備忘録

忘れないための頭の中のメモ帳

奇跡を感じよう

2024-10-01 00:00:00 | 
  • いま現れたことを、単に何かのミスで生じたことだと思って、自分を責めたり、他人を責めたりするのはいったんやめて、それを受け入れてください。「あなたにいま必要だから、それは現れている問題なんだ」というふうに受け入れてください。そして、静かに、心静かに瞑想をしてください。判断は中止してください。

 

  • あなたの今世の魂の修行のために必要な内容が、そのなかに含まれているはずです。必ずやそうなんです。だから自己防衛の考えで全部を解決しようと思わないで、会社的な仕事のかたちで問題を解決しようとしないで、今度は逆に受け入れる。そして、そのなかに大宇宙の意志を感じ取る。あるいは、神の心を、仏の心を感じ取る。

 

  • 「必要があって出てきている」、そう思ったときに、あなたがたはもうすでに救いの道に入っているんです。

 

  • 受け入れたときに、浮力が湧いてきますから。生きていく力がグーッと上がってきて、そのときに奇跡が訪れる。

 

『ストレス・フリーの幸福論』 第5章 奇跡を感じよう


許すということ

2024-10-01 00:00:00 | 
  • 「許す」ということは、抽象的なことではないのです。言葉だけのことではないのです。あなたが幸福になるために必要な条件なのです。許すということができなければ、大勢の人間が生きていく、この世の中において、幸福に生き切ることはできません。

 

  • みなさんは、自分の思い通りにならない人がいたり、思い通りにならない過去があったりするでしょうが、許すという行為によって、それを乗り越え、安らぎの世界に入ることを願ってください。許すことによって初めて、夜、ぐっすりと眠れるようになります。許すことによって初めて、家の外を歩くと、空気をおいしく感じ、日の光を暖かく感じ、人々の真心が分かるようになるのです。

 

  • どうか、「『許す』ということには、実体的な力があるのだ。愛のなかでも、特に宗教的なパワーを秘めているものなのだ」ということを理解してください。

 

『ストロング・マインド』p.133~134


「自分を飛躍させる芽」は批判のなかにある

2024-09-28 00:00:00 | 
  • 会社の人間関係で、いろいろと苦しむことはあるでしょうが、「他の人からの批判は、全部が全部、間違っているわけではない」ということは知っておいたほうがよいと思います。

 

  • 特に、自分に対する批判の中には、自分をもっと素晴らしい人物へと飛躍させていく芽が潜んでいます。要は、その批判をうまく汲み取って、自己改善の方向に持っていけばよいのです。

 

  • 重要な人物になればなるほど、今まで批判されなかったようなことでも、批判されるようになります。例えば、フォロアー(部下)であれば批判されないことでも、リーダーになると、批判されることがあるのです。

 

  • 特に、女性の場合、リーダーという立場に立ったならば、本来、女性として言われたくないようなことまで、言われることがあるでしょう。

 

  • リーダーというのは、そういう立場です。地位が上がっていけば、必ず、いろいろな人からの不満や批判を受けるようになっていくのです。

 

『ストレス・フリーの幸福論』 第1章 ストレス・マネージメントのコツ


「批判の矢」を受けても傷つきすぎないことが大切

2024-09-28 00:00:00 | 
  • 「あまりにも傷つきやすく、それを長く引きずるということ自体が、一つの罪である」と思うようになりました。

 

  • 相手は、それほど深く考えずに言っている場合もあります。

 

  • 「そのときの事情や、その場の雰囲気で、たまたま思いついたことを言っただけだ」ということも数多くあるのです。

 

  • それに対して、十年も二十年も傷を引きずるということであってはいけません。

 

  • 相手も、「十年も二十年も苦しめてやろう」「一生苦しめてやろう」なとど考え、そこまで狙って、矢を打ったわけではないことが多いのです。

 

  • お互いに、普通の人間であることが多く、必ずしも聖人君子ではありません。そのため、相手の言葉を真に受けて傷つくのは避けられないにしても、やはり、一晩寝たら忘れてあげなければいけないでしょう。そういうレベルのことが多いのです。

 

  • 例えば、批判が出た際に、リーダーとしては悶々と苦しむでしょうが、そういう批判のなかには、実は、甘えて言っている場合もあります。つまり、自分の思い通りにならないことが許せず、その気持ちが甘えに転化して、自分の上席にある者への批判になったりすることもあるわけです。

 

  • したがって、批判を深刻に考えすぎてはいけません。まったく無視してもいけませんが、深刻に受け止めすぎてもいけないのです。

 

『ストレス・フリーの幸福論』 第1章 ストレス・マネージメントのコツ


一晩寝たら忘れてしまうだけの胆力を

2024-09-28 00:00:00 | 
  • 「傷つきすぎない」「その傷を長く引っ張りすぎない」ということが特に大事です。「傷を長く引っ張ることは一種の罪である」ということを知ってください。

 

  • 一方、自分を傷つけた相手の方も、「言い間違えた」「傷つけた」と感じていることがあります。しかし、「悪いことを言ってしまったな」と思っていたとしても、これがなかなか謝れないものなのです。

 

  • たまには、「あのときは、ごめんなさい」と謝るチャンスが出てくることもありますが、そのチャンスを逃してしまうと、もはや謝ることができません。つまり、こちらが傷ついている姿を見て、向こうが傷つくこともあるのです。

 

  • やはり、一晩寝たら忘れてしまうだけの胆力をつけることが大事です。「そのようになろう」と努力して思っていれば、だんだんそうなっていきます。

 

  • 自分に大きな目標があり、それに向けてしなければならないことがあるならば、小さなことにこだわったり、くよくよしたりするのは、マイナスです。

 

『ストレス・フリーの幸福論』 第1章 ストレス・マネージメントのコツ


傷ついたことを長く引っ張っている人は、ある意味で暇人

2024-09-28 00:00:00 | 
  • 小さなことにこだわり、傷つき、それを長く引っ張っている人というのは、ある意味で、暇人です。そう言われると、もっと傷つくかもしれませんが、実際に、そのとおりです。暇なのです。

 

  • 「何年も何十年も、人から言われた言葉で悩むことができる」というのは、暇な証拠です。忙しい人には、そのようなことで悩んでいる暇などないのです。

 

『ストレス・フリーの幸福論』 第1章 ストレス・マネージメントのコツ


批判に対する対応の仕方

2024-09-28 00:00:00 | 
  • 自分に対する批判が当たっている場合は、それを受け入れ、「自分を向上させる方向に使えないかどうか」を検討してみることです。

 

  • もう一つは、「批判に対して傷つきすぎない。傷を長く引っ張らない」ということです。これを引っ張り過ぎることは罪であり、暇な証拠です。もっと前向きなことや積極的なことを考えていれば、いつまでも、そんなことにこだわってはいられないものなのです。

 

  • 九十九パーセントの人は、あまりにも小さなことや、どうでもよいようなことのために、悩んだり、苦しんだり、喧嘩をしたりしています。

 

  • 人というのは、家庭内の些細な出来事や、職場でのちょっとした行き違い、他人のちょっとした言葉や行動などで傷つくものです。

 

  • 「今、自分が悩んでいることは、つまらないトリビア(瑣末事)である」と見抜いたならば、トリビアはトリビアらしく、扱わなければいけません。「ゴミ箱に捨てるべきものは、ゴミ箱に捨てなければいけない。それを、宝物のように、後生大事に持っていてはいけない」ということです。

 

  • 悩みのうち一パーセントは重要なものでしょう。それについては、しっかりと考えなければいけませんが、九十九パーセントは、取るに足らないものなのです。

 

『ストレス・フリーの幸福論』 第1章 ストレス・マネージメントのコツ

 


阿羅漢の修行

2024-09-26 00:00:00 | 
  • 千人の人が修行に打ち込んだ場合、指導者がよく、各人の心掛けもよければ、千人が千人、阿羅漢向に達することが可能です。そして、少なくとも一週間や二週間は、その状態を維持することが可能だろうと思います。

 

  • そこから阿羅漢果に達することができる人は、その千人のうち五十人ぐらいだけなのです。そして、そこから菩薩になっていくのは、その五十人の中で五人内外にすぎません。これほど厳しい試練が待ち受けているのです。

 

  • 阿羅漢の修行として最も大切なことは何でしょうか。これには、主として二つの徳目があります。

 

  • 第一の徳目は、「一生涯、すなわち死ぬまで自分を磨きつづける」という心構えを持つことです。人間の心はガラスのようにすぐ曇りができて汚れるので、ガラスを磨くがごとく、毎日、自分を磨きつづけることが必要なのです。

 

  • 第二の徳目は、謙虚な姿勢です。なぜなら、阿羅漢の段階でいちばん危険なのは増上慢であり、小さな悟りで満足し、小成してしまう人が出やすいからです。

 

  • 特に、阿羅漢の状態では霊的現象が起きやすいので、注意が必要です。阿羅漢の状態になると、他人のオーラが見えたり、守護霊の声が聞こえたりすることがあるので、「自分は自分は偉大な光の菩薩である」と錯覚することも多いのです。

 

  • したがって、みずからを謙虚に見つけていくことが大切になります。霊的現象が起きたとしても、それに慢心することなく、一つの経験として静かに受け止め、玉石のなかの玉を選んでいく工夫をすることです。

 

  • すなわち、霊的感覚においても安定感が大事なのです。

 

  • 第一に、一生涯を通じて己を磨いていく姿勢を忘れないこと第二に、謙虚さを特に肝に銘ずること。そして、謙虚さを忘れる原因の一つに霊的現象があるので、それに対して注意すること。阿羅漢の修行においては、これらが大事なのです。

 

「釈迦の本心」 第6章 人間完成の哲学


阿羅漢とは何か

2024-09-26 00:00:00 | 
  • 釈迦の教えのなかで、教育目的としていちばん重視されたのは、阿羅漢の状態となることでした。阿羅漢がなぜそれほど重視されたかと言えば、阿羅漢の境地は、この世の人間として第一段階の完成であると同時に、あの世の高級諸霊からの通信を非常にうけやすい状態だからです。

 

  • 阿羅漢とは、この世にあって実在界の存在を感じ、実在界に生きるがごとくにこの世で生きることができるようになる、最初の段階なのです。

 

  • 阿羅漢の境地は、私の説いている段階論で言えば、六次元光明界の上段階の悟りに相当します。六次元の悟りというのは、仏法真理を知的に詰めていって悟る段階ですが、六次元の上段階は菩薩の前段階であり、ここにいるのは、菩薩の卵、菩薩への登竜門にいる人たちなのです。

 

「釈迦の本心」 第6章 人間完成の哲学


阿羅漢の状態

2024-09-26 00:00:00 | 
  • 阿羅漢の状態にもいくつかの段階がありますが、ここでは二つに大別しておきましょう。

 

  • 第一は「阿羅漢向」という状態です。これは阿羅漢に向かっている状態です。

 

  • 第二は「阿羅漢果」という状態です。「果」とは結果という意味であり、阿羅漢果とは、すでに阿羅漢に達した状態のことをいいます。

 

  • 阿羅漢向と阿羅漢果の違いは、どこにあるのでしょうか。

 

  • プロの修行者としての自覚を持って生きており、心が悩みや苦しみから解放された境地にあって、常に精進を怠っていなければ、阿羅漢向の状態にあるということができます。

 

  • そして、阿羅漢果となるためには、そうした状態が少なくとも二、三年は続いているという実績が必要なのです。

 

  • 心が穏やかで執われがなく、少々のもめごとや波風があっても心が乱されない状態、そして、みずからをよく振り返り、精進を怠らず、ある程度、天上界からの指導も受けられる状態、こうした状態が三年続けば、阿羅漢果になったと言えます。一定の期間、その状態を維持することが必要であり、それができなければ本物とは言えないのです。

 

  • 阿羅漢向になるだけであれば、人によっては一週間ぐらいで可能です。幼いころからの記憶を取り戻して、間違った思いと行いを一つひとつ反省し、両眼から涙がほおを伝うにまかせて、「法雨」を流したとき、守護霊の声が聞こえ、その光を浴びて、阿羅漢の状態になることがあります。

 

  • このように、早い人であれば三日から一週間で阿羅漢向になることが可能です。しかし、この状態が長く続くかどうかが鍵となります。一週間ぐらい山にこもって反省行を行い、阿羅漢に近い状態になったとしても、下山して日常生活に戻ると、また心に曇りをつくってしまうのが人間の常だからです。

 

  • 法雨を流して、みずからの新生を誓った気持ちが、二年三年と続いて初めて、阿羅漢果の状態になるのです。

 

「釈迦の本心」 第6章 人間完成の哲学


美と降魔について

2024-09-26 00:00:00 | 

「内面の美」や「天上の美」というものを追求することが大切で、美そのもので降魔の力をずばり発揮させるのは、そんなに簡単なことではないというふうに思っています。

『美と降魔について』 第1章 p.65

2017年9月7説法


阿羅漢の基準②

2024-09-25 00:00:00 | 
  • 第二の基準は、「みずからの守護霊からの通信を受けられる段階にある」ということです。

 

  • 反省が進み、心の曇りが取れてくると、次第しだいに心に光が射してきます。そして、この光が射したところに向けて、みずからの守護霊の光がサーッと射し込んできます。こうして、心の窓が開け、守護霊の声が聞こえるようになります。

 

  • 守護霊の声が、直接、胸に響いてくることもあれば、霊言のようなかたちで、守護霊が本人の口を通して語ることもあります。また、守護霊からの通信が自動書記というかたちで現れてくることもあります。

 

  • いずれにせよ、精神を統一し、目をつぶった状態でいると、みずからの守護霊から通信が送られてくるのです。

 

  • それが直接的であるか間接的であるかということは、さまざまですが、霊界と同通した場合には、ある程度、直接的な通信が守護霊から与えられるようになってきます。

 

  • その際に、守護霊は、地上の人間に対して、さまざまなことを言います。心の中の過ちや行動の過ちについて、一つひとつ指摘することがあります。そして、地上の人間がの則を越えている場合には、「そのようにしてはいけない」ということを教えてくれるようになります。

 

  • このように、「阿羅漢になった」という証明は、「守護霊の通信を受けられる」ということで表されると言ってもよいでしょう。

 

  • ただ、霊能者ではなくても、たとえば経営者や学者のなかには、非常に強くインスピレーションを受けているタイプの人がいます。こういう人は守護霊の通信を間接的に受けているのです。ひらめきというかたちで彼らの声を聞いていることが多いわけです。

 

  • このような場合にも、ある意味で阿羅漢の一種に達していると言えるかもしれません。

 

『幸福の科学とは何か』 第7章 阿羅漢を目指して


阿羅漢の基準③

2024-09-25 00:00:00 | 
  • 第三の基準は、「他人の気持ちが手に取るように分かりはじめる」ということです。

 

  • 「マインド・リーディング」「読心能力」という言葉がありますが、阿羅漢の状態になると、他人の考えが実によく分かるようになります。それは、まるで手に取るようなかたちです。ある人に接すると、その人の考えていることが、直感的に、ぱっと分かるようになってきます。

 

  • そして、いろいろな仏法真理の言葉が、ずばずばと口をついて出るようになります。その人の悩んでいることに対する考えや方針が、無意識のうちに、ずばずばと口から出ることがあるのです。そういう力は、たいてい守護霊から得ている力なのです。

 

  • また、阿羅漢の状態になると、相手が最後まで語る前に、相手の考えていることや言わんとすることが分かってしまうことも数多くあります。これも、阿羅漢の基準であると言えましょう。

 

『幸福の科学とは何か』 第7章 阿羅漢を目指して


阿羅漢の基準〈まとめ〉

2024-09-25 00:00:00 | 
  • 一般的な「阿羅漢の基準」としては、

 

  • 第一に、心に引っ掛かりがなく、透明感が増すこと

 

  • 第二に、霊界と同通するか、あるいは、それに近い状態になること

 

  • 第三に、他人の気持ちが手に取るように分かりはじめること

 

  • ただ、霊界と同通して、本人は自分を阿羅漢だと思っていても、実は地獄の悪霊に支配されている人もよくいるので、よくよく注意しなければなりません。

 

  • どのような点で間違わないようにしなければならないかというと、「増上慢にならない」ということです。

 

  • 霊的能力を持ちたがる人、あるいは持った人には、どうしてもうぬぼれの気持ちが出てきます。その気持ちのところに魔が忍び込み、本人を転落させるよううに誘惑することになるのです。これがいちばん危険な現象です。

 

  • したがって、阿羅漢の状態に近づいたと思ったら、みずからを謙虚に考える必要があります。みずからを謙虚に捉え直していく必要があります。こうして初めて真実の阿羅漢となれるのです。

 

  • 単に「霊の声が聞こえた」ということだけでは阿羅漢とは言えません。その人が増上慢で、心が高ぶり揺れているときに、阿羅漢であることはありません。

 

  • 阿羅漢の状態になれば、心は不動心であって揺れず、そして、心に透明感があります。いつも、心が揺れず、安らいでいる状態でなければならないのです。

 

『幸福の科学とは何か』 第7章 阿羅漢を目指して


阿羅漢をつくる方法①

2024-09-25 00:00:00 | 
  • 阿羅漢になるためには、どのように努力すればよいかというと、まず仏法真理を学ぶ必要があります。

 

  • 私は仏法真理の書物を数多く出していますが、その目的は、「何が仏の心にかなう考えなのか」ということを、みなさんにまず知っていただくことにあるのです。

 

  • それは、知ることなくしては真実の反省ができないからです。まず知ることです。知ることによって、反省ができるようになっていくのです。

 

  • 仏法真理に照らすことで、「自分の思ったことや行ったことの、どこが、いったい違っているのか」ということを点検していくことができます。たとえば、「自分は、よかれと思ってやったことが、仏法真理に反している」ということは、ままあるわけです。こういうところが実に問題なのです。

 

  • したがって、私は、常々、「阿羅漢をつくるためには、まず仏法真理の学習が何よりも大切である」と訴えています。そして、仏法真理の学習をすることによって、阿羅漢が、ますます、その境地を深めていくことになるのです。

 

『幸福の科学とは何か』 第7章 阿羅漢を目指して