KHANADA~by ddbj2

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追悼 1・17

2015年01月17日 | ddbj2 コメント
「あの日」から早20年。今朝と同じように「凛」と冷え込んでいたような気がする・・・。

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「あの朝」。もしかしたら、直前には目覚めていたのか、夢の中の出来事と錯覚していたのか、定かではない。


 轟音の響き(今から思えば、南西方向=淡路島北端方向から)の後、上下左右の経験もしたことのない突き上げるような振動。
 目の前は真っ暗で、布団(体)の上にモノが次々落下してくる。顔を布団で覆う事すらできず、半ば金縛り状態、眼も開けられない・・・「早く収まってくれ・・・」。



 揺れが収まり・・・そして、静寂。



 ようやく地震である事を理解する。暗黒の部屋の中、記憶を頼りに懐中電灯(自転車用のものを外して所定の場所に置いていた)を確保。

 1階に降りて家族の無事を確認。ガラス片等散乱。室内ではあるがスリッパでは危険、靴に履き替え手袋も着用。
 停電であったが、当時はまだ黒電話が現役であり、近しい親戚には連絡がその時は繋がった(その後は回線過多で不通となる)。

 常日頃から、母が乾電池でラジオを聴いており、スイッチを入れる。西日本で強い地震との報道。しかし、神戸市の我が家がこれだけ揺れたのにも関わらず、神戸地域の震度発表はない・・・「何故?」。

 情報を収集すべく、チューナーのダイヤルを回すも、地元「ラジオ関西」「NHK神戸放送局」の周波数からは放送が聴こえてこない。

 
(揺れで落下した)ラジオが故障した?

 いや。大阪他局は放送されている・・・。その時ようやく悟った。


 神戸が中心の地震だと、そして、放送局も停波するほどの大規模なものであること・・・。


 ようやく夜が明け、陽もさしてきた。部屋を確認することに。
 今ほどレコード・CDは所有していなかったが、このときはあきらめの心境だった・・・。
 「形あるものいつかは壊れる。」
 冷蔵庫も「歩いて」いたし、テレビ(当時は当然ブラウン管)はラックから落ちてお辞儀状態。それでも地震の方向が棚からは壁向きだったため、想像を超えるものではなかった。


 ただ、この「方向」が逆であれば、私自身がタンスの下敷きになっていたと実感した時は、背筋が凍りついた・・・。

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 「あの日」「あの朝」「あの時」から20年。


  私は今日も生かされている。   合掌。

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