ー独り言ー    「gooブログ」

気の向いたときに・・

ラッセル・クロウの3:10 TO  YUTA=「3時10分 決断の時」→「決断の3時10分」のリメイク

2012年10月22日 10時22分06秒 | 映画を観て

この映画は もともと「犯罪映画・エルモア・レナード」の初期に書かれた「短編西部劇小説」「3:10 TO YUTA」(53)が 元らしい。前回の続きによると、「ラッセル・クロウ演じる 極悪人は、クリスチャン・ベール演じる何がなんでも父のあるべき姿を見せたいが故に最後まで 命を懸けてラッセル・クロウを護送する人物」の願いを 叶えてやりたい!と思う
ようになる。従って 手下に もう 「撃つな!」と命じたにも関わらず「手下は クリスチャン・ベールを撃ってしまう」その様子を、クリスチャン・ベール演じる人物の長男が、全て
見てしまう・・しかし「その息子は」「お父さん、最後まで きちんと 護送したね!」と
語りかける。ラッセル・クロウの方は、自分が手下に「撃つな!」と言ったにも関わらず
「撃った手下全員を 自らの銃で全員撃ち殺してしまう」 その時の ラッセル・クロウ
の 目は「怒りと悲しみに満ちていた」
わたくしが気になるのは、「ラッセル・クロウが、食事中に[神は、・・・]=[箴言21とも言った]」と言ったシーン
や 」途中に「アパッチなら 皆殺しにして良いと イエスは 言われたのか?」と
言ったシーン・また 最後に 「命令を守らなかった手下を撃った」「銃の飾りになぜか」
「十字架」が 入っている点。結局 この映画には、もっと 「深い意味=箴言21」 との
関連etc.が あるのでは・・と 思った。かなり 「深い意味を持った映画なのかなぁ・・」
とも 受け取れる。おまけですが、ラッセル・クロウは、一応護送列車に乗りますが、
「口笛をふき、愛馬を呼びます。」まあ 又 「逃走するであろう事を 想像させます。」
死ぬ程 長くなってしまいました。万が一でも 全部 読んで下さった方
お疲れ様でした。拙い文章 失礼致します。ありがとうございます。


ラッセル・クロウの3:10 to YUTA を 観て & 箴言21

2012年10月22日 09時39分24秒 | 映画を観て

「ラッセル・クロウの3:10」は、「3:10 決断の時」この映画 リメイクです。
ストーリーは、「盗賊=極悪人=ラッセル・クロウを ユタ行き3:10の列車に
乗せるまでのストーリー。」だが、ここに描かれている事は、「極悪人=ラッセル・クロウ
を ユタ行きの列車に乗せる為に」 「何人か雇われるが そのうちの1人の男=クリスチャン・ベール→と思うが、」この男の「父親としての息子に対するあるべき態度」「一家の大黒柱としての気持ち」=「一番の思いは おそらく 息子にとって 誇れる父でありたい」と言った気持ちであろう。ラッセル・クロウの演じる極悪人は、この人物そのものにも、過去が
あり「飲んだくれで亡くなった父と春を売る母との間に生まれた子供」と 護送する1人に
言われ もちろん 「母を侮辱する人間を 怒りのあまり 殺してしまう。」ラッセル・クロウの演じる人物は、「父が 亡くなった後、母に聖書を手渡され 全部読みなさい」と
言われる。全部読み終わったのが、母から言われた3日後である。母は この時 もう
ラッセル・クロウのそばにいない。捨てられたのか?母が 亡くなったのか 分からない。
途中 極悪人と言えど、食事をさせねばならないので、護送するクリスチャン・ベール
の家で 食事をとらせる。クリスチャン・ベールの妻が、ラッセルの事を「本当に悪い人間
では、ない・・のでは?」と言うくだりがある。又食事のシーンにて お祈りの時に
ラッセル・クロウが「神は、なんとか・・・」と言い「箴言21」と言うくだりがある。
最後は、ラッセル・クロウは、クリスチャン・ベールの「なぜ、護送するはずだった人間
全員が逃げても なおかつ 命の危険を顧みず 自分を護送しようとするのか?」の真意を知り 「クリスチャン・ベールの演じる父親としての尊厳etc,」に 共感し わざと一緒に
「護送されるべき列車3:10 ユタ行き」に乗る協力をする。多分 「ラッセル・クロウ
演じる極悪人は、(クリスチャン・ベール演じる父親=父としての尊厳を保ちたい)を人間的に 好ましく思ったのでは ないか・・と思われる」最終的には ラッセル・クロウ演じる
極悪人の手下が、「ラッセル・クロウが手下に 撃つな!」と言うにもかかわらず クリスチャン・ベールを 撃ってしまう。続き。