ブッちゃん 笑って‥

2015年1月‥
お空に引っ越したブッチへの詫び状

ママと呼ばないで。

2017-05-14 18:21:00 | 日記
ブッちゃんへ



生涯独身のまま(このままいくと)、親になることもなかった私宛てに 『母の日』の贈り物が届いた。

何ともくすぐったいような、泣いてしまいそうな、気持ちになった。



ブッちゃんが生きている間、たとえば動物病院で、犬の美容室で、散歩中に遭う犬友さんからブッチママ、ブッチくんのお母さん、と呼ばれることに抵抗があった。


同じく独身のネ子ちゃんのお母さんやリキくんのママは自ら、ママは、お母さんはと呼び我が子に話しかけていた。


子犬育ての経験がないこと。


ブッちゃんが私の元へやってきた時にはすでに成犬だったし、何も教えることなんてなかった。
生後2ヶ月か3ヶ月の子犬を迎えたネ子ちゃんのお母さんやリキくんのママとは、そこら辺が違うからだろうか。

それとも自分には母性というものが欠けているのだろうか。

そんな小難しく考えなくてもと、我ながら可笑しくなる。


ブッちゃんはどうだろう。

ブッちゃん、おかあさんが迎えに来たよ。
ブッちゃん、ママのところがいいの?

へ? この人? まりちゃんと違うの?
混乱しなかっただろうか。




ある時母が言った。
あんたも少しだけマシになった、と。

80に近い母親が、四十路をとっくに過ぎた娘を案じている。

勝手気儘の、いつのまにか中年になった我が娘を見ていて思うところがあったのだろう。


ブッちゃんに逢うまでの自分は自分のことだけをしていればよかった。自分だけを可愛がればよかったのだ。

休日は自然と目が覚めるまで寝ていたいし、誰とも会わず引きこもっていたい。

仕事を除けば365日全部が自分の時間だ。




ワンコといるとそうはいかない。
休みの日はブッちゃんの気の済むまで散歩につきあってやりたい。

食欲はどうか、おしっこの色と量、うんちは緩くないかと目を配る。

いつもと様子が違っていれば病院へ駆け込むこともある。

前世はナマケモノではないかと思うくらいぐうたらな人間だけれど、面倒だと感じたことは一度もなかった。


楽しそうにしているのを見るのが楽しかった。


母が言ったことはこういうことなのかと。


自分が産んだわけではない、種も違う。
それでも小さき者を守り、慈しみ、愛情を注ぐ。幸せでいてくれたらそれが自分の幸せ。
ブッちゃんの笑顔が見たいのだ。


母とはそういうものなのだろうかと。


天気の良い日曜日に引きこもり、
生まれて初めて頂く『母の日』の贈り物を前にして、そんなことを考えていた。





まるちゃん、『大阪のママ』みたいだと言ってくれて照れくさいけど嬉しかったです。

で、ですね
ブッちゃんに伝えてくれませんか。
遅ればせながらではありますが、まりちゃんはブッちゃんのお母さんなんだよって、伝えてくれませんか。


えっ・・・。そうやったんっ!?
そうブッちゃんは言うと思いますが
よくよく言い聞かせてやってください。











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