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本日記載附録(ブログ)
英国北部にあるローマ帝国時代の城壁(囲壁)。 ローマ帝国の国境線を防御する防御壁『リメス』の一部であり、ローマ帝国最北端の国境線である。 ブリテン島北部、イギリスとスコットランドとの境界線近くに、ローマよりアテネを愛した第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設された。
ローマ帝国は1世紀半ばにブリタニアまで領土を拡大させたが、ケルト人の侵入に悩まされていた。 そこで皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122年に工事が開始さた。 10年が費やされ、領土拡張を続けていたローマ帝国の、また拡張政策を断念した遺構として象徴的な存在である。
【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
かつてローマ帝国の北端だった英国北部に築かれた防御壁は……
◇◆ ハドリアヌスの長城を踏破した、今も英国に残る「ローマ帝国」 =2/2= ◆◇
トッド・ダシルバ氏によれば、産業革命以前、社会と過去の関係は現在とは異なっていた。19世紀以前には、歴史が現在と切り離されることはほとんどなかった。ローマ人が去った西暦400年ごろ、壁の大部分は地元の政治家や軍人、聖職者に盗まれた。大都市圏にはもはや、目に見える遺物はほとんど残されていない。
しかし、都市から離れたウィン・シルと呼ばれる火成岩体の尾根沿いには、壁の大部分が今も立っている。そのふもとではヒツジの群れが歩いている。ニューカッスル郊外では、農場の家畜と餌入れが見慣れた風景となっている。
古代ローマの神殿や浴場を訪ねて
東から西を目指すルートには、古代のアーチや橋台、土塁が点在する。歩みは遅く感じられ、無秩序に広がるニューカッスルの街が農地や草原に変わるまでに数日かかった。
トッド・ダシルバ氏は雨の中、チョラーフォード近郊の牧場から、マイルキャッスルと呼ばれる小さな砦の位置を示す草深い小山に向かって速度を上げる。数時間後、ヘクサムからほど近い牧草地で、私たちはフラスコのふたを開け、祝杯を上げた。旅の道しるべが小山から腰の高さまである石垣に変わり、本当の意味で初めて長城を目にした瞬間だった。
3度目の野営の翌朝、イングランドの田園地帯に太陽が昇り始めた。すでに60キロ余り歩いていた。ミトラ教の神殿に夜明けが訪れ、私たちは水しぶきを上げながら中に入った。
足元はむき出しの地面だが、神殿が建造された西暦200年ごろには外界から隔絶されていた。ローマ時代、地下にあるこの聖域で、兵士たちが中東から伝わったミトラ教の儀式を行っていた。
好奇心旺盛なウシに見つめられながら、私たちはハイキングを続けた。トイレから通貨、言語、芸術、建設プロジェクトまで、現代の英国にはっきりと見られるローマ人の影響について語り合った。
「ここに暮らす人々は水道を持っていました」とトッド・ダシルバ氏は説明する。「今ここにあるような農場も持っていました。パンを焼く台所や温水の風呂もありました。子どもたちはおもちゃで遊び、大人は手紙でコミュニケーションを取っていました。古代人は私たちより知能が低かったと思われがちですが、それは事実ではありません。ただ利用できるものが異なっていただけです」
それを物語っているのが、この旅で最も印象的だった遺跡だ。ビンドランダやチェスターズの砦にある広大な浴場は、現代のスパもうらやむような設備が整っている。床暖房、マッサージルーム、更衣室、エクササイズエリア。しかも、すべて自由に使うことができた。
2000年前と変わらない景色
ハウステッド、チェスターズ、ビンドランダ、セゲドゥナムは最もアクセスしやすい要塞で、手入れされた芝生や博物館には、車で乗り付けた観光客があふれかえっている。プラスチックでできたローマ人のかぶとをかぶっている人もいれば、長城をモチーフにしたカップを手に一息入れる人もいる。
一方、トッド・ダシルバ氏と私にとって、過去を間近に感じながら過ごした1週間のハイライトは、土産品ほどわかりやすいものではなかった。
それは牧草地のぬかるんだ土塁や、朝日を浴びるミトラ教の神殿の思い出だ。あるいは、2000年前の人々が見た景色と目の前に広がる景色との差が紙一重に感じられた、小道での静かな時間だ。
そして、古代の防御壁が再びニュースになったコンクリートの街からわずか数キロの場所で、昔のままに残されたハドリアヌスの長城の断片を初めて見た忘れられない瞬間だった。
次回は“ローマよりアテナィに傾倒す・ハドリアヌス皇帝”に続く・・・
⨁⨂参考資料: ハドリアヌスの長城、写真紀行(2/2) ⨂⨁
長城沿いには、古代ローマ人たちの築いた街や砦、寺院などの遺跡が点々と現存しており、ビジターセンターや博物館が併設され、一般公開されています。長城の端から端までを踏破してみよう、あるいは、サイクルしてみようと思われる方のためには、ウォーキングルートやサイクルルートが整備されています。
自分の足で踏破はちょっとと思われる場合は、春から秋にかけて、ハドリアヌスの長城沿いの要所にバス停が設けられていて遺跡観光に便利なカントリーバスが運行しています。
また、ハドリアヌスの長城から北の地域にはスコットランドとの国境に至る広大なノーサンバランド・ナショナルパーク (Northumberland National Park)が広がっていて、北イングランドの自然の美しさをながめながらハイキングできるウォーキングコースも豊富です。
古代ローマの遺跡巡りもいいですが、見渡すかぎり緑の丘がたたみ重なる風景の中を歩くのもこたえられません。
ところで、このハドリアヌスの長城の西端カーライルの南側にはピーターラビットでおなじみの湖水地方が位置しています。
だからって、古代ローマ時代の遺跡とピーターラビットに何の関係があるのと思われるかもしれませんが、これが大いにあり! イギリスのうさぎは、古代ローマ時代の兵士たちによってもたらされたものなのです。
もし古代ローマ帝国がその領土をイギリスにまで広げていなかったら、島国イギリスにはうさぎはもたらされなかったかもしれません。つまり、ピーターラビットも生まれていなかったかもしれないのです。
歴史は、思いもしないところで不思議な縁(えにし)の糸を紡ぎだしているものですね。
さて、悠久の歴史が横たわる丘に立ったとき、あなたの胸にはどんな思いがよぎるのでしょうか……。
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= エディンバラ観光 ハドリアヌス長城へ =
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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