備忘録

忘れないための頭の中のメモ帳

供養と四正道【発展】

2024-08-17 00:00:00 | 
  • あなたは、自分が地獄に堕ちていることに、なかなか納得がいかないかもしれません。しかし、あなたは生前、世の中のお役に立ちましたか。人に迷惑をかけないで、己れを伸ばしましたか。人々の幸福増進に役にたちましたか。ユートピアの建設を考えたことがありますか。

 

  • あなたは「自分は悪いことをしていない」と言いますが、では、プラスのことはしましたか。あまりしていなかったのではないですか。自分のことしか考えなかったのではないですか。これを反省してください。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


供養と四正道【反省】

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 物質欲、金銭欲、色欲、酒欲、賭博欲、出世欲、名誉欲を、この世的にのみ追い求めたならば、欲また欲の人生となり、地獄に堕ちてもおかしくありません。

 

  • なぜならば、地獄に堕ちる原因は執着だからです。

 

  • この世への執着は束縛です。この世に未練があるので、死んでも、この世から離れません。「この世の方がよい」という人なので、天国に上がれないのです。

 

  • したがって、この欲を断つ必要があるわけです。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


供養と四正道【知】

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 本当の意味での智慧とは、「この世とあの世を貫く智慧」なのです。

 

  • 「心の三毒」(貪・瞋・痴)の「痴」で言う愚かさとは、決して「頭が悪い」という意味だけではないのです。学歴が高くても愚かな人は大勢います

 (中略)

  • この世的に博学だからといって、あの世へ行ったときに、あの世の知識が豊富かというと、そうでもないのです。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


供養と四正道【愛】

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 四正道の「愛」とは、他人を愛することです。

 

  • 愛と言うと、すぐ「愛をもらうこと」と思ってしまうのは間違いであり、そのように思うと地獄行きになるのです。

 

  • 愛とは、人に対して優しくすること、与えること、見返りを求めないことなのです。

(中略)

  • 執着になると、一種の煩悩、葛藤になって、死後、子孫に憑依してくるような先祖になる可能性がきわめて高くなります。

 

  • したがって、諸行無常の理を知っていなければないけないのです。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


天国に還った人にも、地獄に堕ちた人にも分かりやすい

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 仏説・願文『先祖供養経』」は、地獄に堕ちた人を念頭に置いているので、分かりやすく教えを説いています。

 

  • ただ、先祖のなかには、地獄に行っている人もいれば、天国に還っている人もいます。

 

  • 「地獄に堕ちていれば、お経をあげる必要があるが、天国に還っているならば、お経はいらない」と思うと、どうしてよいのか分からなくなります。

 

  • しかし、「仏陀に帰依させて、四正道を勧める」ということであれば、天国に還った先祖に対してであっても非常に尊いことです。先祖は、生前には、おそらく幸福の科学の教えにほとんど触れていないでしょうから、四正道を説いてもらうことによって、あの世での修行がさらに進みます。

 

  • それは先祖の霊格向上の原理になるのです。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』

 


「仏説・願文『先祖供養経』」の特徴

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 「仏説・願文『先祖供養経』」の特徴は、あの世の人を諭してしながら、同時に、この世の人にも、「自分もそうならないようにしなさい」という戒めと教えを用意していることです。

 

  • あの世の霊人に帰依させて、四正道を教えながら、同時に、この経文を読んでいる人自身をも、「みずからを振り返って、悪いところに行くことがないように」と戒めているのです。

 

  • したがって、これは、あの世とこの世が同時に救われる方法論なのです。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


自らを振り返る気持ちが出てくるまでは

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 傲慢になって、「自分がこのようになるのはおかしい」と思い、「自分が、自分が」というようなことを一生懸命に言っている人は、もはや救いようがないのです。

 

  • 「私は何一つ悪いことをしたことがない」というなことをくり返し言っている人は、救えないので、しばらく放置する以外に手がありません。

 

  • みずからを振り返る気持ちの全くない人、傲慢な人は、どうしようもないので、「私は本当にだめな人間だ」ということが自分自身で分かるところまで、一定の期間、地獄のなかに置いておくしかないのです。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


帰依することで赦しの門が開く

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 帰依といえば、通常は、この世での、サンガにおける三宝帰依をいいますが、ここでは、あの世の諸霊に対しても帰依を勧めています

 

  • 「まず、帰依しなさい。帰依することによって、あなたがたに救いの道が開かれるのだ。帰依しないで、ただ『救え』というのは傲慢である。あなたがたも仏陀に帰依しなさい」と言っているのです。

 

  • 帰依することによって、素直に教えを聴く心が出てきます。帰依することによって、みずからを反省することも可能になります。それによって、救いの道が開けるのです。大いなるものに帰依し、素直に心を開き、反省の涙が流れるようになって初めて、赦しの門が開くのです。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


先祖供養と因果の理法

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 「因果の理法」的に言えば、天国に行くか地獄に堕ちるかは、生前の行為によって決まるわけですが、遺された子孫には、「地獄に堕ちた先祖を、生前の行為がよくなかったからというだけで、そのまま放置するのは忍びない。何とかしてあげたい」という気持ちが出るのも事実です。

 

  • 1992年の「先祖供養祭」で、私は「廻向(えこう)」*について話をしました。「子孫が徳を積み、その徳の力、光の力を廻すことによって、先祖を救ってあげることができる」という話です。

  (*『幸福供養祭 特別御法話』第1章)

 

  • 例えば、足が不自由で、自分だけでは歩けない人でも、他人が手や肩を貸したりして介添えしてあげると、歩くことができます。廻向という思想も、それと同様です。「光を手向けることによって、多少なりとも、彼らを救ってあげることができるのではないか。浮きのようなものを与えることができるのではないか」というのが先祖供養の思想なのです。

 

  • そのためには、遺された子孫が、きちんと立派に修行をしていること、正しい宗教に帰依し、そのお手伝いをしていることが非常に大事です。それによって、子孫は光を受け、徳を積むことができるわけであり、子孫のその徳が先祖のほうにも伝わっていくのです。

 

  • 「祖先の人生は、あまりよい人生ではなかったけれども、子孫たちは、世の中のため、人助けのために、立派に尽くしている」ということであれば、そういう子孫をつくったのは、当然、先祖の力でもあるので、先祖のほうにも影響が出てくるわけです。そういう因果関係が、あることはあります。

 

  • したがって、あくまでも因果の理法は無視しがたいものではありますが、「亡くなった方を救いたい」という気持ち自体もまた、愛の気持ちであって、尊いものだと思います。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


『仏説・盂蘭盆経』

2024-08-17 00:00:00 | 
  • この経文(『仏説・盂蘭盆経(うらぼんきょう)』では、釈迦の十大弟子の一人である大目連(マハーマウドガリヤーヤナ)が主人公です。

 

  • 大目連は神通力(じんつうりき)を身につけ、霊界のことが分かるようになりました。そして、あるとき、「私の母は、亡くなったあと、いったいどうなっているのだろうか」ということが気になって、霊視能力、透視能力でもって、亡くなった母親を捜してみました。ところが、天上界のどこを捜してもいないのです。

 

  • 「おかしいな。どうしていないのだろうか」と思った大目連は、まさかとは思いましたが、今度は地獄界のほうを見てみました。すると、あにはからんや、彼の母親は餓鬼道に堕ち、骨と皮のようになってしまっていました。何も食べられず、やせ細って、餓鬼の姿になっていたのです。

 

  • 大目連は、「哀れ、わが母よ。なんというお姿になっているのか。いったい、なぜ、そんなことになってしまったのか」と思い、こみ上げる涙を抑えることができませんでした。

 

  • そして、お茶碗一杯のご飯をよそい、それを、餓鬼道に堕ちた母の所に、神通力によって届けました。

 

  • しかし、母親が、そのお椀を左手に取り、右手でご飯を食べようとすると、それはたちまち燃え上がり、炭になってしまったのです。

 

  • 「なぜ、こんなことになるのだろうか」と、不思議に思った大目連は、仏陀に、「母が地獄でお腹をすかせていたので、ご飯を供養したのですが、燃え上がり、炭になってしまいました。どうしてでしょうか」と尋ねました。

 

  • すると、仏陀は、「マハーマウドガリヤーヤナよ。おまえが供養したものは、母親が食べようとすると、燃え上がってしまい、食べることができなかった。しかし、おまえだけが母親を救えないのではない。天界のあらゆる神々が努力しても、おまえの母親を救うことはできないであろう。なぜならば、おまえの母親は、生前、非常に吝嗇(りんしょく)であったからだ」と答えたのです。

 

  • 吝嗇とは、物惜しみをすること、ケチなことです。

 

  • 大目連の母親は、たとえば、お坊さんが来ても布施をしなかったのです。「働きもしないで、乞食ばかりしているような坊さんに、何の値打ちがあるか」と、棒で追い払ったりしました。

 

  • また、彼女は、隣近所の犬や家畜などの動物を棒で叩いたりするという、非常にむごいこともしています。殺生の心も持っていたのです。

 

  • そのために地獄に堕ちているのであって、大目連の力でも、あるいは天神の力でも、それを救うことはできないと仏陀は言ったのです。

 

  • 「お前の母は、生前なしたことによって、そうなっているのであり、たとえ、子供であるおまえが、わが弟子となり、悟って神通力を持ったとしても、母を救うことはできないのだ」と仏陀は語りました。

 

  • 要するに、仏陀は「因果の理法」について話をしているのです。

 

  • 大目連は仏陀に訊きました。「世尊、因果の理法については、よく分かりました。しかし、このままでは、あまりにも母が哀れです。どうにかして救ってあげたいのです。何か方法はございませんでしょうか」

 

  • すると、仏陀は次のように答えました。「それならば、一つだけ方法を教えよう。『自恣(じし)』のときに、花や食べ物を供え、大勢の比丘で声を合わせて、亡くなったものを供養し、その幸福を祈ってやれば、救うことができる」

 

  • これを「盂蘭盆」といい、これがお盆の起源と言われているのです。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


お盆の起源

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 日本では、毎年、夏になると、お盆に先祖供養をするわけですが、「先祖供養というものは、どのような起源を持っているのか」ということから話をしてみたいと思います。

 

  • 「仏教思想のなかに、はたして先祖供養をする思想があるのか」ということについては、学者のあいだでも、いろいろと意見が分かれています。

 

  • インドから東南アジア方面に伝わった南伝系統の仏教の、パーリー語で書かれている阿含経等のお経を、西洋の学者が翻訳していますが、彼らの、「仏教は非常に現実主義であって、あの世のことなどをあまり説かない教えなのだ」という解釈が、日本にも、明治以降、かなり流入しています。

 

  • そのため、「先祖供養的な思想は、仏教の教えとは相いれないものだ」という見解も、仏教学会のなかでは、かなり強いのです。

 

  • しかし、インドからチベットや中国へ伝わり、朝鮮半島を経由して、あるいは中国から直接に、日本に入ってきた、北伝系統の仏教のなかには、先祖供養に当たる内容の経文が確かに遺っているのです。

 

  • 竺法護(じくほうご)という人が翻訳したとされる、『仏説・盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という漢訳のお経があって、このなかに出てくる「盂蘭盆(うらぼん)」がお盆の起源であると言われています。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


救済力の源は信仰心

2024-08-17 00:00:00 | 
  • 救済力の根源はどこにあるかというと、やはり信仰心なのです。多くの人たちが信仰するようになってくると、救済力は拡大してくるのです。

 

  • 信仰心が立たない場合、すなわち、哲学的思想としてのみ学習している場合には、救済力は出てきません。学問的にいくと、学力がつくかどうかは各人の問題です。しかし、信仰心が高まってくると、同時に救済力も出てくるのです。

 

  • 多くの人たちの信仰心が集まってくると、光を欲している人たちのところに、熱い情熱の塊、光の塊のようなものを手向けていくことができるようになるのです。

 

  • 多くの人の信仰心のエネルギーでもって、光が欠乏している人たちのところに光を廻していくことができます。

 

  • したがって、信仰と救済は一体なのです。

 

『仏説・願文「先祖供養経」講義』


供養と徳について

2024-08-14 00:00:00 | 
  • この世の人が供養してくれるということは、あの世の人に徳があったことを意味しているのです。供養もしてもらえないような人というのは、徳がないわけです。

 

  • 亡くなった方に徳があって、遺された人が、「あの人は、よい人だった。惜しい人だった。気の毒だったなあ」と思うと、供養してくれますが、「死んでくれてよかった」などと言われるようだと、供養してくれなくなります。

 

  • ですから、「供養してくれる」というのは、「徳があった」ということなのです。

 

  • この世に生きている人にとっても、供養することは、徳を積むことでもあります。

 

『先祖供養の心』より


四正道と供養について

2024-08-14 00:00:00 | 

【愛】ー「与える心」「仏教的慈悲」

  • あの世に還って、迷っている人は、この愛を、「愛着」「執着」のほうに捉えているのです。この世の職業や、遺された家族、子供、その他、財産等、さまざまなものに執われています。ここで説いている愛というのは、執着のことではないのです。

 

  • 愛が、執着になっては駄目ですよ」ということです。

 

  • サラサラと流れていきなさい。この世で結んだ縁は、やがて解けていくことはあるけれども、執着しないで、あっさりと、次の世界に移っていきなさい」ということを言うのです。

 

【知】ー「智慧」「仏法智」

  • 仏法の教えに基づいた智慧霊界の知識を含んだ智慧を持ちましょう。」ということです。

 

  • あの世に還ったから分かるようになるかというと、そのようなこともなく、この世において信仰を持たず、宗教知識を持たなかった人は、あの世に還っても、さっぱり分かりません。

 

  • こういう意味で、この世において、宗教に目覚めて、学んでおくことは、大事な大事なことなのです。

 

  • 「死んだら、それで終わりだ」と思っている人にとって、死んだ世界があったらどうなるかというと、「自分は死んでいない」と思うだけであり、「まだ生きている」と思っています。

 

【反省】

  • 「反省」も、あの世に還ってからも行ってほしい基本の教えです。

 

  • この世にいるときに、なるべく、反省の習慣を持って行った方がよいでしょう。

 

【発展】

  • 「発展」とは、「仏国土ユートピアづくり」です。自分一人だけではなくて、他の人々とも手を携えて、大いなる仏国土づくり、ユートピアづくりに向けて、努力・邁進することです。

 

  • 個人主義になりすぎないようにしなければいけません。

 

『先祖供養の心』より


「あの世の知識」と「正しい供養」がわかる本

2024-08-14 00:00:00 | 

『永遠の生命の世界』

『霊界散歩』

『死んでから困らない生き方』

 

『正しい供養 間違った供養』

『霊的世界のほんとうの話。』

『あなたは死んだらどうなるか?』

 

『供養の考え方』

『幸福供養祭特別御法話』

『先祖供養の心』

『仏説・願文「先祖供養経」講義』

 

『新しい霊界入門』