【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

挑戦者達の苦闘=s Ⅱ-4=

2013-02-07 22:50:43 | 冒険記譜・挑戦者達

 

非常の山“K2”≪遠征記録≫


 

 美しい景観とエキサイチングな経験に満足を与えてくれた四日間の日々は、 また 我々をへとへとに疲れさせた。 金曜日の午後、私たちはK2北面・北柱稜の下部に設営した前進基地であるアドバンス・ベース・キャンプ(ABC)に戻った。 

  私たちはここABC=別名、“イタリー・ベース・キャンプ”高度5,900m(15,260フィート)=にて数日を休憩・休息を取ろうと考えていた。 ここ数日間の天候は不安定で、休息期間中に 非常に変わりやすい天気が回復するのではないかとの期待を抱いて休暇に入った。

 

我々 が3,900m(12,800フィート)の中国基地キャンプに到着して以来、 煩雑なごたごたや処理せねばならぬ私事を各自があまた多数抱えていた。

 

 【Tommy at the team's "Internet Café" on the east side of the K2 Glacier trying to fix 
his BGAN】

 

 最初に、イタリア ベース キャンプ(アゴスティーニ・ディ・ポレンザが1983年に率いて登頂を成し遂げたイタリア遠征隊から命名)で 我々の設営を可能にする為に ラクダの馭者達が、猛烈に支援してくれたことを記しておこう。

  残念なことには 私たちには 我々の低所ポーター二人が5,050m(16,570フィート)の“常設”のアドバンス・ベース・キャンプ(ABC)に移動し、イタリア ベース キャンプの運営に困難を来たしていた。

 

最初の荷揚げの後、二人はムスタグ・アタ(Muztagh Ata)での荷揚げ作業に比べ「容易な仕事だった」と話してくれた。

 

客観的には 確かに荷揚げ作業はかなり厳しいものだった。 彼らの助けなしでは、我々はあまりにも多くの時間と 5,050mのABCを設定するエネルギー コストが多大に要求されただろう。

 

ABCは 更に、我々が設営を計画した4,650m(15,260フィート)のキャンプ地(CⅠ)=氷堆石で埋まる K2 氷河上から山頂に攻め上がる山稜北側の麓=から約20km(12マイル)の地点であり、IBC とCⅠの中間点の最適地に設けることが出来た。

  

八名のラクダ馭者・世話役は大変親切でキルギス人です。 IBCは彼らの援助で 今や 我々のデポ(資材置き場)地点となり、私たちはABCに全力を傾注することが可能になった。

 

【Ralf climbing up the beautiful snow ridge between Camp I and Camp II.】

 

 ラクダの馭者達がABCを立ち去った後、一日が長く感じる三日間は悪天候が続き 我々は立ち往生してしまった。

 

 K2氷河のこの場所には通信衛星中継地はなく、堆積岩の東側に小さな通信サテライト用テントを張った。 このテントのみが 衛星接続が外界とのコミニケーションが執れる。

  遠征隊メンバーである二人のカザフ族隊員は愛情を込めて、'我々の小旅行をメール通信=堆積岩の丘や小石紛れの氷塊への小半時の散歩を招待するツアー参加要請文“アナスタシアへどうぞ!”=を行う。

 

 私たちがインター ネット カフェを得るために非常な努力が必要だった。 我々は 自身の魔法瓶持参しなければならなかった。 しかしながら、 サクスガム渓谷の景観は不十分な設備にもかかわらず、十二分に満足できる いや 何不自由なく充足できる機能を提供していた。

 

 【The team discusses climbing strategy.】

 

 7 月 5 日 天候は回復した。 私たちは滞在するキャンプ地を離れ、 非常に印象的なK2の北柱稜の基部に登って行った。 我々極度に重いリュックサックを背負い一歩一歩と 全員が重さに苦しめられる。

 私たちは、約5,300m(17,400フィート)の高度で、K2北柱稜の基部には15分ほど歩けば取り付ける地点にキャンプ(CⅠ)を設営した。  このキャンプ地はいかなる8,000メートル峰のベース・キャンプの海抜高度よりも高い場所で、 8,000メートルの巨峰を攻撃するのには通常高度としては興味深いキャンプ設定になった。

 

  次の朝、ダレク、トミー、ゲリンデ(Gerlinde)はキャンプ(CⅠ)に必要な登攀装具 また 今後の攻撃に要求される備品を運び上げる為にデポ・キャンプ(ABC)に戻って行った。

一方で、マックス(Maxut)、ワシリーとラルフ は500 メートル(1,600フィート)の固定ロープを高さ 250 メートル(820フィート) ガリー(急斜面の谷・岩溝)にアンカー・ボルトで固定する作業に取り掛かっていた。

 

 この混成の遠征隊は完璧なチーム・ワークを発揮し、過酷な条件での登行に・・・にこの遠足は多くの楽しみを本当に与えてくれる。 正午に 我々全員がキャンプ(CⅠ)に再び集結し、誰もがここ二三日の行動に満足感を抱いていた。

 

 7 月 7 日、私たち全てがいったんデポ・キャンプ(ABC)に立ち戻り、再び 非常に重いリュックサックを担いでキャンプ(CⅠ)に登って来た。 特にヴァシリーが、また ゲリンデ(Gerlinde)の率先的な行動は この驚くほど美しい日の下 眼を見張るものであった。

 上部への登攀は、K2 氷河の素晴らしい景色を背景に 増々傾斜が増加する雪稜にステップを刻む登攀で始まった。 そして 挑戦的な高難度の V 型岸壁の岩登りになって、ますます急な雪に覆われた尾根を登る。

 標高 6,200 メートル(20,340フィート)地点、私たちは我々の労働を分割することを決めた。

 

 マックス(Maxut)、ダレク、トミーの三名は小さな平地を作る。 この場所は次に登った折に使用する安全な保養地として使う。  ゲリンデ(Gerlinde)、ヴァシリーとラルフは上部の危険なトラバース(横断・水平登行)場所に 長さ100 メートリ(330フィート)のロープを固定作業の開始。

  ラルフとアバラコフ(Abalakov)と共にトラバース・コース上のアイス・スクリュー(氷に捻じ込む安全確保用ボルト)に細引きを張る作業の間に ゲリンデとヴァシリーは更に登り続けた。

 

 100メートル(330フィート)を登り続けたゲリンデとヴァシリーは約 6,300 メートル(20,670フィート)地点にまで到達した。

 その後、1,000 メートル (3,280 フィート)を懸垂下降し 約13 時間を費やして作業を終えた我々はキャンプ場に戻った。 私たちのチーム・ワークの良さに全員が喜びと満足を覚えた。

  疲労感があったが、その夜は深い眠りに就くことができた。

 

 

 

  私たちが高所ベース・キャンプ(ABC)に帰幕したのは四日間の重労働 緊張を強いる疲れる作業を終えた日金曜日の午後だった。

 私たちの疲労は激しく、このままでは 我々の登行継続への自信は揺らぎ始める。

 

 今 我々には体力の回復の為、十二分な休息が必要だった。 また、下降した天気も数日の後に 異なる状況の天候に変化するであろうと望んでいた。

 

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

                           森のなかえ

 

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