3月11日は東日本大震災の日ですが、前日の3月10日の未明は東京大空襲の日、下町は丸焼けになり、本郷で薬局を営んでいた親父の養父は、防火班長をしていましたが、余りの火勢に防空壕へ入りましたが直撃弾を受け、影も形もなくなってしまい、命からがら逃げ切った祖母が、誰のものだかわからない骨を拾って来て葬ったそうです。
300機のB29が空から焼夷弾をばら撒き、およそ10万人の犠牲者が出ました。
いわば究極の人災です。
戦争だから仕方ないと諦めていたのか、祖母は当時のことをあまり話しませんでした。
マンション近くの稲荷神社の境内脇にひっそりと背の高さほどある東京大空襲の慰霊碑が建っていますが、訪れる人もまばらです。
ウクライナの戦火を対岸の火事と見ていると、独裁者のプーチンのことですから、トランプの『日本は守らない』などという、日米安全保障条約を無視した虚言をいいことに、北海道に大量のロシア人を住まわせて、『ここは昔はロシアの一部であった』と、領土侵犯をしかねません。
『そんなこと、あるわけないだろう』
考えられないことが起きるのが現代社会です。
ぬるま湯的な環境で育ち、チヤホヤされて育った現代人に、果たして国を守るという意識があるかどうか。
実戦で鍛えられたロシア軍と、甘やかされた若者の多い職業意識の強い自衛隊、どちらに軍配が上がるかは火を見るより明らかです。
それでなくとも飯の量まで規制されている今の自衛隊員に、果たして飛び交う弾の下を潜る覇気があるかどうか。
3月10日の東京大空襲も、終戦80年を区切りにして、伝える人も次第に少なくなって来ました。
3月10日は東京大空襲から80年の日でもあることを忘れてはならないでしょう。