2011年3月11日 東北地方沖でのマグニチュード9の巨大地震による巨大津波
場所によっては波高10メートル以上 遡上高40メートル以上を記録
宮城県・岩手県・福島県を中心に 北海道から関東地方の太平洋岸に膨大な被害
近代都市を襲った史上はじめての巨大な津波
私たちは何を学び、これから何をすべきなのか / 津波研究者・今村文彦
【この企画はWebナショジオ_【研究室】「研究室」に行ってみた を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 波研究者・今村文彦が見た“悪夢” =3/3= ◆◇
貞観の地震津波というのは、平安時代の貞観11年(西暦869年)に、仙台・石巻平野沖を含む長大な範囲を震源にした地震によるもので、文献的な研究からも、津波堆積物の研究からも詳細が確認されている。数10年から100年単位の短い周期で津波被害がある三陸沖に比べて、被害の印象が薄い東北地方の中南部にも、巨大地震による大津波が1100年周期くらいであると分かってきたところだった。
「2004年インドネシア・スマトラ島沖のマグニチュード9.3の地震津波以降は、やっぱり日本でも考えなきゃならないということで、実態をもっとはっきりさせて、具体的な対策を考えようとする雰囲気は官庁や自治体にあったのです。2010年には、マグニチュード8.8のチリ地震があって、我々は巨大地震の時代に入ったので、更に準備しましょうとも、私は言っていました。
一番課題だったのは予算ですね。防災マップにしても、よりよい防潮堤、防波堤も、当時は、つくるのが難しかった。何でコンクリートのものをつくるのかというような社会的批判もありましたから」
忸怩たる思いを抱えつつ、その後、今村さんは、今回の津波の検証・研究に多忙な時間を過ごしてきた。自ら被災地域の住民であり、大学も被災したという困難の中のことである。仙台に住むぼくの知人は、「テレビに毎日のように出ていた今村先生」について、「健康が心配だった」と述べるほどのハードワークぶりだったという。
昨年7月にはオーストラリアで津波をめぐる国際学会があり、今村さんも出席した。様々な公的機関の観測データや今村さんたちの現地調査、痕跡データなどもインターネットで順次公開済みだったので、海外の研究者も含め、様々な研究がすでになされていたという。
「津波の研究史上、もっとも観測網が稠密(ちゅうみつ)な日本で起きた大きな津波であるわけです。とにかくものすごいデータがとれているということで、解析を非常にがんばってやってくれていました。津波研究のレベルとしては、非常に上がったと感じましたね。
一方、防災という面では、日本がこれだけやられてしまうなら、一体、ほかの国では何ができるのかということで、議論が止まってしまっていました」
今村さんが言う「悪夢」は、研究者の間でも国際的に共有されてしまっていたらしい。
しかし、そこでいつまでも止まっているわけにもいかない。科学者・工学者として、今村さんは、こうも続けた。
「今、津波の実態がだんだんわかってきているわけです。どんな規模で、なぜ起こったのか、少しずつ方向が見えてきた。もちろん、まだまだこれから先、研究しなきゃならない大きなテーマですが、分かってきたことを踏まえて、じゃあ何ができるのか、と。もうひとつの大きなテーマの方向も、やはり見えてきたと思
次回【実は“2つの津波”が重なっていた】に続く
◇ 東日本大震災 日本では報道できない映像 ◇
・・・https://youtu.be/THSQSlYTHf0?list=PLORrVF9ZX_qHAYpj7t5OjmELuQZ9bqHn7・・・
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■□ 参考資料: 津波石(つなみいし) □■
津波石(つなみいし)は、津波によって岸に打ち上げられた大岩である。
津波は大きなエネルギーを有しており、その押し波は高い水圧で海中の巨石などを運び、強い水流によって陸地の内部にまで運ばれる。特に、亜熱帯・熱帯地方の沿岸部では、サンゴ礁が石化してサンゴ石灰岩が形成され、潮汐による浸食を受けてキノコ状の岩礁になったり、岩塊となって海中に点在しているものが多数ある。これらは、比較的もろく比重も小さいため、津波によって一部が分離し、陸に打ち上げられやすい。
琉球諸島の巨礫は堆積の状況によって以下の3種に類別される。
- 砂丘に至るまでのリーフや海岸に位置するもの(on the reef and coast up to the sand dunes)
- 砂丘より陸地側の低地に位置するもの(on the lowlands landward of the sand dunes)
- 高い崖上に位置するもの(on the high cliff tops)
これらの岩塊は大きさの割に比重が低いため、津波だけでなく台風などによる高波でも陸に打ち上げられることがある。台風によって打ち上げられた石は台風石と呼ばれる。巨礫が津波起源のもの(津波石)なのか台風の高波起源のもの(台風石)なのかは内陸方向への移動距離で識別することができる。
沖縄県の先島諸島の海岸や内陸には津波石が多く残っている。1771年に起きた八重山地震の津波(明和の大津波)によって海岸に運ばれたり、陸に打ち上げられたと伝えられているものも多く、「高こるせ石」のようにそれが科学的に検証されたものもある。一方、近年の研究により、先島地方では明和の大津波以前にも約600年間隔で津波が発生していたことが明らかになっており、「津波大石」のように、実際には明和の大津波以前の津波によって打ち上げられたものも多いと見られている。
宮古諸島の下地島には、「帯岩」と呼ばれる巨岩が残り、信仰の対象となっている。また、伊良部島から下地島にかけての佐和田の浜にも、遠浅の浜に巨岩が点在し独特の景観を作りだしている。宮古島の東平安名岬でも、岬の台地上や付近の海岸に多数の大岩が点在している。
八重山諸島の石垣島東海岸にある津波石群は、2013年3月27日付で「石垣島東海岸の津波石群」の名称で天然記念物に指定された。当初、指定対象となった津波石は、大浜の「津波大石」、大浜の「高こるせ石」、伊野田の「あまたりや潮荒」、平久保半島安良にある「安良大かね」の計4つで、2013年10月17日付で伊原間の「バリ石」が追加指定されている。
当初指定された4つの津波石のうち、大浜の崎原公園にある「津波大石」は長径12.8m、短径10.4m、高さ5.9mの大石で、研究の結果、この石は八重山地震ではなく、約2000年前の津波によって打ち上げられたものと考えられている。一方、他の3つは明和の大津波によって移動したとの記録がある。また、追加指定された「バリ石」も明和の大津波によって移動したと推定されている。津波石の多くはサンゴ石灰岩であるが、「安良大かね」は流紋岩で、鉄分を多く含んでおり赤く見える。
明日に続く・・・・・
- [NHK]影像紀錄:東日本大地震(簡中字幕) ◆
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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