回、誤嚥性肺炎っていうんですか。
食べたものが肺にいっちゃうんだ。
昨年も同じ誤嚥性肺炎で、食べさせるな、点滴だけだって
医者に言われたんだけど、
親父が「それじゃ死んじゃうじゃないか!」って
医者の反対を押し切って食事させて、回復させた。
婆ちゃんスゲェ!って驚いてたんだけどね。
今回はね、どうもまずい。また肺に入っちゃうみたいなんだ。
今、点滴だけです。
これから血管から栄養入れられるかの試験入院をします。
それが出来たら、また家に帰ってくる。
また、死ぬまで生きそうな気もするけどな。
憎まれっ子世にはばかる。
ずっとお袋を泣かせてきた婆さんは、
嫁いじめ長期間記録をどこまで伸ばせるか。
ま、ここまで生きれば、誰も文句言わないが。
写真は実家の庭に生っているラフランスの実。
昨日まで元気に働いていたのに、
今朝、ポックリと逝っちゃった、というのが
理想なんだけどね。
長寿番付はプライバシー保護の為に
公表を取りやめになってるんですね。
ま、載っても嬉しくないですけど(苦笑)
でも、まぁ、うちの実家のある町では、
最長寿なのは間違いありません。
鰻そば、残念でした。
是非いつか実現するといいね。
今回、惜しいところで“うなぎそば”も、
“福太郎餅”も逃してしまったので
秋(若しくは冬)になったら
もう一度三島へ行く予定です。
さてbays_star氏の婆様は幸せな方であらせられまするな。
にけちゃんの婆様(1901~2002)は
女医で苦労しどおしでした。
でも…bays_star氏の婆様は、
長寿番付に載っていらっしゃるのではないですか?
元気で生きてなきゃ、意味ないよ。
婆ちゃん見ているとね、
できるときに、精一杯やっておくことの
大切さを感じます。
自分が100歳まで生きたとして
bays_starさんのお婆ちゃんのように
体が不自由になっちゃったら早く死にたいって思うだろうけど
家族の気持ちとしては、いつまでも長生きして欲しいって思うよね。
ラフランス・・食いたい・・( ̄~; ̄)