オイラは、ボイラ 寒がりボイラ

6月から9月まで迄の4か月間は、失業状態ですが、冬期間はボイラーマンとして出身高校を暖めています。

良平からの助言

2017年03月11日 09時22分10秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 良平の部屋は、家具も少なく、美也の部屋と変わらない感じであった。
「その辺に座っていいよ。」良平は、4畳半の部屋の何も置いていないスペースを指差した。「俺も、この会社に勤めてまだ半年だけど、
先輩から色々聞くところによると自動車業界にかなり左右されるみたいだぜ、この会社は。」と語り始めた。「工場で作っている物の
95パーセントが三菱やマツダの自動車部品らしい。」「だから、車が売れれば、受注も増えるけどかなり波があるみたいだ。」
美也は頷きながら、下請けの会社は辛いところだと思った。「売り上げが、直にボーナスに影響してくるんだよ。最近は、年に2.5ヶ月
ぐらい出ている様だけど、3年前は三菱自動車がデータの不正改ざん問題で車の生産を1年間休止した。その時は残業が、まったくなしで、
ボーナスも12月に一度だけ、0.5ヶ月分が出ただけらしいぜ。」その話を聞いて美也は少し不安になった。
良平も始めの5ヶ月間は、西田の下で倉庫で製品の保管と出荷業務をしていた様だ。一カ月ほど前から、機械のオペレーションをする
ようになった。西田の下で働く時より、一日が早く過ぎるようで満足している様子だった。今の仕事は、作業着が油で直ぐに汚れる
らしく、ほぼ毎日洗濯をしているそうだ。手も軍手はしているが油で汚れ、休憩の度に工業用石鹸で汚れを落としていると話していた。

 良平は、青森の八戸工業高校の野球部で、甲子園を目指していた高校球児であった。
三年生の夏休みまで野球に専念していたので、就職活動が遅れてしまった。地元で働く気は無く、仙台か関東方面に仕事先を探して
いた。基本給の高いところを何件か絞っていったら、独身寮ありで都心に近い浦嶋製作所が気に入り、そこに決めた。
高校経由の就職だったので、11月に浦安まで出てきて面接をした。往復の交通費や宿泊費は、浦嶋製作所が出してくれた。
3月の末に、水心寮に入り三日間の会社説明や研修などを終えて、4月1日から正社員として働き始めた。
高校経由なので美也よりは待遇が少し良い。基本給も18万8千円を支給されていた。しかし、良平はこの会社には長く勤める気は
まったくなかった。機械のオペレターになり油まみれになって夜遅くまでの残業は、辛いものがあったのだ。給料は悪くは無いので
3年ぐらいがんばり貯金がある程度たまったら辞めようと考えている。美也にはこの事を話さないでおいた。仕事を始めたばかりの
後輩にする話ではないと遠慮したのだ。

「倉庫の製品管理、出荷は造っている製品を覚えるのに半年ぐらいは、続けなければならないよ。」「その後は、工場長の判断で
各製造部門にまわされると思うよ。」製品の製造は、機械化が進んでいるから、楽と言えば楽だけど緊張感を持って仕事しないと
ラインが停止したり、危険な事もあるから気をつけないとないんだ。」良平は、美也に先輩らしく丁寧に仕事の内容を伝えた。
美也は、現在無我夢中で働いている自分に、良いアドバイスをしてくれた良平に感謝した。今後の先が見えたので安心感で心が
満たされ、倉庫での仕事に益々励もうと意欲を燃やした。


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