非常の山“K2”≪遠征記録≫
【The site of Camp II with a view towards the mountains of the northern Karakorum Range.】
=Dispatch #6―July 24, 2011
私たちは高所キャンプで 5 日と 4 夜を過ごした。 最後の夜には前進ベース・キャンプ(ABC)に降った。 疲労は蓄積していたが、低高度では疲れが取れるし、計画の消化には満足して帰って来た。
7月19日 良好な天気が六日程度は続くであろうと予測(無線情報等の判断)して、我々はA.B.C.基地を離れた。 出発時からの悪天候は雪を降らし、更に デポ・サイトを通過した頃から濃霧をもたらした。 キャンプCIまで辿り着こうとした行動計画が怪しくなった。
氷河を登る — 幾筋もの危険なクレバスと幾多の氷滝(屈辱的障壁) — のは簡単な作業ではないが、降雪の中 我々は登攀を中断しなかった。 高度を上げるにつれ、天候は回復しが、予定の時間はもはや大きくずれる。 昼過ぎ遅く、なんとかキャンプCIに到達 夜空に星が見えだした。
一晩中 星が輝いていた。 私たちは 7 月 20 日 の早朝5:30 に行動を開始した。 表雪を踏み、岩稜の取り付き(登攀開始)地点は昨夜の内に表面の雪は雪崩れ落ちていた。 張付く氷は登攀条件としては良好である。
氷の岩稜を登り切ると再び深い雪面に出た。 所々、氷結した表面 アイゼンが食い込み、歩行は心身を疲れさせた。 スリップは死を意味した。 私たちは今日の行動は無理が禁物だと 岩稜の頂き・突出する岩峰の肩をキャンプ場に定め、停泊することにした。
下部に設営した二か所のキャンプ・サイトはたのメンバー達には非常に狭いスペースであり、居住性の悪い 雪面のプラットホームなのだ。
午後の半日を費やし、更に上部のルート工作を行った。 海抜は6,600m以上、私たちは登行の安全を計る固定ロープを上部へと伸ばして行った。 時を見計らい、四名が懸垂下降で下って行った。 その内の二名はキャンプⅠ(CI)まで下降し、残る二名は中間のデポ・サイトに戻ったのです。
それにもかかわらず、 翌朝 ヴァシリー とラルフ、ゲェリンデの三名はキャンプⅢ(CⅢ)へのルート工作を開始した。
マックス、ダレクとトミー は、約300m(980フィート)に及ぶロープ— 前日にデポ・キャンプに荷揚げしていた —を危険地帯に固定する作業— 極度の緊張と注意が要求される。 後日の安全とスピード向上 — を熟しながらキャンプⅡ(CⅡ)に登っていた。
私たちは尾根に沿って登攀するのだが、視界は非常に悪く 登行ははかどらない。時折、視界が開けるが数分後には 更なる強風を伴い雪が吹き付ける。 雪のスコールだ。 岩の多い地形では多少速く前進でき、高度を稼ぐことが出来た。
約7,000m(22,970フィート)の地点でマックス達と合流、 マックス、ラルフ、ダレクは担ぎ上げたロープと資材をこの地点にデポ ヴァシリーとゲェリンデ・トミーは先行して 更に上部の偵察を兼ねたルート工作に向かう。 後続して三名が追った。
私たちはキャンプⅢ(CⅢ)を約7,250m(23,790フィート)に設ける予定でルート工作・ロープ固定に専念した。 メンバー一人一人の疲労は蓄積する一方であった。 約100mほど高度を稼いで、本日の荷揚げ作業に目途がつきキャンプⅡ(CⅡ)に戻る事にした。 気ままな強風が 吹き付ける雪が体温を奪う。
次の日、ゲェリンデ(Gerlinde)とラルフ(Ralf)はキャンプ II を早朝に離れ、上部に向かった。 より多くのルート工作に登って行った。 岩峰を離れ、雪稜を登攀する。 再び深い雪と氷壁 そして 終日 降雪と風に悩まされた。
【Maxut abseiling between Camp II and the rock shoulder.】
11 時間後6,800m(21,650フィート)に登り着いたゲェリンデとラルフはキャンプⅡをその地点に設営した。 二人は一週間分の食料・個人備品をここキャンプⅡ(CⅡ)に荷揚げると共に、 尚 キャンプⅢ(CⅢ)へのロープや登攀用具を岩峰肩のキャンプからか運び上げることが出来た。
K2遠征隊の頂上攻略作戦は前進し、チームとして再び目標に意志統一された。
巨峰K2北面の天候は、南西の強風の為に非常に不安定だった。 継続的の定期的な降雪 — 強い風を伴って襲い来る — に 私たちの行動は困難を極めていた。
【Darek and Vassily ascend towards Camp II in the snow.】
私たちはキャンプⅢ(CⅢ)を約7,250m(23,790フィート)に設ける予定でルート工作・ロープ固定に専念した。 メンバー一人一人の疲労は蓄積する一方であった。 約100mほど高度を稼いで、本日の荷揚げ作業に目途がつきキャンプⅡ(CⅡ)に戻る事にした。 気ままな強風が 吹き付ける雪が体温を奪う。
非常に寒く感じるが我慢できる範囲。 午後五時には全員がキャンプⅡ(CⅡ)に辿り着いた。 直ちに、ラルフが暖かい飲み物を作り、ワシリーとゲェリンデに与えて一日の労をねぎなった。
私たち全員が疲れ、 疲労が蓄積していた。 寝袋に潜り込むがウトウトするだけで夜明けを待った。 翌朝 天候がやや収まっていた。 全員が登攀態勢で携帯食を食べ戦いを待った。
昨日固定したロープを頼りに登攀を開始した。 風は時折強く、体を煽る。 濃霧だ出る。 前日の作業で工作したルートは一部雪で消えていた。 固定ロープが唯一の便りである。
昨日の最高到達地点以降は岩稜の稜線を尾根筋に忠実に登る。 ロープで互いに補助しながらの登攀。
【Vassily (left) and Maxut arranging fixed ropes at the depot between the rock shoulder and Camp II.】
Camp III この場所は我々のマイルス トーンになる。 この場所に私たちは到達した。 海抜高度約7,250m(23,790フィート)なのです。 この高度で酸素吸入器を使用しない登山隊は希であろう。
キャンプⅢ(CⅢ)に至るまでの苦闘を一瞬思い出しなが、 私たちその場・この高度で就眠した翌朝、 我々はキャンプⅣ(CⅣ)へのルート工作に出発しようと準備していた。
キャンプⅣ(CⅣ)はK2頂上への最後のキャンプ地になろう。
しかし、夜通し中断することなく降り続いた雪 そして 強風は終わる気配を見せない。 私たちは出発を躊躇せざるを得ず、翌朝の状況=天候の回復・雪の安定=判断で上部へのルート工作を繰り延べるか否かを協議した。 今日の行動は危険すぎる。
我々は終日待機し、沈殿した。 状況は好転せず、高所での滞在は体力を消耗する。 次の朝の私たちの降下を開始した。
キャンプI(CⅠ)に到達する少し前、 突然 雪崩が私たちのルート上を横切った。 幸い滑り落ちる雪崩は我々のキャンプIを脅かすように西の斜面を雪煙を立てながら滑る。
私たちは、雪崩れた雪面を慎重に歩行し、K2氷河を横切り また K2 氷河を歩いて下降を続けた。
下降途中に、偶然にも私たちは氷柱塔の間に小さな湖を見つけた。 美しく、深く澄み切っている。 もし、水温が氷点の少し上でなかったら 水着があれば、と考えるほどであった。
1 時間後に 私たちはキャンプ・サイト内に座り込み、ウイグルの料理人が準備して待っていたアブドゥル・ヌードル・スープの味に舌を鳴らす。
ほぼ 40 日間 カシュガルからの遠征開始以降、チームの状態は良く、計画の消化は順調 隊員は非常に良い気分です。
我々が滞在するチャーリー・ガブルは翌日からの数日間、天気予報が告げたように激しい暴風にみまわれた。 私たちは 可能な限りの読書と大量の食事に、心身共々リラックスできる日時を持てたのです。
今日はここまで。 あなたに 信愛を籠め送信します。
----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------
【壺公夢想;紀行随筆】 http://thubokou.wordpress.com
【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/
【閑仁耕筆;探検譜講】 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/
【壺公慷慨;世相深層】 http://ameblo.jp/thunokou/
・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
================================================
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます