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ジョン・マッケンローと松岡修造、36年前の対戦!

僕が尊敬するレジェンドテニスプレイヤー、ジョン・マッケンロー。

そんな彼が、1988年のジャパンオープンの準々決勝で松岡修造が対戦したが、その際に撮影された生写真を入手した。ちょうど、コート入りする2人を並んで捉えた写真だが、この歴史的なゲームに向かう2人の戦士を収めた、36年も前の貴重なスナップショットである。

松岡修造は当時21歳で、まさに伸び盛りだった。一方マッケンローは29歳で、依然世界のトッププレイヤーではあったものの、1983-84年頃に迎えたピークを過ぎて晩年に差し掛かっていた時期でもあった。対照的な2人がテニス史の中でクロスオーバーし、日本で一戦を交えた歴史に残る名勝負だった。

松岡修造はこの1988年のジャパンオープン3回戦で、当時チェコのトッププレイヤーの一人であったミロスラフ・メチージュ(当時はメシールと言っていたような気がするが)をストレートで破り、勢いに乗って迎えたマッケンローとの準々決勝であった。

結局、試合はタイブレークで第一セット、第二セットを制したマッケンローが辛くも勝利した。第一セットのタイブレークは松岡修造が終始リードし、セットポイントを握ったこともあったが、最後はマッケンローがキャリアの差で押し切ったが、松岡修造が世界に肉薄した瞬間であった。そしてこの活躍もあってランキングもトップ100以内に入り、その後も世界への大きな足掛かりとなった。

その後、錦織圭など世界で活躍した日本人選手も登場したわけだが、80年代当時は、まだ日本人選手が世界のトッププロに勝てるような時代ではなかった。そんな中で、松岡修造はまさに日本のテニス界の先駆的な存在だったと思う。今や暑苦しい(笑)キャラですっかりバラエティーでお馴染みとなっている松岡修造だが、当時は世界を目指していたのが何とも懐かしい。

写真を見ると、足元にはやっぱりナイキのエアトレーナーHiが。ちょうど80年代後半の試合ではナイキのウェアと、依然Dunlopのラケット、Max 200Gを愛用していたのである。そしてこの時、準々決勝で松岡修造を破ったマッケンローは、最終的に決勝まで進み、エドベリ(当時はエドバーグと呼んでいたが)を6-2, 6-2と圧倒的な強さを見せつけて、見事ジャパンオープンで優勝した復活劇が、マッケンローファンには何とも嬉しい出来事であった。そして伸び盛りの松岡修造が、結果的にこのお膳立てをしてくれていたのだと思うと、この1988年のジャパンオープンは僕の記憶に残る大会であった。今回入手した懐かしい写真によって、また当時のマッケンロー、そして松岡修造を振り返る良い機会となった。

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