こんにちは、長浜奈津子です🌸
寒いと思ったら… 雪が降りました!
美しい寒椿… 雪が似合いますね。
すー、と呼吸すると… 雪の香り、山の空気の清廉さを感じて、よい。
さて、今日は「朗読空間」を始めたころや、
泉鏡花作品のことなど、いろいろお話ししたいと思います。
<3月31日(日) おとがたり朗読公演『高野聖』の準備>
3月末、六本木のストライプスペースで、おとがたり公演があります。
今、私はその準備をしているところです。
魔界と現実の交差する、泉鏡花の幻想小説、『高野聖』 を演目に選びました。
8度目の飛騨山越え…になります。
「 参謀本部 編纂 の地図をまた 繰開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから…」
… とお馴染みのフレーズがはじまると、このあとはじまる長い山越えを覚悟に、もう身体が読む体勢になりますし、すぐさま、この後でてくる「富山の 反魂丹売(はんごんたんうり)」(登場人物の一人)、ねじねじした、嫌〜な感じの薬売りが心に浮かんできます。
実は、4/7 (日) おとがたり朗読公演で『高野聖』を選んだのですが、私は、泉鏡花の作品の中では一番朗読をしている作品なので、自分の中でドラマがすぐ動き出すのです。
おとがたりでは初演になります。__私はとても楽しみです!
<『高野聖』初演の頃>
私はひとり語り「朗読空間」を始めたとき、泉鏡花の『外科室』を初演にはじめました。
…それはもう、作品に強く惹かれて決めたのです。
鏡花 28才の時の作品。ごくうすい本をひらき、活字を目で追い始める。はじめは難しい文体に、文字を眺めたり音声化して、ゆっくり触っていくように読み始めました。『予』という一人称を知ったのもこの作品です。
やがてこの「愛の物語」がすーっと見えて来た時に、読んでみたい!と心が動いたのです。
限りなく純度の高い「愛の結晶」という言葉が心に浮かびました。たった一度の逢瀬、視線をあわせたその時に生まれた一生の愛。それは死によって結ばれ、誰にも知られないまま、永遠の結晶となる。
こんな言葉、夢物語が、鏡花の手にかかると、まったく歯に浮かない世界となる。すごい…。
本番を迎える少し前、坂東玉三郎監督、吉永小百合主演の『外科室』を観ることができたことで、よりそのイメージが鮮やかに浮かび上がりました。
独特の美学で語られる前半部分も、吉永小百合さんでの映像化なので、美しいばかりではなく、まるで現実のように感じられました。とても高貴な物語。また ”美” にこだわり続ける一流の玉三郎だから映像化できたのでしょう。
それと、読書ではなかなか見えてこなかった部分(最後の男2人が話をする場面)が理解できてよかったです。
「朗読空間 其の一」ひとり語り公演を始めた最初の作品でした。
<『海の使者』を朗読する>
『外科室』はごく短編のため、朗読会の後半では『海の使者』を朗読しました。
この作品、初めは実体がみえなかったのですが、鏡花ゆかりの神奈川県逗子市神武寺や、磯などへ出かけて、その山中を散策するなどしているうちに、自然の中から聞こえてくる音や、草いきれや、夕刻の黄昏から感じる、なにやらの気配などをきいているうちに、段々に『海の使者』の音たちが聞こえてきました。そして私はやっと、言葉を声にすることができました。なんと音に溢れた作品なのでしょう!
人以外の気配を山に教わりました。
この椅子のまわりに散らばる枯れ葉は、逗子の山のものです。
<『高野聖』朗読を始めたころ、それしか方法がなかった…>
短編2作を初回に。そしてその翌月には、まっすぐ導かれるように『高野聖』を読むことに決めていました。
公演用に短くすることもそのころは考えつきもせず、出来もせず。ただひたすら。3時間はかかる作品を、来る日も来る日も長い時間稽古していました。そして迎えた本番。昼公演、夜公演とあったので、二日間で4公演ありました。
この頃は、ひたすら声を出してお稽古。
1ヶ月前から、家で練習する以外、稽古場を外に借りて、1週間前からは毎日ストライプハウスで、数時間に渡り、朗読の稽古。本番とリハと合わせて毎日、半日は声を出していました。
夢中になってお稽古していて、さすがに声が出なくなったことがあり、大きく反省したことも…もちろん、もうそんな稽古の仕方はしません。お馬鹿さんですね。
今では笑い話です。
でもそれくらいの気持ちを公演に向けていました。演出家も共演者もいないわけですから、手探りで、無我夢中。ひとりで作品に取り組むしかなかったのです。愚かしくもあり、懐かしい時代です。
その後『高野聖』は六本木ストライプハウス『朗読空間』で、何度か上演を重ねました。
また、2021年に本八幡の市川市文学ミュージアムでもひとり語り公演をおこないました。
これは、「おとがたり朗読シネマ」と「ひとり語り」をセットにきた企画です。この時の『高野聖』はダイジェストで1時間にしました。大変でしたが、物語を凝縮させるためにあれこれ考えたことが、私にとってよかったです。
こうして時間をかけて朗読してきて、『高野聖』は私の大切なレパートリーとなりました。
<ある泉鏡花のファンの方に聞いて頂けて…>
六本木での公演の時、泉鏡花の研究家の方、熱烈な作家ファンの方、何名さまかにお越し頂けて、とても嬉しかったことを覚えています。
鏡花の時、いつもきて下さっていたある女性がいました。ノーカットで休憩なしの『高野聖』を、きれいな姿勢でお座りになって、それを崩さず、最後まで耳を傾けて下さった。その真摯な視線と耳を傾けて下さっているご様子が、私の長丁場の朗読を支えて下さっていました。
その女性は、御帰りになるときに「全部朗読して下さって、ありがとうございました」と仰いました。こちらがお礼をと思っていたときでしたので、拍子抜けしていると、全編読むことへの大変さなどをお話くださり、「すみません」という言葉を頂きました。
そのとき、感動しました。彼女にとって心から愛する作家なのだ、と感じられたからです。
大切にしたいのは、ひとさまに "物語" をおとどけしているということ、聞いて頂いているということ。この時のように、聞き手の方に喜んで頂けたときには、朗読することに "大きな喜び" を感じます。
終演後のアンケートや、直接お話しさせて頂いたり、作家について、作品について、朗読について。いろいろなことを知ってゆきました。
お客さまに学ぶ、今でもそれは変わりません。
頭が下がるばかりです。
<泉鏡花は九作品、朗読しました>
さて、私はこれまでに泉鏡花の作品を九つ、朗読をしてきました。
『外科室』『海の使者』『高野聖』『人魚の祠』『紫陽花』『星あかり』『貝の穴に河童のいること』『化鳥』『眉かくしの霊』…これらの作品を朗読しました。
それぞれに大変魅力のある印象的な作品です。泉鏡花の、魔界と現実を出入りする感覚はほんとうに面白いです。そして声にした時の、あの流れるような文体の、音の美しさ、それは大きな魅力のひとつです。
あの、金沢含め日本海側の独特な空模様が、この作家を育んだのだろうなと想像します。これは演劇の旅公演で日本海側を訪ねたときに感じました。
あの不思議な天候… 空模様は忘れられません。
<3月31日(日) の『高野聖』本番までに…>
さて!3月31日(日) のおとがたり公演までに、これまで朗読した、泉鏡花の作品を一つずつふりかえってみようかな、とも思っています。また金沢の泉鏡花記念館や暗がり坂(暗闇坂)、浅野川、ひがし茶屋、天神橋など…のあたりのお話もしてゆこうと思います。泉鏡花に関連するいろいろに、少しずつ触れてゆきたいです。
『高野聖』と泉鏡花の魅力をあらためて心に膨らませて、本番を迎えたいです。
ここにあの喜多直毅さんの音楽が触れるとき、世界がより大きく広がるでしょう!
皆さま、これからもどうぞよろしくお願い致します。
長浜奈津子より
<『高野聖』について>
『高野聖』泉鏡花
なんど読んでも、面白い、飽きない。
<『高野聖』関連の、私のブログ>
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