【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 11月30日(土曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-30 05:10:06 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇オスカー・ワイルドが死んだ日(1900年)。とは言え、何故死んだかって詮索することは愛の謎ほど重要ではない。 ◇ かくて彼の追悼法要がしめやかに執り行われる。日本からはひよこ陛下、英国からはサウロンが出席。その他の言語圏は誰か出席するのか明らかにしていないが、1901年の本日以降、レインボー旗か各地で勃興。 ◇ 筑波研究学園都市がひらがなのつくば市となり、その知的レベルの低下が暴露される。しかも、筑波山の所在地は筑波町で、研究学園地区は桜村なので、「筑波」を称するのがおこがましい。(1987年)。

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1956- « いま見てもすごい! 人類初の月面着陸 (2/3) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年3月6日 / (Web編集部) ……

 サターンロケットのランチャーに取り付けたオートマチックカメラを開発したのは『ナショナル ジオグラフィック』の写真家ジャック・フレッチャーでした。

 特別観覧席に招待されたお歴々も空を見上げます。偉い人もそうでない人もみんな空を見上げます。

打ち上げは1969年7月16日でした。  一気に月まで飛びましょう。

 月着陸船「イーグル」を指令船の「コロンビア」から撮影(ホントは月から戻ってくるところですが)。

「イーグル」は見事「静かの海基地」に着陸します。アームストロングの第一声は「ヒューストン、こちら静かの海基地。イーグルは着陸した (Houston, Tranquility Base here. The Eagle has landed.)」でした。“The Eagle has landed.”は鷲は舞い降りた、という表現ですね。カッコイイなあ。

 左の写真にある正真正銘の第1歩を記したのはニール・アームストロング船長です。  右の人物は月に降り立ったもう1人の宇宙飛行士、エドウィン・オルドリン(アームストロング船長撮影)。

【2019年7月10日 AFP】アポロ11号(Apollo 11)のニール・アームストロング(Neil Armstrong)船長は、月着陸船「イーグル(Eagle)」のはしごを伝って月面に降りる間、イーグルの脚部の底の平らな部分が地面に数センチくらいしか沈み込んでおらず、月の表面が非常にきめの細かい粒子に覆われているように見えることを観察した。「まるで粉のよう」だと、アームストロング氏は後に振り返っている。

 そして、「よし、ではこれから着陸船を降りる」と無線で連絡。一呼吸置いて、あの不朽の言葉が発せられた。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる飛躍である」

 アームストロング氏によると、これは台本のあるせりふではなかったという。米航空宇宙局(NASA)が2001年に録音した口述史の中で「着陸後に思い付いた」と述べている。  間近で見た月の様子は、どのようなものか?月の色は太陽の角度によって、茶色から灰色、そして漆黒へと変化する。また、地球より重力が小さく、慣れるまでに時間がかかる。

 アポロ11号の宇宙飛行士、エドウィン・オルドリン(Edwin Aldrin)氏は、「少しジョギングをしてみたが、のろのろとした走りで、スローモーションで動いているように感じた。両足が宙に浮いた状態になることも多かった」と、2009年の著作に記している。

 2時間半に及んだ船外活動で、アームストロング船長は大量の月の石を拾い集め、写真撮影を行った。オルドリン飛行士は地震計と、その他の科学測定機器2台を設置した。残されたモノクロ写真857枚、カラー写真550枚のうち、アームストロング船長が写っているのは4枚だけ。大半はオルドリン飛行士の写真だ。

 2人は月面に星条旗を立て、人類初の宇宙飛行を成し遂げたソ連(当時)のユーリ・ガガーリン(Yuri Gagarin)飛行士の記念メダルを含む、多くの物を月に残した。

■地球への帰還  月を出発する直前、宇宙飛行士らはちりまみれになっていた。アームストロング氏は「私の感覚では、暖炉の湿った灰のような臭いがした」と操縦席での印象を説明している。

 3人目の宇宙飛行士、マイケル・コリンズ(Michael Collins)氏は、22時間、軌道上で待機していた。

 コリンズ氏は後に、「私がひそかに恐れていたのは、2人を月に残したまま1人で地球に帰還する事態が起きることだった」と記しており、ミッション開始の半年ほど前から心配していたことを打ち明けている。

 幸いにも、月着陸船のエンジンは正常に作動した。司令船コロンビア(Columbia)と再ドッキングを果たし、3人は長い帰途に就いた。

 ミッションが終わりに近づくと、コロンビアは余分な着陸船や機械船、燃料を切り離し、総重量はわずか5550キロほどになった。これはフル装備のサターンV(Saturn V)ロケットの打ち上げ重量の0.2%に相当する。

 7月24日、コロンビアは大気圏に突入。しばらくの間、空中で火の玉になった後、三つのパラシュートが開き、無事に太平洋に着水した。  米国はコロンビアと宇宙飛行士らを回収するために航空母艦を派遣した。この船にはリチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領(当時)も乗船していた。

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次回は “ « いま見てもすごい! 人類初の月面着陸 3/3 » “ を記載、続きます・・・・・

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森のなかえ

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今日(狂)の狂言 : 11月29日(金曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-29 05:10:19 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 歓喜の歌が日本で初演(1924年)、なかなか好評だったので音楽家が年越し資金を稼ぐための暮れの風物詩となる。 ◇ 熊本市・大洋デパートが火だるまとなり、100人を超える犠牲者の霊を悼むため、この日の午後から何時も市街地に流しているBGMを中絶することに(1973年)。 ◇ 中核派が、国労などの官僚主義的国鉄を堅持する姿勢に対し首都圏を中心として鉄槌を下し、中曽根康弘による分割・民営化への支持を表明した(1985年)。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 27回= ◎ ◎

1956- « いま見てもすごい! 人類初の月面着陸 (1/3) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年3月6日 / (Web編集部) ……

「1960年代が終わるまでに、月に米国人を送り込み、無事地球に帰還させる――これを国の目標として掲げるべきだ」

 1961年5月25日の合同議会でジョン・F・ケネディ大統領が表明してからおよそ8年。60年代が終わるまであと5カ月と11日という1969年7月20日に、人類ははじめて月に降り立ちました。

 1888年の設立当初から航空関係への支援の先頭に立ち、実はNASAの発足につながる有人宇宙開発のはじめの一歩からサポートしていたナショナル ジオグラフィック協会。宇宙開発への支援は以降もつづけていましたが、ソ連に対抗したマーキュリー、ジェミニ、アポロの一連の有人宇宙開発計画にはとりわけ力を入れていました。 【”人宇宙開発のはじめの一歩も支援”を次回に記載】

 そのクライマックスといえば、当然アポロ11号での人類初の月面着陸です。これはもう説明不要ですよね。ネットで検索すれば詳しい解説はいくらでも出てきますし、今回は細かい話はやめにして、人類史上最高に輝かしい探検である月面着陸を『ナショナル ジオグラフィック』がどう伝えたかをご紹介いたしましょう。

 記事が掲載されたのは1969年12月号です。この時代にはページ数も増え、まるごと1冊1つの特集ということはさすがになくなりましたが、表紙も月の写真ですし、極めて珍しい「特集用の目次」は破格の扱いです。当時の『ナショナル ジオグラフィック』にはそもそも目次がありませんでしたから。記事のタイトルとページ数はぜんぶ表紙にありました。

 右が極めて異例の特集用の目次ページです。

 左ページは広告ですが、見開きで始まる記事が当たり前で、片ページから始まるのは珍しかったのであえて見開きごと掲載してみました。

特集は全63ページで、「はじめての月探検者(First Explorer on the moon)」というタイトルの下、さらに「1.人類が別世界を歩く」「2.スプートニクから月面着陸まで、宇宙時代の音声」「3.アポロ11号の飛行:“人類にとっての大きな飛躍”」「4.月の岩からわかること」「5.宇宙の次なるステップ」という5項目に分かれています。

 これらの計画で『ナショナル ジオグラフィック』が写真の支援に力を入れていたことは前回書いたとおり。おかげで、誌面は大迫力。いま見ても当時の興奮が伝わってくるようです。今回はちょっと多めに引用するので、ぜひお楽しみください。

世紀の瞬間をこの目で見ようと、前夜からフロリダ州のケネディ宇宙センター周辺にたくさんの人が詰めかけました。

約50万人が打ち上げを見守ったそうです。

 そして、打ち上げの瞬間がやってきます。

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次回は “ « いま見てもすごい! 人類初の月面着陸 2/x » “ を記載、続きます・・・・・

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今日(狂)の狂言 : 11月28日(木曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-28 05:10:38 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』が初演(1811年)。言っておくがフランスの山師に捧げた訳ではない!! ◇ 時の政府の肝煎りで、白人と富裕層専用の社交クラブ・鹿鳴館がオープン(1883年)。 ◇ フランキー・レインの「Rollin' rollin' rollin'」が全米の電波に乗り始め(1959年)、数年後にはそのテーマに乗る格好でサントリーウィスキーの売り上げが伸びる。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 26回= ◎ ◎

1956- « 隕石から地球を守る男に彼はなぜ選ばれたのか (3/3) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年2月20日 / (Web編集部) ……

 4時間55分24秒後、さまざまな困難を見事に克服して、グレンはアメリカ人初の宇宙飛行に成功。祖国を代表してソ連に反撃ののろしをあげ、世界でいちばん強い国アメリカというイメージを取り戻します。彼にはさまざまな賞や名誉学位が贈られ、パレードでは行く先々で人の山ができ、感動のあまり涙した人も少なくなかったそうです。

  また、ジョン・グレンはこの成功の後、いったん宇宙飛行士を退いて、1998の秋にスペースシャトルでふたたび宇宙に戻ります。

 まあベテランパイロットという歳からしてもうあからさまなのですが、『ディープ・インパクト』のフィッシュ船長が自動操縦をマニュアルに切り替えて隕石に着陸するくだりなど、まさにジョン・グレンの偉業を彷彿とさせるシーンですよ。

  もう彼以外には無理! 英雄かくあるべし! みたいな感じでたまりません(笑)なお、ジョン・グレンについては「77歳の飛行士、宇宙に再挑戦」という日本版の特集もあるので、よかったらご覧ください。このときは向井千秋さんが一緒に飛んだんですよね。

 さて、マーキュリー計画のあと、ジェミニ計画、アポロ計画と続き、ケネディ大統領が1960年代に人類を月に送ると宣言したとおり、米国は人類初の足跡を月につけることに成功します。

 ナショナル ジオグラフィック協会はマーキュリー計画の当初からNASAを支援していました。 資金だけでなく、パイロットや宇宙飛行士に写真の撮り方を教えたり、機材を提供したり、ときには管制センターの近くに暗室を作ってほかの報道機関にまで提供したりなど、ナショジオは写真については特別な支援を寄せていました。/span>

例によって素晴らしい写真とともに詳しいレポートを掲載できた裏にはそんな事情もありました。 ちなみに、ジョン・グレンは宇宙船にマーキュリー計画を支援していたナショナル ジオグラフィックの旗を持ち運んでいます。北極やエベレスト山頂のときのように。

 マーキュリー計画がスタートした1959年からアポロ11号が月に着陸した1969年までは、米国の初期の有人宇宙開発における輝ける10年間であり、『ナショナル ジオグラフィック』の宇宙のレポートは大人気を博しました。テレビとコラボしながら、人類学、霊長類学、深海調査などのテーマを開拓してきた経緯をこれまで紹介してきたけれど、それでもやっぱり一番人気があったのは宇宙モノでした。そういう時代だったんです ね。

 というわけで、次回はなかでもクライマックスの月着陸についてご紹介する予定です。  同時に中の人は以前に観た『ディープ・インパクト』という映画を思い出しました。

 大量絶滅をもたらすほどの大きな彗星が地球に接近し、「メサイア(救世主)号」と名づけた宇宙船が彗星の軌道を変える作戦に出撃します。しかし、作戦は失敗。地球最後の日々を迎えるなか、人々はパニックに陥って……という内容。

 結末は映画をご覧いただくとして、メサイア号は失敗しちゃうんだけど、“フィッシュ船長”がいい味出しててカッコいいんですよね。

 ほかの乗組員の父親ぐらいの年長者。かつて月まで行ったベテラン宇宙飛行士で、世代間のギャップを乗り越えながら、チームをしっかりとまとめてゆく。いかにも古きよきアメリカのヒーローといった感じなんです。

 実は、フィッシュ船長にはモデルとなった人物がいます。というより、実在した英雄のイメージを拝借したというほうが適切でしょう。  その人こそ米国「宇宙計画の最大の英雄」ジョン・グレンです。

 ただし、ジョン・グレンは月には行っていません。それでも、月に人類の第1歩を刻んだアポロ11号のニール・アームストロング船長やエドウィン・オルドリンよりもアメリカではずっとヒーローとして格上なのです。

 なぜ最初に月へ行ったアポロ11号の乗組員よりジョン・グレンなのか。 それは彼が「宇宙を飛行した最初のアメリカ人」だから。

 正確に言えば、ぽんと打ち上げて落ちてくるだけの「弾道飛行」をした人はいたものの、それはすでに地球の周回飛行を成功させたロシアとのギャップを少しでも埋めるために行った急場しのぎ。技術的にはさほど意味のないものでした。

 米国の宇宙船で地球を周回したのはジョン・グレンがはじめてでした。しかも、まるで「はやぶさ」の帰還のときのように、その飛行はギリギリのドラマに彩られていました。それが彼をよりいっそう偉大な英雄に仕立てあげます。

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今日(狂)の狂言 : 11月27日(水曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-27 05:10:20 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ フランスの鉄道教徒アルテュール・オネゲルが死去(1955年)。自らの信仰告白である『パシフィック231』(1923年)が大ヒットしたものの、その30年後に『私は鉄オタではない、作曲家である』と殆ど自己否定とも取れる著作を出した。 ◇ 伊勢湾台風のドサクサで、近鉄王国が三重から愛知へ本格的に進出(1959年)。三重県が近畿に乗っ取られるという危機感が、俄かに東海地方で高まった。 ◇ 日本一有名なニート軽音部員・平沢唯の誕生日(1991年)。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 26回= ◎ ◎

1956- « 隕石から地球を守る男に彼はなぜ選ばれたのか (2/3) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年2月20日 / (Web編集部) ……

 当初、彼は地球を7周する予定でした。ところが、1周回ったところでオートパイロット装置にちょっとした不具合があり、マニュアル操縦に切り替えます。それだけならまだしも、ちょうど2周目にさしかかるときのこと。予備の酸素が12パーセント減っているうえに、フロリダの管制センターのコンソールにある警告灯がともり、着水バッグが開いていることを告げました。まだそのタイミングではないにもかかわらず。

 着水バッグは海に着く寸前に開くようになっています。そのとき、大気圏の再突入に必要な耐熱シールドはもういらないので外れる仕組みでした。つまり、もし宇宙を飛んでいる間に着水バッグが開いているならば、宇宙船を守ってくれる耐熱シールドは再突入の前に外れてしまいます。

 これではグレンを乗せたまま宇宙船が数秒で燃え尽きてしまう。

 管制センターは急にあわただしくなりました。警告灯の誤作動もありえます。グレンに不安材料を与えることを心配した管制センターは、警告灯がついたことをグレンに知らせず、さまざまな可能性をチェックします。

 打ち上げから2時間26分36秒後。

 管制:「着水バッグのスイッチはオフになっているか?」 グレン:「間違いない。オフの位置にある」

管制:「爆発とかそんな感じの音が聞こえなかったか?」 グレン:「ない」

それは管制センターが期待した答えでした。

 だとすれば、警告灯の不具合か、エアバッグの不具合か、2つの可能性が考えられる。けれど、どちらにせよ状況が変わらなければそのまま再突入するしかありません。その間もグレンは管制の複雑な指示をこなしつつマニュアルで操縦を続けています。

 結局、管制センターはグレンに3周で帰還するように決め、念のため、再突入前に切り離しておくべき補助ロケットを残して逆噴射するように指示しました。

 いよいよそのときが来ます。  打ち上げから4時間33分8秒後。  管制:「……5、4、3、2、1、点火!」 グレン:「ラジャー。逆噴射開始」

 大気圏再突入の間もオートパイロットはダメで、グレンは難しい操縦を強いられます。正確かつ安定して着水できるよう、宇宙船をゆっくりと回転させなければなりません。

 逆噴射開始から約10分後、高温のプラズマに包まれるせいで、通信が途絶える時間帯があります。管制センターにできることはもうありません。耐熱シールドが外れていないことを祈るばかりです。

 そのとき、グレンは窓の外に炎をあげながら飛び去ってゆくものを見つけました。それは本来、不要なはずの補助ロケットでした。そもそも再突入に耐えられるよう設計されていないのです。高度を下げるにしたがい、さらに宇宙船の温度は上昇。もはや彼は火の玉の中心にいました。窓の外はすべてがオレンジ色に輝いていました。

 4時間47分22秒。

 管制センターが声をかけ続けること約10分。宇宙船の炎は徐々に消えはじめ、「どうしてる?(How are you doing?)」というかすかな声がグレンの耳に届きます。  グレン:「ああ、万事好調だよ(Oh, pretty good.)」  管制センターは一気に沸きあがりました。

 4時間55分24秒後、さまざまな困難を見事に克服して、グレンはアメリカ人初の宇宙飛行に成功。祖国を代表してソ連に反撃ののろしをあげ、世界でいちばん強い国アメリカというイメージを取り戻します。彼にはさまざまな賞や名誉学位が贈られ、パレードでは行く先々で人の山ができ、感動のあまり涙した人も少なくなかったそうです。

 こうしてジョン・グレンは国民的英雄として人々の記憶に深く刻み込まれました。

 オートパイロットの不調をマニュアル操縦でカバーするところなんかとりわけシビレますよね。たしか宇宙戦艦ヤマトにもそんなシーンがあったような……。波動砲を発射するシーンだったかな?

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今日(狂)の狂言 : 11月26日(火曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-26 05:10:27 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 11月26日の誕生花はペチュニア、花言葉は「決して諦めない」。決してカサブランカではない。君の瞳にカンパイ!! ◇ お湯をかけて3分間で写真ができるインスタントカメラが発売(1948年)。 ◇ 国鉄がこの日より8日間全線運休、しかしトラックだの私鉄だの自家用車だのの代替手段で用が足せてしまう現実を見せつけられ、結果的に国鉄の地位低下を咋にする結果に(1975年)。

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1956- « 隕石から地球を守る男に彼はなぜ選ばれたのか (1/3) »

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 驚きました! 驚きましたよね? ロシアの隕石!!  おまけに、あっという間に動画が次々とアップされたのもびっくりでした。ロシアではなんでこんなにドライブレコーダーが普及しているの? と思ったら、どうやら事故の調査がけっこういい加減らしく、自己防衛のために使っている人が多い模様。そのせいでしばらくパソコンの画面から目が離せませんでした。

 ネットのニュースでは、「空中で爆発」「衝撃波」「爆風」等々の報告が。最新のニュースでは彗星なんて説も出てるけど、いずれにしろ「ビルからモノが落ちた」的な単純なハナシではなく、ツイッターのタイムラインを眺めていても「いったい何が起こったの?」と感じた人は多かったようです。

 でも、中の人はすぐ「そうだったのか!」と思い当たりました。なぜなら、2008年9月号の特集「標的は地球? 小惑星接近」を読んでいて、「検証 ツングースカ大爆発」のCGも見たことがあったからです(CGはFlashのためiPhoneとiPadでは見られません)。

 居住地から離れたタイガの奥地であるため、人的被害は公的には確認されていないが、遊牧民のチュム(英語版)が吹き飛ばされるなどして死傷者が出たとする伝聞がある[7][8]。また非常に僻地であるため、猟師や木こりなど発見されなかった犠牲者がいた可能性もある。

 まさに小天体が空中で爆発して、衝撃波が地上に被害を与えたパターンです。この大爆発と比べると、今回は被害の範囲も狭いし、死者も出ていなかったようなので、隕石が小さかったのでしょう。被害の拡大が心配な一方、心のどこかで少し安心もしていました。

 けれど、もしも隕石とか彗星がもっと大きかったらどうなるか。もしかして、恐竜が絶滅したときぐらいのヤツが落っこちてきたら?

 そのへんのことも「標的は地球? 小惑星接近」に書かれているので、興味のある人はぜひ読んでみてください。  同時に中の人は以前に観た『ディープ・インパクト』という映画を思い出しました。

 大量絶滅をもたらすほどの大きな彗星が地球に接近し、「メサイア(救世主)号」と名づけた宇宙船が彗星の軌道を変える作戦に出撃します。しかし、作戦は失敗。地球最後の日々を迎えるなか、人々はパニックに陥って……という内容。

 結末は映画をご覧いただくとして、メサイア号は失敗しちゃうんだけど、“フィッシュ船長”がいい味出しててカッコいいんですよね。

   ほかの乗組員の父親ぐらいの年長者。かつて月まで行ったベテラン宇宙飛行士で、世代間のギャップを乗り越えながら、チームをしっかりとまとめてゆく。いかにも古きよきアメリカのヒーローといった感じなんです。

 実は、フィッシュ船長にはモデルとなった人物がいます。というより、実在した英雄のイメージを拝借したというほうが適切でしょう。

 その人こそ米国「宇宙計画の最大の英雄」ジョン・グレンです。

 ただし、ジョン・グレンは月には行っていません。それでも、月に人類の第1歩を刻んだアポロ11号のニール・アームストロング船長やエドウィン・オルドリンよりもアメリカではずっとヒーローとして格上なのです。

 なぜ最初に月へ行ったアポロ11号の乗組員よりジョン・グレンなのか。 それは彼が「宇宙を飛行した最初のアメリカ人」だから。

 正確に言えば、ぽんと打ち上げて落ちてくるだけの「弾道飛行」をした人はいたものの、それはすでに地球の周回飛行を成功させたロシアとのギャップを少しでも埋めるために行った急場しのぎ。技術的にはさほど意味のないものでした。

 米国の宇宙船で地球を周回したのはジョン・グレンがはじめてでした。しかも、まるで「はやぶさ」の帰還のときのように、その飛行はギリギリのドラマに彩られていました。それが彼をよりいっそう偉大な英雄に仕立てあげます。

 ジョン・グレンのフライトは1962年2月のことでした。1959年にスタートしたアメリカ初の有人宇宙開発計画「マーキュリー計画」の最初の地球周回飛行計画です。打ち上げの様子は世界中に中継され、1億3000万人を超える人々がテレビの前に釘付けになりました。

 打ち上げから海への着水に至るまで、管制センターとのやりとりを含めて、その様子は1962年6月号の特集「フレンドシップ7によるジョン・グレンの軌道3周(John Glenn’s Three Orbits in Friendship 7)」に36ページにわたり克明に記録されています(フレンドシップ7は彼がつけた宇宙船名)。ちょっと長くなりますが、紹介してみましょう。

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次回は “ « 隕石から地球を守る男に彼はなぜ選ばれたのか (2/3) » “ を記載、続きます・・・・・

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今日(狂)の狂言 : 11月25日(月曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-25 05:52:00 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 水爆実験用標的艦長門、竣工(1920年)。竣工後アメリカに譲渡される予定だったが、対米関係の悪化と開戦のため役目を果たすのは26年後のことになった。 ◇ 三島由紀夫を代表とするアングラ劇団「楯の会」が、自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室で、9年前に発表した短編小説『憂国』を本人主演で上演。しかし三島婦人が麗子の役を拒否したため、やむなく森田必勝が代わりに追い腹を切った(1970年)。 ◇ かの府中市で起きた三億円事件の二匹目のドジョウを狙って、フランスからやって来た3人組が有楽町で強盗事件を起こす(1986年)。

◎ ◎ まだまだ続く・・・・身のまわり整理・・・・終活かな !!!!? 本日休刊◎ ◎

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森のなかえ

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今日(狂)の狂言 : 11月24日(日曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-24 05:10:33 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 山崎晃嗣が、抱えた莫大な借金を清算する目的で青酸カリを呷りエクストリーム・自殺(1948年)。 ◇ 一昨日にジョン・F・ケネディをぶっ殺したリー・ハーヴェイ・オズワルドがリンチされる(1963年)。 ◇ 山一證券がギブアップ。記者会見ではトップが社員は悪くありませんからと号泣したが、ギブアップの責任者は粗方あの世に行くか時効を迎えて逃げ切る(1997年)。

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1956- « ダイオウイカ番組の原点はコレでした »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年01月23日 / (Web編集部) ……

 ちょっと話題に乗り遅れた感じもありますが、某国営放送のダイオウイカの番組はご覧になりました? 中の人はもちろん見ました。さすが10年ごしのプロジェクト! 見ごたえがありました。視聴率もよかったようで、こういう番組が多くの人に見られるのはうれしい限りです。深海生物や深海探査はナショジオの得意分野のひとつですからね。

 もっと言えば、こうした海中ドキュメンタリ番組の基礎を築いたのはナショナル ジオグラフィック協会でした。というわけで、今回はその話をいたしましょう。ダイオウイカにあやかって(笑)。  1965年からスタートしたナショジオのテレビシリーズのうち、海中モノは最初から柱のひとつになりました。

 それもそのはず、メインキャスターは海洋冒険家のジャック・イブ・クストーだったのです。 彼は、ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けながら、1956年に映画『沈黙の世界』を製作。自らが発明したアクアラングを使った水中撮影で海中の世界をドラマチックに紹介し、共同監督のルイ・マルとともに、カンヌ映画祭の最高賞であるパルム・ドールを受賞していました。

  しかし、クストーはこれに満足せず、文字どおりさらなる深みを目指します。  1959年には水深300m以上で自由に動き回れる海中探査船「ダイビング・ソーサー」を開発します。その模様は1960年4月号の「ダイビング・ソーサー、深海をゆく(Diving Saucer Takes to the Deep)」でレポートされています。

 また、海洋の科学調査や資源開発のため、人間が長期にわたって海中で生活する可能性を探る「大陸棚(コンチネンタル・シェルフ)ステーション計画」を旗揚げし、1962年、第1号の「コンシェルフ1」が完成。マルセイユ沖で水深約10メートルまで沈め、2人が1週間ほど生活しました。

 その成功を受け、バージョンアップを果たした「コンシェルフ2」は、人類史上はじめて海底に設置されるコロニーとなりました。  コンシェルフ2では、1963年、紅海の海底水深11メートルのところで、5人の男たちが約1カ月におよび海中生活を送ります。

 アクアラングをつけてステーションからじかに海中散歩に出かけたり、朝から赤ワインを傾けたり、オウム(parrot)とブダイの仲間(parrotfish)を絡めるオヤジギャグを飛ばしたり、ダイビング・ソーサーで水深304メートルの深海まで潜り、カニの大群や空気のたまった洞窟を発見したり……。

 いかにも楽しげなその冒険は1964年4月号の特集「海の中のわが家(At Home in the Sea)」で詳しく紹介され、翌65年には『太陽のとどかぬ世界(World Without Sun)』という映画になり、アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞に輝きました。

 と、ここまでは映画の話。つづく「コンシェルフ3」の完成からクストーはテレビシリーズにシフトします。  その第1作目「ジャック・クストーの世界(The World of Jacques Cousteau)」を作ったのがナショジオでした。

 実はクストーが世界的に人気を博したのは、映画ではなく、テレビシリーズのおかげでした。テレビ番組はお茶の間に直接届きますからね。視聴者の数は圧倒的な差があるでしょう。クストーのねらいもそこにあったに違いありません。このシリーズは1970年代から80年代にかけて、日テレ系の「驚異の世界・ノンフィクションアワー」枠で放送されたので、ご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 一方、テレビ番組に乗り出したナショジオにとっては、映画で成功を収めていたクストーは絶好の人材でした。お互いのねらいはぴたりと一致したわけです。以後、クストーが死ぬまでこの蜜月関係は変わることがなく、ナショジオの支援は37回、50万ドルにおよび、クストーは10本以上の記事を寄稿しました。

 さて、記念すべき第1作目の内容はというと、映画と同じようにコンシェルフ3のレポートです。ただし、今回は水深100mで、6人が3週間にわたり暮らしました。

 コンシェルフの中の気圧は外の水圧と等しく保たれています。ということは、中の圧力は11気圧。そんな圧力で生きていけるの? と思われるかもしれませんが、大丈夫みたいです。ただし、これほどの高圧になると、普通の空気では人間は生きていけません。なので、高圧だと害のある窒素のかわりにヘリウムを使った人工の空気で室内を満たしています(正確にはヘリウムと酸素の混合気体)。そのせいで、みんな声がヘンに甲高くなっています。

 中での生活はコンシェルフ2のときより実験的要素が色濃く、頭にたくさん電極をつけていろいろ測定していたり、ステーションからの水深110mの飽和潜水を試みたりしています。周囲はいつも暗く、圧力も高い。前と比べるとはるかに危険に満ちており、けっこうアブナイ感じもあってハラハラします。それが冒険としての緊張感を高めていて、映画とは違った見ごたえがあります。

 この番組はナショジオが作った初期のテレビシリーズとしては珍しくいまの日本でも見られます。「ジャック=イヴ・クストー 海の百科 クストーの世界/信じられないダイビング・マシーン」というDVDに収められているので、チャンスがあったら、ぜひご覧になってみてください。特にエンドロールは注目です! 原点の証であるナショジオのクレジットがちゃんと出てきますので(笑)。

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次回は “ « 隕石から地球を守る男に彼はなぜ選ばれたのか » “ を記載、続きます・・・・・

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今日(狂)の狂言 : 11月23日(土曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-23 05:10:50 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 勤労感謝の日。こんな飯の種にもならないサイトばかり見てないで、たまには親御さんや周囲の大人に感謝していいツマミでも出しなさい。 ◇ 風船おじさんが、プリンセス・テンコーをも驚かせるイリュージョンを披露(1992年)。 ◇ マイクロソフトが「スタート!」の呪文で日本人をIBM PCの下僕とする様に洗脳し始める(1995年)。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 24回= ◎ ◎

1956- « 日本人にとって民主主義とはいったい何だろう? (2/2) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2012年12月19日 / (Web編集部) ……

 日本人が協力的なのは、かつて残忍だと教わった米兵がそのイメージと真逆だったため、進駐軍を友だちとか解放者として受けいれたのだろうと著者は考察しています。

 ただし、協力的だからといって素直に喜んだわけではありません。その裏で懸念を強く感じていました。

「日本人が出した結論は純真にも、米国のやり方のほうが優れているに違いないというものだった。それゆえに日本人は米国の占領支配を受け入れ、米国の意思に従い、より良い方法を学び、自らを順応させる努力を惜しまない。民主主義は目的に近づくための手段ではなく、それ自体が目的とされた」

 さらに続けます。

「日本では今、古い太陽が沈み、新しい太陽が民主主義とともに昇ろうとしている。この近代的な顔をした民主主義がこの国に定着するには、薬を服用するときのように使い方が書かれた処方箋が必要なのだろう」

 その処方箋を書いた中心人物といえば、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーですね。

「戦後日本の改革プラン」では、マッカーサーや、日本国憲法作成時に首相を務めた幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)らのインタビューに成功し、日本の民主化への道と被占領国の行く末に焦点をあてています。

 以下はマッカーサーのコメント。

「われわれは今、この地で偉大な改革運動に取り組んでいる。人々が、今から千年後にこの時期を振り返ったとき、歴史書の脚注に、こんな表記を見つけてくれるだけでいい。『米国人の理想が、この極東の地に文明の2本の偉大な柱、民主主義とキリスト教をもたらした』とね」

 以下はマッカーサーのコメント。

「われわれは今、この地で偉大な改革運動に取り組んでいる。人々が、今から千年後にこの時期を振り返ったとき、歴史書の脚注に、こんな表記を見つけてくれるだけでいい。『米国人の理想が、この極東の地に文明の2本の偉大な柱、民主主義とキリスト教をもたらした』とね」

 千年後とは大きく出たもんです……。  幣原喜重郎はこちら。 「大きな民主化への動きが広がっている。日本は病人ではないのです。われわれが経験しているのは産みの苦しみで、新しい日本が誕生しようとしています」

 このあと、さまざまな露店が並ぶ銀座通り、1948年のメーデーの皇居前広場、長い抑留生活を終えてソ連から日本人捕虜が帰国する舞鶴港などの写真が並び、農地改革法や公衆衛生の改善について解説。東京、大阪、名古屋などにある工場を訪れては奮闘ぶりをレポートします。この特集には全国各地のさまざまな風物のカラー写真がたくさん掲載されていて、眺めるだけでもけっこう楽しめます。

    取材を終えた著者は最後にマッカーサーの言葉を思い出して記事を締めくくりました。 「この世の中で、止めることのできないものが唯一あるとしたら、それは合理的な考え方というものだ。そして、もし民主主義を信じる心があれば、合理的な考え方もきっと立派に根付くことになるだろう」

 合理的な考え方を止めることができない、という発言はいかにもアメリカの軍人らしい。

 でも、今の日本を見ると、どうやら彼が信じたものはさっぱり根付いていないのではと思わざるをえません。中の人は1年後のこともまったくわからないけれど、「千年後に民主主義とキリスト教」という前に、ここは「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と、山路を登りながら考えた国ですからね。あ、これは夏目漱石の『草枕』の冒頭です。念のため。

 マッカーサーが息巻く一方で、「古い太陽が沈む日本」を書いたブレア・A・ウォリザーは、民主主義という枠組みだけを日本に移植することに違和感を覚えていたようです。マッカーサーと同じ軍人とはいえ、さすが元新聞記者。1946年6月号のナショジオにすでにそんなことが書かれていたとは驚きました。

    この大事な時期に投票率は戦後最低というし、ホントは彼が指摘するあたりからじっくり考えなおしたほうがいいのかもしれな、と今回の選挙を見て思ってしまったのですが、いかがなものでしょう。もちろん、中の人には答えなんてわからないけれど……。

    「駐留軍は日本人に民主主義を約束した。日本人は民主主義が良いものだと確信したし、自分たちのものにしたいと思っている。しかし、日本人にとって民主主義とはいったい何だろう?」(「古い太陽が沈む日本」より)

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次回は “ « “ダイオウイカ番組の原点はコレでした » “ を記載、続きます・・・・・

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今日(狂)の狂言 : 11月22日(金曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-22 05:10:16 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ いい夫婦の日。どの夫婦が今後離婚するのかしないのかはっきりする日でもある。 ◇ リー・ハーヴェイ・オズワルド、昼休みに教科書ビルへ行って6階から外へ銃弾をお見舞い。その後大急ぎで階下へ降りて、コーラを一杯飲ってバスに乗り俺は今、ケネディを撃ってきたのさ! ◇ ウヒャハハハハ!と車内で大笑いする。その後バスを降りてポリ公をオートマチックの銃で殺ってジャンパーを脱ぎ捨てるが、映画館にいたところを取り囲まれジャンパーを着てリボルバーの銃で抵抗したところを取り押さえられた(1963)。 ◇ 静岡にあるポピュラーソングの聖地で観客が過熱し過ぎてガス爆発、14人が死亡(1983年)。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 24回= ◎ ◎

1956- « 日本人にとって民主主義とはいったい何だろう? (1/2) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2012年12月19日 / (Web編集部) ……

   1945年から50年ぐらいまでのナショジオに掲載された日本についての記事を振り返ります。本来であれば「ナショジオが見た敗戦直後の日本」と題して、第4章に掲載すべきでした。恐縮ですが、少し後戻りさせてください。

   いや、忘れてたわけじゃないんですよ。  先送りしていた理由は2つあります。

   ひとつは『ナショナル ジオグラフィックが見た日本の100年』という書籍を作っていたこと。おかげさまで本はできました! できたてのホヤホヤです。で、この本ができるまで待ったほうが、翻訳が読めてラクだろうな、と思っていたわけです。じゃあサボリだろうって? そうですね……すみません。

 あと、もうひとつは選挙のせいです。なんで選挙が関係あるの? とお思いでしょう。でも関係あるのですよこれが。

 選挙が決まる前までは、実を言うと、戦後から1970年代ぐらいで区切ろうと考えてました。日本の急成長を追う形で。ところが、この選挙で方針を変えた次第。敗戦直後に実に興味深い記事がございまして。

   まずはこの時期、どんな日本の記事があったかをざっと紹介すると、取材が可能になった敗戦直後は1945年10月号、11月号、12月号と立て続けに特集が組まれました。タイトルはそれぞれ

   「日本の玄関口、沖縄(Okinawa, Threshold to Japan)」 「『近代国家』日本の仮面の下(Behind the Mask of Modern Japan)」 「素顔の日本(Face of Japan)」。

   翌年からは徐々にペースダウンして 「古い太陽が沈む日本(Sunset in the East)」(1946年6月号) 「占領下の日本の地方生活(Backwoods Japan during American Occupation)」(1947年4月号) そして、50年代は 「戦後日本の改革プラン(Japan Tries Freedom’s Road)」(1950年5月号) の1本だけでした。それだけ日本がミステリアスではなくなっていったのでしょう。

 いずれの記事も、文化的だったり地理的だったり、敗戦後の日本の状況をレポートしています。今回とりあげるのはこのうちの2つ。「古い太陽が沈む日本」と「戦後日本の改革プラン」です。

「古い太陽が沈む日本」は、戦後1年間日本に滞在したアメリカ沿海警備隊隊長のブレア・A・ウォリザーが書いた記事。著者は新聞記者出身だけあって、生活のディテールに目が行き届いていて読み応えたっぷりです。

   連合国の艦隊が日本各地の港を訪れた1945年9月、彼らにとって日本は謎の国でした。「報復行為があるかもしれない」「不意打ちを警戒しながら」上陸した著者は、のちに「これほどおとなしく謙虚に戦勝国の意思を受け入れたことは、歴史上かつて見られなかったことだろう」と述べるに至ります。

 象徴的なシーンがこれ。

「ある日、少女が恥ずかしげに近づいてきて、ミカンを1つ差し出した。日本人の報復行為を恐れる恐怖心は、その瞬間、ほとんど消えた。これがほとんどの米国人が初めて出合った、驚くべき日本なのだ」

 続けて、物価をはじめデータをたくさん交えながら、国民の生活を克明に記録してゆきます。なかにはこんなほほ笑ましい光景も。

「ほとんどの少年たちが英語を少しは話せる。何年間か学校で習うからだ。しかし、彼らはなかなか話そうとしないし、話すより書くことが多い。少女も中等学校で英語を勉強するが、内気なせいか、質問には答えないでくすくすと笑うばかり」

 今もあんまり変わりませんね。

               

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次回は “ « “日本人にとって民主主義とはいったい何だろう? (1/2)» “ を記載、続きます・・・・・

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今日(狂)の狂言 : 11月21日(木曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-21 05:10:39 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 日蓮が亡くなった日(1282年)なので、富士の麓のお寺では前日とこの日に追悼法要。何故か身延のお山や蒲田の近くのお寺では10月13日に行うそうだ。 ◇ ナポレオン・ボナパルトが宿敵イギリスを兵糧攻めにしてしまえと大号令を発する(1806年)が、逆にヨーロッパ全体が封鎖される破目に。 ◇ ナポレオン・ボナパルトが宿敵イギリスを兵糧攻めにしてしまえと大号令を発する(1806年)が、逆にヨーロッパ全体が封鎖される破目に。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 23回= ◎ ◎

1956- « 美人すぎる”類人猿研究者の衝撃 (3/3) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年1月9日 / (Web編集部) ……

32歳ではじめて取得した学位 ゴンベでの最初の数年間で、ジェーンはチンパンジーに対する私たちの理解を一変させる行動をいくつも発見しました。チンパンジーは思いやりがあり利他的であること、狩りをし肉を食べること(ただし、食事に占める割合は3%以下)、原始的な戦争をすること、家族間(特に母子)に深い絆があること。

1961年、ジェーンはケンブリッジ大学に博士号候補生として入学。修士課程を修了せずに入学を認められた8人目の生徒となりました。そしてゴンベでの研究を継続しながら、1966年に動物行動学の博士号を取得しました。彼女が始めたチンパンジーの研究は現在も多くの研究者が継承し、人間以外の動物に関する最も長い研究となっています。

ゴンベ・ストリーム・リサーチ・センターでの研究を持続可能にしていくと同時に、ジェーンの調査研究はチンパンジーや動物たちが暮らす森林の保護活動へと拡大し、1977年にジェーン・グドール インスティテュートを創設しました。

地球が壊れていく姿を目撃し、その現状に希望を失った子どもたちと出会ったジェーンは、1991年にユースの環境保護プログラム「ルーツ&シューツ(ROOTS & SHOOTS)」を開始。また、貧困や教育の問題と環境破壊の負の連鎖を食い止めるべく、1994年にはアフリカ初のコミュニティ主導型の環境保護プログラム「タカリ(TACARE)」を立ち上げました。

現在、ルーツ&シューツは世界中に広がり、今では年間100万人もの子どもたちが参加しています。また、12の村からはじまったタカリは、現在100以上の村で実施され、その地に暮らす人々の暮らしが改善されていったと同時に、多くの森が回復し、これまでの努力が実を結んでいます。これまでの献身的な活動を讃え、2002年に国連平和大使に任命されました。

・・・・ Official Film Trailer: JANE | National Geographic  ・・・・・

希望のメッセンジャーとして歩み続ける。 コロナ禍になる直前まで、ジェーンは年間300日を費やしながら世界各地で講演活動を行い、気候変動対策を呼びかけ、行動へと促す希望の種を蒔いてきました。

世界中がロックダウンに見舞われる中でも、“バーチャル・ジェーン”と題して365日リモートで世界中と繋がり、講演会や取材に応じ、ポッドキャストを通して心に届くストーリーを伝えてきたジェーン。国境が開かれた現在、希望の伝道師は今日もまた、世界中を忙しく飛び回っています。

「私たちは、人も、動物も、自然も、分け隔てなくリスペクトすることが大事」

ジェーンの思いに共感した私達は、この美しい地球の住人の一員として”ジェーン・グドールの活動“を広めてゆきたいと思います。

因みに、公式サイト氏曰く====

正規の大学教育を受けていないグドールに対し、他の研究者からは冷ややかな目線が向けられた。ルイス・リーキー博士は特別基金を設立し、1962年にグドールをケンブリッジ大学ダーウィン・カレッジへ進学させた。1966年にケンブリッジ大学でPh.D.を取得(専攻は動物行動学、指導教授はロバート・ハインド)。創立700年を超えるケンブリッジ大学の歴史で8人目となる学士の学位を持たないPh.D.取得者となった。

スタンフォード大学客員教授(1971年 - 1975年)、ダルエスサラーム大学名誉客員教授(1973年 - )、タフツ大学招聘教授(1987年 - 1988年)、クリーブランド自然史博物館研究員(1990年)、南カリフォルニア大学特別招聘教授(1990年)、コーネル大学アンドルー・A・ホワイト講座教授(1996年 - 2002年)などの要職を歴任。

1977年に野生動物研究・教育・保護団体「ジェーン・グドール研究所(JGI)」を設立。 2002年にコフィー・アナン国連事務総長より国連平和大使に任命される。2003年にエリザベス2世より霊長類学研究に対し大英帝国勲章を授与され “デーム”の称号を得る。 2007年京都大学から名誉博士号を授与される。現在、執筆の傍ら、世界中を巡り、講演や教育活動を行っている。

私生活==== グドールは二回結婚歴がある。最初の夫はオランダ人貴族で野生生物を専門とする写真家・映像作家のH.バン・ラービック男爵。1964年に結婚し一男を儲けたあと1974年に離婚した。翌1975年にTANUに所属する政治家でタンザニア国立公園公社総裁などを歴任したディレク・ノエル・マックリーン・ブライスソンと再婚した。二人は1980年、ブライスソンの病により死別した。

・・・・ Jane Goodall: An Inside Look (Full Episode) | National Geographic  ・・・・・

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次回は “ « “日本人にとって民主主義とはいったい何だろう?» “ を記載、続きます・・・・・

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今日(狂)の狂言 : 11月20日(水曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-20 05:10:46 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ ベートーヴェンが、自作のオペラ『フィデリオ』のリサイタルを開催する(1805年)も、散々な評判と出来だったので後で作り直す破目になる。 ◇ 北九州は小倉で、ギャンブル目的の自転車レースが始まる(1948年)。 ◇ 加藤紘一が自分の師匠に倣って総理大臣の座を獲ろうとするも、直前に腰砕けになった挙句総理大臣どころか派閥のボスの座からも追い出される(2000年)。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 23回= ◎ ◎

1956- « 美人すぎる”類人猿研究者の衝撃 (2/3) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年1月9日 / (Web編集部) ……

 『ナショナル ジオグラフィック』の本誌やテレビ番組でしばしば取り上げたジェーン・グドールの記録がまた面白いんですよね。個性的な動物たちが繰り広げる日々の営みは、番組にしたらテレビドラマのよう。特にグドールのフィールドでは動画がたくさん撮られました。

  おかげで、彼女は大きな注目と評価を得るとともに、美人すぎて、素人すぎて、でも、すごすぎるというミスマッチからお茶の間でも大変な人気者となったのです。

 きっと、いまの時代にグドールのような研究者が出てきたらやっぱり相当人気が出るでしょうねえ。それこそ“美人すぎる研究者”と呼ばれるに違いありません。 持ってここに、 今一度 グドールのアウトラインをトレースしてみよう。

ルイス・リーキー博士との出会い

  動物に対する飽くなき探究心を胸に、1957年に友人を頼ってケニアへと渡り、そこで人類学の権威ルイス・リーキー博士と出会います。当時、リーキー博士は「ヒト」の祖先を研究する上で、類人猿のフィールド調査を行う人材を探していました。

  動物に対する情熱と知識、そして鋭い観察力と強靭な忍耐力をジェーンが備えていることを見てとったリーキー博士は、6カ月間の研究資金を集め、ジェーンを野生チンパンジーが生息するアフリカへと送り出したのです。

・・・・ She Can Speak Chimpanzee  ・・・・・

  こうしてジェーンは、1960年7月、東アフリカのタンガニイカ湖のほとり、ゴンベの地におりたったのです。

  誰もがジェーンに対して、「経験も学位も持たない26歳の女性が、アフリカ奥地の密林で調査研究などできるわけがない」と言いました。しかし、幼少期からジェーンの好奇心を育んできた母ヴァンネは、ステレオタイプを取り払い、夢を支え続けました。

フィールド調査のはじまり

  ジェーンが調査を開始した当初は、チンパンジーたちはジェーンを見るなりすぐ逃げてしまい、近づくことすらできませんでした。しかし、ジェーンは諦めることなく、山頂に登っては双眼鏡を使ってチンパンジーを静かに観察し続ける日々を繰り返しました。

  徐々にチンパンジーたちとの距離が縮まり、彼らの特長をつかみ顔を見分けることができるようになったので、ジェーンは一人ひとりに名前をつけてゆきました。名前をつけることは現在のフィールド調査では主流になっていますが、当時はこの手法自体が型破りだと言われていました。

  なぜなら、研究者たちは調査対象の個体を番号で呼び、個性や感情は人間だけしか有していないと考えられていたからです。

  初期にジェーンが発表した論文では、チンパンジーを擬人化しすぎているという指摘を受けました。もちろん、事実と調査する側の主観的な解釈とを混同しないよう注意する必要があるのは確かなのですが、ジェーンがチンパンジーの「心」の深遠さに注目したからこそ、さまざまな成果が生まれたのではないでしょうか。

  科学界を揺るがす大発見 1960年10月、“白ひげのデイビッド”とジェーンが名付けたチンパンジーとの話は、彼女のキャリアを語る上で外せない代表的な功績のひとつです。当時の科学では、人間と動物を分かつものは、「道具を作り、使うこと」と考えられていました。

  しかし、デイビッドが葉をきれいに取り除いた茎をアリ塚に差し込み、シロアリをつりあげて食事する様子をジェーンは目撃したのです。

「大変だ! 人間と道具を定義し直すか、チンパンジーを人間として受け入れなければ!」リーキー博士のこの言葉は、いかにこれが科学界を揺るがす発見だったかを物語っています。

  この発見により、ナショナルジオグラフィック協会が研究のスポンサーとなり、その後も調査研究が続けられることとなったのです。

・・・・ Jane Goodall's message of hope  ・・・・・

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次回は “ « “類人猿ガールズ”誕生秘話 » “ を記載、続きます・・・・・

・・・・ Naxxx動画資料xxxxxrome  ・・・・・

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森のなかえ

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今日(狂)の狂言 : 11月19日(月曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-19 05:10:35 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 東海道線から陸蒸気が粗方追い出され、東京と大阪の間を青大将が這いずり回り始める(1956年)。 ◇ ミッキーマウスとミニーマウスが電撃入籍を発表(2007年)。この二匹が今の今迄夫婦でなかったことに世界中が驚く。後にこの二匹は翌年に早々とディズニーランドで結婚式を挙げた。 ◇ 日産自動車が外資の玩具にされるのにこれ以上我慢出来なくなった日本人のイエスマンが、ボスを司直の手に引き渡す(2018年)。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 23回= ◎ ◎

1956- « 美人すぎる”類人猿研究者の衝撃 (1/3) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年1月9日 / (Web編集部) ……

「“類人猿ガールズ”誕生秘話」のつづきです。そのラストに書いたとおり、“リーキーズ・エンジェル”と呼ばれた3人の女性研究者のさきがけであるジェーン・グドールを紹介いたします。

 といっても、グドールの人となりについては、過去に本誌で何度も特集していますし、著書もたくさん出ているので詳しいことは省きます。ですから、ここではなぜ彼女がそれほど有名で人気者になったのかを、あえてちょっとナナメから見てみましょう。

 ジェーン・グドールは1934年4月3日にロンドンで生まれました。8歳のときに読んだドリトル先生やターザンのように、アフリカで動物と暮らすことを夢に見ていただけで、科学者になりたいと思ったことは一度もありませんでした。

 たまたま縁があってルイス・リーキーに抜擢されたときも、大学は卒業しておらず、研究のけの字も知らないズブの素人。それなのに次々と大発見を積み重ねます。

 素人すぎるのに、すごすぎる。このミスマッチも魅力ですよね。  でも、素人すぎたことこそ彼女の強みでした。

・・・・ Jane Goodall : Retrospective  ・・・・・

 それまで、科学の世界では動物を個別に扱うことはせず、個体差のないものというとらえ方が当たり前でした。そのため、動物には番号をつけて識別していました。

 一方、グドールは動物には心や感情のあるものとみていました。ドリトル先生やターザンが交流したように。彼女は出会ったチンパンジーに名前をつけ、個性ある存在として、日々起こる微妙で複雑な関係や行動を長期にわたり記録し続けます。それがよかったのです。

 結果として、彼女が目をみはる発見を重ねたのは先に書いたとおり。  なかでも、チンパンジーが巣穴に長い葉っぱを差し込んでシロアリを取ること、すなわち、道具を使うことは初期の一大発見でした。

 チンパンジーと人間を比べたときに、遺伝子が1%強しか違わないなど、いまはどちらかというと類似性のほうに注目が集っています。言葉を教えたり、iPadを与えたりする研究なんかもありますしね。

 でも、グドールが研究を始めた当時は逆でした。チンパンジーと人間はまったく別の生きものと考えられていて、とりわけ、両者を区別する定義のひとつに「道具を使う」ことがありました。もちろん人間の定義として。

 それなのに、チンパンジーが道具を使っていることがわかったからさあ大変! 

 研究を開始した1960年に、グドールからその発見を知らされたリーキーの言葉「こうなると“道具”や“人間”の定義を一からやり直す必要がある。さもなければチンパンジーを人間として認めるほかない」がその意味の大きさをよく表しています。これは歴史に残る一文となりました。

 さらにグドールは研究を続け、チンパンジーが肉食であることをはじめ、戦争をしたり、子殺しをしたり、しまいには共食いまでしたりすることなどを発見します。グドール以前、チンパンジーは平和な草食動物と考えられていましたが、次第に人間との共通点が明らかになるとともに、ときにはひどく暴力的になるという発見はとても衝撃的でした。

 グドールがとった個体識別と長期調査という手法は、いまや高等動物の社会性の研究では当たり前になっています。実は、日本の霊長類研究者も同時期に同じ手法をとっていたものの、チンパンジーをはじめとする大型類人猿で最初に成功したのはグドールでした。その衝撃はやはり絶大で、協会は1962年から研究を支援しつつ、『ナショナル ジオグラフィック』の本誌やテレビ番組でしばしば取り上げました。

・・・・ Jane Goodall and Her Chimps  ・・・・・

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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次回は “ « 美人すぎる”類人猿研究者の衝撃 (2/3) » “ を記載、続きます・・・・・

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今日(狂)の狂言 : 11月18日(月曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-18 05:58:46 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 桓武天皇により京都が首都になる(794年)。今天皇陛下は東京にお住まいになられてますがあくまで奠都である。       ◇ ウィリアム・テルの弓矢とリンゴを使った瞬間芸が成功し、後にスイスが独立する切っ掛けとなる(1307年)。       ◇ ニキータ・フルシチョフが西側の資本主義者に好むと好まざると関わらず歴史は我々に味方する!貴様らをいずれ葬り去ってやる!と言い放つ(1956年)。それから35年経って、結局自分たちが葬り去られる側になるという皮肉。       ◇ ジム・ジョーンズとその御一行様が集団でエクストリーム・自殺にエントリー、この年の全米チャンピオンに躍り出る(1978年)。

◎ ◎ 蔵書整理・・・・身のまわり整理・・・・終活かな !!!!? 本日休刊 ◎ ◎

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今日(狂)の狂言 : 11月17日(日曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-17 05:10:58 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 血まみれメアリーの治世が終わり、処女王がイギリスを世界の一等国へと押し上げ始める(1558年)。 ◇ 大分県別府市のとある不動産屋が、ワイドショーへの出演を目論み妻子と一緒に自家用車で海へとダイブ。自分だけが助かり、念願がかなった(1974年)。 ◇ アップルがiPodを発売(2001年)。日本の特産品・ウォークマンが忽ちのうちに売れなくなり、技術立国のプライドが崩壊する一因に。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 22回= ◎ ◎

1956- « ”類人猿ガールズ”誕生秘話 (2/2) »

= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =

……National Geographic Journal Japan 〉/ 2012年12月5日 / (Web編集部) ……

 前回はリーキー【脚注資料参照】が女性好きだったから、というようなことをちらっと書きました。その遍歴をたどると、確かに彼は女性が好きだったようですが、でも、それだけではありません。

 そもそも女性ということ以前に、学問的にはまったくの素人をいきなり抜擢したことからして、はたから見ればありえないことでした。おまけに3人とも若かったので、ますます奇異に映ったのでしょう。リーキーが類人猿の研究をはじめたのは「中年の男が突然スポーツカーを買うようなもので、男の更年期によくみられる反応ではないか」「自分の寂しさをまぎらわせるために若い女の人生を応援したかったのだろう」とあきれた人もいたほどです。

 しかし、リーキーは単に若い女性だから選んだわけではありません。重視したのは女性ならではの観察眼と粘り強さでした。  たとえば、こんなエピソードがあります。

ガルディカスは著書のなかで、面接試験での「知能検査」を紹介しています。  ……ルイスは、一組のトランプを伏せたままコーヒーテーブルの上に広げた。「どれが赤で、どれが黒か?」彼は尋ねた……私は答えた。「どっちがどっちかはわかりませんが、カードの半分は少し曲がっていて、もう半分は曲がっていません。」

 事実ルイスは、ほとんど気付かれない程度に、黒いカードの背を曲げていたのだった。彼は微笑して、ジェーン・グドールもダイアン・フォッシーも簡単にこのテストをやってのけたが、男は誰もできなかったと言った」(『オランウータンとともに 上』ビルーテ・ガルディカス著、杉浦秀樹・斉藤千映美・長谷川寿一訳、新曜社)

 また、リーキーがグドールにチンパンジーの研究をもちかけたとき、10年間はフィールドにいてほしいと主張しました。グドールは3年と思っていたようですが、結局のところ、3人とも10年どころか20年、30年というスパンで1カ所にかかわり続けることになります。だから若さは必須だったのでしょう。若くなければ長くかかわれません。

 対して、3人以前の男性研究者、たとえばゴリラのジョージ・シャラーが現場に滞在したのは1年半。オランウータンのジョン・マキノンは約3年。そして、彼らは彼女たちが見つけたものを発見できませんでした。

 観察眼と粘り強さは、類人猿の研究だけでなく、動物を理解しようとしたときに必要な資質とリーキーは考えていたようです。『野生のエルザ』の著者ジョイ・アダムソンも彼が仕事を与えた女性のひとりでした。彼女をサポートしたのはグドールに会う前のこと。もしかしたら、ジョイ・アダムソンのような資質をリーキーは3人に求めていたのかもしれません。

 では“リーキーズ・エンジェル”はいったい何を成し遂げたのか。  というわけで、次回はその筆頭であるジェーン・グドールを紹介いたしましょう。 しかし、その前に・・・・・・

※ ルイス・シーモア・バゼット・リーキー / 前節参照

ルイスの両親ハリー・リーキーとメアリー・バゼットはイギリス出身で英領東アフリカ、現ケニヤの宣教師だった。拠点は小さな小屋とテントだけだった。リーキーが幼い頃に住んでた家は土間があり、雨漏れする草葺きの屋根で、ネズミと虫がたくさんおり、暖房設備はなかった。

ルイスには弟ダグラスとグラディス、ジュリアという二人の姉妹がいた。その他に家庭教師、宣教師、看護婦が一緒に住んでいた。必然的にリーキーはアフリカ人たちとともに遊び、狩りを学んだ。兄弟はみなキクユ族の独特の足どりで歩くことを学び、現地語を流暢に話せるようになった。

ルイスは敷地の端にキクユ式の小屋を建てることを許されて、そこに鳥の卵や頭骨など博物学のコレクションを集めた。H.R.ホールの著作を読み英国の先史時代に興味を持った。1904年から1906年まで、父の神経衰弱を癒すために家族はイングランドのバークシャー州レディングにあるメアリーの母親の家で過ごした。

家族は第一次大戦中はアフリカにおり、大戦が終わると再びボーンマスに渡った。1919年にリーキーはそこで民間の男子学校に通い始め、父の母校でもあったケンブリッジ大学に入学するための勉強を始めた。入学試験で良い成績をおさめ、1922年に奨学金を得てケンブリッジ大学に入学した。当初は父と同じようにアフリカで宣教師になるつもりだった。

1922年にイギリスは第一次大戦の賠償としてドイツ領東アフリカを獲得した。その地域でドイツ人がテンダグルと呼ばれる恐竜化石の豊富な土地を発見していた。リーキーは家族の友人から、大英自然史博物館が化石の発掘隊を送りだそうとしていることを聞いた。リーキーはそれに応募し採用された。

リーキーはこの経験から専攻を人類学に変え、アルフレッド・ハッドンの元で学び始めた。1926年に人類学と考古学で最高の成績をおさめて卒業した。在学中からアフリカの考古学、古生物学について講義を行い、執筆活動をし、すでに有名人であった。卒業後はアフリカで多くの遺物を採掘し、出土する人工品を体系的に研究した。

1927年にエルメンテイタ湖近くのカンブル洞窟と呼ばれた発掘場所で、二人の夫人の訪問を受けた。一人は考古学を学んだことのあるヘンリエッタ・アバーン(フリーダ)だった。二人は夜通し話し合い、その後も交流を続けて1928年に結婚した。同時期にカリアンドゥシ(Kariandusi)でアシュール文化の遺跡を発見し、発掘を行った。1929年にセント・ジョンズ・カレッジで研究職を得て、エルメンテイタでの発見を整理するためにケンブリッジに戻った。

フリーダの持参金でリーキー夫妻はケンブリッジ近くに煉瓦造りの大きな家を買った。彼女は毎日吐き気に苦しんで、リーキーの二冊目の本『アダムの祖先』のイラストを画けなかった。王立人類学研究所の講演の後に彼のために開かれた晩餐会で、リーキーは友人から20歳の若い絵描きメアリー・ニコルを紹介された。

リーキーはメアリーに本のイラストを描いてくれるよう頼んだ。それから数ヶ月すると、二人の関係はロマンスに発展していた。以降、ルイス・リーキーのスキャンダルが続発する。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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次回は “ « “類人猿ガールズ”誕生秘話 » “ を記載、続きます・・・・・

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今日(狂)の狂言 : 11月16日(土曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-11-16 06:02:27 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◇ 御茶ノ水に日本最初の幼稚園が開園(1876年)。大学まで一貫してお嬢様として教育させるのが目的だったとか言われているが、真相は闇の中。 ◇ 全世界的ベストセラーであるカラシニコフがロールアウト(1947年)。当初はソビエト連邦など共産圏で使われていたが、今では発展途上国の田舎町でも手に入れられるほどに。 ◇ 任天堂から袖にされたソニーが対任天堂殲滅のための特殊部隊を設置(1993年)。

◎ ◎ 蔵書整理・・・・身のまわり整理・・・・終活かな !!!!? 本日休刊 ◎ ◎

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