先日の”おとがたり公演”太宰治「人間失格 〜道化と狂気のモノロギスト〜」について、なかなか公演後記が書けないでいます。書くことはいっぱいあります。台本作りから、リハーサルのこと、本番。そして今回の公演が特殊に感じたのは、終わってからの事。登場人物をドライに見てはいますが残響が…。それは今度お話します。
そんな中、永井荷風のひとり語りの本番をむかえました。
このさりげない集まりではリクエストの「濹東綺譚」をやります。
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ちょっと大袈裟なことを言いますが、太宰の作品で死を見つめながら絶望の深淵に立ち、冷気と湿気にじっくり浸された身体が、荷風の文体の中ですこし和らぐ感じ。そして風に吹かれながら、少しづつ身が落ち着いてくる気がしました。
登場人物の言葉を言うにしても
風景を語るにしても
どこかで乾いた風が流れている。文体がさらっとしてるのです。
味わい、情味というものも、どこかじわっと滲んでくるように感じます。
荷風は60才手前(58才)でこの作品を書いている。
人も違うのですがやはり年齢が違います。
太宰は39才で「人間失格」を書いてその脱稿一ヶ月後に入水。(深読みしてもどうかと思いますが、死んでこの世に作品を置き残したようにも思えます)あっ・・・引っ張られてはいけない(笑)
さて、荷風先生。
濹東の世界を読みつなぎ1時間15分ほど。
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これは近年、おとがたりで再演を重ねていて
ヴァイオリンがあってこそ生きるラヴィラントは読まなかった。共演者の喜多直毅さんは様々な情景の描写が大変美しく、しっとり儚く、静かに冬の日の太陽まで淡く弾いて下さる。
今回はその代わりに、場面や言葉をえらびとって、ひとり語りでじっくり聞いて頂けるように工夫もしました。
ひとりで、ふたりで、この作品を語っているけれど、私が荷風先生がこの作品を書いた58才、いやそれよりもっと年を重ねた時、この作品をどんな感覚で語るのだろう。私が生きているのかもわからない、また耳を傾けて下さる方たちがいらっしゃるのかもわからない。世の中はうつろうものだから。電車の中そんなことを思っていました。
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*江戸川を越えると市川。
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そろそろ、「人間失格」のことも書かなくちゃ。書けるかな。