韓国の信仰の友より2024年12月3日・4日・6日・10日・11日・12日・13日・・・いつも有難うございます。感謝 韓国 の信仰の友より 2024年12月3日・4日・6日・10日・11日・12日・13日・・・いつも有難うございます。感謝 2024年12月3日 「あなたは誰なのか。無知な言葉で私の知恵を疑うのか」(ヨブ記38:2[意訳])というみことばは、人間の限界と神の主権についての深い洞察を含んでいます。四人の友人たちが語った神学的な議論が終わり、ついに神様が直接ヨブに語りかける瞬間です。人は苦難や試練の前で常に「なぜ」という問いを投げかけます。ヨブもまた、自分の苦しい現実の前で神様に絶えず「なぜ?」と問いました。沈黙を貫いていた神様が38章でようやく口を開かれます。しかし、その応答は私たちの予想を完全に覆すものでした。「なぜそうなのか」と苦難の理由を説明するどころか、神様はむしろ「あなたは誰なのか、そのような空しい言葉を語るとは」とヨブの存在そのものについて問い返されます。神様は創造の偉大な場面を一つ一つ展開して見せられます。「地の基を据えたとき、あなたはどこにいたのか?誰が地の礎石を置き、誰がこの地を設計したのか、知っているのか?」(4-6節)「雲で海を覆い、暗闇で海を包んだのは、まさにこの私である」(10節)と宣言されます。このような神様の問いかけは、私たちに深い黙想の機会を与えます。私たちが人生の苦難の前で「なぜ私にこのようなことが起こるのか?」と問う前に、まず「私は一体誰なのか?」という根本的な問いを投げかけなければならないことを気付かせてくれます。これは単に人間の弱さを露わにするためではなく、全能なる創造主なる神様の前で、私たちの真のアイデンティティと立ち位置を改めて振り返らせる恵みへの招きなのではないでしょうか。 2024年12月4日 ヨブ記38章で、神は「汝は何者なのか、空しい言葉で私の知恵を疑うのか」とヨブに問いかけられました。続く第39章では、岩山の野やぎ、雌鹿、野らばの生活、だちょう、鷹など、様々な生き物たちの生きる姿を語られ、ヨブに繰り返し「~したことがあるのか」(ハ[הֲ])と言う疑問詞を連続に使われます。つまり、これらの動物たちは、不幸を嘆くことも、恨むこともなく、神から与えられた場所で、与えられた命を、ただ神を中心に生きている。しかし、「お前はそうしたことがあるか」と問い質されます。人間だけが、神が許された命と人生に不満不平をかこち、恨むのであります。「なぜ神は私にこのような不幸を与えるのか」「なぜこんな惨めなことが起こるのか」「これは神の過ちではないのか」さらには「神は本当にいるのだろうか」と疑うこともあります。人間は、本当にこんなことをしていいのでしょうか。39章を読まれたあなたはどう思われますか。 2024年12月6日 第40章は「誰も捕らえることのできない」(24)ベヘモットについて、そして41章も人間には全く太刀打ちできないレビヤタンについて語っています。神様は、これらのものを人間が決して克服できない怪物のような存在だと語られます。まるで自然災害のようなものです。昨夜も私の住む栃木市で地震がありました。これは人間の努力で克服できるものではありません。ベヘモットとレビヤタンを通して、この世界には人間がどうすることもできないものが存在することを語られます。ヨブが経験した「苦難」もまた、このような怪物の一種であるということであります。それらに「挑発するほど勇猛な者はいない」(41:2)。では、このように語られる神様の意図は何なのでしょうか。ヨブは苦しみにあっても神様から離れませんでした。「無垢な正しい人で、神を畏れる」(1:1)信仰深い人でした。このようなヨブの信仰は、ベヘモットよりも、レビヤタンよりも強いという事実を、ヨブ記は証言しているのではないでしょうか。主のみを頼りにする信仰!それは人間の手に負えないと言われるレビヤタンに打ち勝ってなお余りあるものなのです。 2024年12月10日 「神は、むかし預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で、私たちの先祖に語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました」(ヘブル1:1-2)。私たちが信じる神は生けるお方です。詩篇が描写するように「口があっても語れず…喉があっても一言も声を出せない偶像」(詩篇115:5-8)とは本質的に異なります。ヘブライ語の「ダバル」とギリシャ語の「ラレオ」が含意するように、神の語りかけは単なる音声の伝達を超えて、宣言と約束、賛美と命令、励ましと対話を包含する豊かなコミュニケーションです。特にイエス・キリストを通して現れた神の語りかけは、私たちの人生の具体的な状況の中に深く浸透します。心配と不安、悩みで胸が詰まるときでも、主は「わたしはここにいる」(イザヤ65:1)と私たちに囁きかけてくださいます。まるで胎内の赤ちゃんに絶えず愛を伝える母親のように、主は今日も私たち一人一人に「わたしはあなたの味方よ」という温かい言葉をかけ続けていらっしゃいます。このように、神の語りかけは時間と空間を超えて、今この瞬間も続いています。その御声は私たちの日常の中で絶えず響き渡り、私たちへの神の愛と関心を生き生きと伝えています。 2024年12月11日 「だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいますい」(ヘブル2:1)。神は語られる方として、私たちに絶えずご自身を啓示されます。特にイエス・キリストを通して救いのメッセージを伝えられますが、私たちはこの御声に深く「注意を払わねばなりません」。ここでの「注意を払う」(プロセコー[προσέχω])は、旧約の「シェマー」に相当する意味で、単に聞くことを超えて、注意深く傾聴し、心に刻み、継続的に黙想する姿勢を意味します。信仰はこのような傾聴から始まり、深い黙想を通じて成熟し、究極的には具体的な実を結ぶことになります。このように、神の御言葉を真摯に聞き、心に刻む姿勢は、「この大きな救いに対してむとんちゃくにしない」(3節)ことへと自然につながっていきます。この過程は日々の生活の中で実践されるべきであり、神が様々な方法で語られるメッセージに私たちの心を開き、目覚めた姿勢で応答することが必要です。私たちの心が常に語られる神に向かって祈り求め続け、どんなに小さな神の御言葉も見逃さない霊的な耳を持つことができますように祈りましょう。 2024年12月12日 「信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことをよく考えなさい」(ヘブル3:1)。イエス様は、神様から特別な使命を与えられ、この地上に遣わされた使徒です。さらに、イエス様は「信仰の創始者であり完成者」(ヘブル12:2)として、私たちの信仰の始まりから終わりまで、完全に責任を持ってくださる方です。では、なぜイエス様は私たちの信仰を最初から最後まで責任を持つことができるのでしょうか。それは、イエス様が大祭司であられるからです。大祭司であるイエス様は、私たちの罪によって断絶していた神様との関係を回復させ、私たちの心を神様の愛と祝福と守りで満たしてくださいました。イエス様が与えてくださった信仰に生きるということは、完璧な人生を送ることではありません。むしろ、それはイエス様の十字架と復活がもたらした赦しと救いの恵みの中で守られていることを信じながら生きる人生なのです。だからこそ、聖書は私たちに「イエスのことをよく考えなさい」と勧めています。これは単なる記憶ではなく、「イエスから目を離さない」(ヘブル12:2)積極的な生き方を意味します。今日も私たちの視線をイエス様に固定し、心を主にゆだねて生きていきましょう。 2024年12月13日 御言葉に形作られる人生 「聞いたみことばが、信仰と結びつけられなかったので、彼らには益とならなかったのです」(ヘブル4:2)。この御言葉は、私たちが一般的に考える罪の概念を新たな視点で見つめ直させてくれます。多くの人々は、罪を単なる悪い行為として捉えています。しかし、その根源を探ってみると、すべての罪の根底には神様を信じない不信仰があります。「結びつける」と訳された「シュンケラヌミ」という言葉には、特別な意味が込められています。この言葉は、コリント第一12章24節で「神は体を調和させ、劣っている部分をいっそう尊いものとしてくださいました」という箇所で使われているものと同じ意味を持っています。神様が私たちの体の不足している部分を満たしてくださるように、御言葉は私たちの人生の空虚な部分を満たし、より尊いものとする力を持っています。ヘブル書の流れを辿ってみると、私たちは美しい信仰の旅路を見出すことができます。第1章では語りかける神様と出会い、第2章ではその御言葉に留意して心を傾け、第3章ではイエス様を常に思い巡らして黙想し、そして第4章では聞いた御言葉を私たちの人生に信仰をもって結びつけていくのです。今日も主は私たちに語りかけておられます。単に耳で聞くだけでなく、その御言葉を信仰によって受け入れ、人生として生きることー。これこそが主の御目に尊い人生であり、真のクリスチャンの姿なのです。私たちの日常が御言葉と信仰によって美しく形作られていくことを願います。 謝謝
(韓国)オリュン教会日本語礼拝 2024/011/24能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
https://podbbang.page.link/jvVdT7KNJA4GKoEz5
2024/012/01(韓国)オリュン教会日本語礼拝「私たちの希望」能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
https://podbbang.page.link/Rm2cyw9Y4MVEhKNw5
【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be
【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be
(韓国)オリュン教会日本語礼拝 2024/011/24能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
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2024/012/01(韓国)オリュン教会日本語礼拝「私たちの希望」能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
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