明治大学から学徒出陣した父の卒業アルバムの一ページから抜粋している。当時にしてはずいぶんと立派なもので、ラシャ布のはられた分厚いものだ。
最後のページには学年全員の住所氏名が記載されている。 . . . 本文を読む
たまに、この写真をアップしないと、忘れてしまいそうになる。
現物は大学へ寄贈した。なぜなら、息子がアルバムを十分に活用するとは到底思えないし、置いてあった場所も不安定な家で、いつ他人の手に渡るかわからないからだ。その家にはまだ膨大な父の写真が残っている。概ね持って帰ってきたが、マンドリンクラブに属していた父が、顧問の古賀政男氏と一緒に写っている写真は今では貴重だろう。 . . . 本文を読む
学徒出陣時の父の卒業アルバムから、昭和18年時の明治大学和泉校舎の学生食堂のワンシーン。この中で、無事生還した生徒は果たして何人いただろうか・・・ちなみに父はこの学生食堂で日米開戦の報を聞いたという。「大変なことになったなぁ」と学友と話し合ったそうだ。 . . . 本文を読む
だいぶくたびれているが、C Classの文字も読み取れる、貴重な一枚。皇紀2603年、すなわち昭和18年の学徒出陣に際しての卒業アルバムということが判明する。IZUMIGAOKAの文字は、明治大学和泉校舎のことである。 . . . 本文を読む
戦意高揚を掲げた、学徒出陣時の父の卒業アルバムには、このようなページがある。昭和18年、敗色濃厚になった国内情勢では、昭和17年上半期の戦勝に沸く新聞記事を掲載し、出陣学徒の士気を鼓舞するほかに手立てはなかったのだろう。「帝國百年決戦」、「蘭印完全占領」「香港陥落」などの文字が躍っている。 . . . 本文を読む
昭和18年、学徒出陣時の父の卒業アルバムから抜粋。物資の乏しいあの時代に卒業アルバムがあったことが奇跡としか言いようがない。アルバムは大学に請われて寄贈したが、残っていたデジカメの写真をアップする。この叉銃に用いられているものは着剣した38式歩兵銃か、校旗がなぜか物悲しい。 . . . 本文を読む