Leica M2 summicron35mm f2 DELTA400
撮った当時はスルーしていたカットに目がとまる
そんな写真を見て考えた
この写真は2015年撮影
地元の祭りで人気だったのど自慢大会での一コマ
騒音問題とコロナで今はもう祭り自体が消滅してしまった
ネガの熟成
自分の熟成
写真の記録性
一枚の写真から連鎖的にもう頭が脱線しながらいろんな思いが巡る
・・・・・・
年齢的に大先輩の写真にはどうしてもかなわない何かがある
と時々思うことがある
なんでだろう
写真には普通は対象物がある
カメラがあって対象物があってはじめて写真になる
AI生成画像は置いといて
想像創造だけでは写真にならない
その対象物をどう見てどう表現するか
どう表現するかは置いておいて
どう見るか
カメラアイ
先ずこれでほとんど決まってくるのだと思う
そうすると
人間として年長者には逆立ちしてもかなわないのは年齢
どこかの時点で逆転するということはまずあり得ない
そういう意味でまず
年長者のカメラアイにはある意味どうしてもかなわない部分があると思っている
その後の表現となるとまた別の話
もう一つ
写真は古いというだけで価値があることがある
歴史的瞬間や現在は存在しないもの今はない文化風習をとらえた貴重な記録写真
あたりまえだけど年長者の撮った写真を今見るとそんな写真が存在する
僕には絶対に撮ることはできない
タイムマシンが完成するのを待つしかない
僕は将来貴重な記録になるからと撮ることはしない
取り壊される貴重な建物とか、なくなってしまう商店街など
撮ればいいとは思うけど撮りにいかない
ただし家族写真は別
この写真はたまたま撮って、そしてこの祭りは消滅してしまった
時がたってそして僕も歳をとった今、ある意味勝手に貴重な記録写真になったかもしれない
と、撮影当時はスルーしていたこのワンカットからそんなことを考えたので
目がとまってしまったのでしょう
写真は面白いなとあらためて思った
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