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僕が初めて、いわゆるクマさんではなく「篠原勝之」を意識したのは、状況劇場のポスターによってでした。
と言っても、僕が上京した頃(90年代)はすでに状況劇場はなく、その舞台を見ることも叶いませんでしたから、後追いも後追い、
街中に貼られたそれではなく、大学のコレクションとして綺麗に額装されたものに触れたのが最初です。
オフセット印刷による4色刷りのポスターですが、鈍くくすんだような色みに少なからず違和感を覚えました。
この妙な色合いは何だろう?という疑問が最初にあったんです。
遠くから見たり、近寄ったり、何度も行ったり来たりするうちに、何となく分かってきました。
主版(墨版)が鉛筆画なので、ハーフトーンが色に呑まれちゃうんだけれど、カサカサした肌合いのために網点のように馴染むことなく、不規則に色に干渉するんだね。
視覚的にしっかりと混色されないから、結果的に色が鈍る。
でも、すぐにまた別の疑問がわいてきた。
この、じっとりと纏わりつく感じは何なのか?
シュールレアリスム的な組み合わせから喚起される新たなイメージの妙、描き込み〈過ぎる〉ことにより生じる、捩じれ。空間感の飛躍。ふむふむ…
で、あとは何だ?
見れば見る程に引き込まれる絵。
絵じゃなくてポスター。そうか、印刷物。
色ベタ版と鉛筆画と文字の構成。
その全ては篠原勝之本人が一人で行っている。
もちろん、輪転機にかけて実際に刷るのは職人だが。傍らに光る篠原の目!
その会話は、こうだ
職人 「こんな組み合わせじゃ色が活きないよ」
篠原 「いいからやれ」
職人 「まるで素人仕事だ」
篠原 「それを決めるのはオマエじゃない、やってみなきゃわからん」
垢抜けない収まりの悪さ。
手仕事による収まりの悪さに、どうしようもなく惹かれる。
そうだ、ここらに答えがある。
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