◇ 11月26日の誕生花はペチュニア、花言葉は「決して諦めない」。決してカサブランカではない。君の瞳にカンパイ!! ◇ お湯をかけて3分間で写真ができるインスタントカメラが発売(1948年)。 ◇ 国鉄がこの日より8日間全線運休、しかしトラックだの私鉄だの自家用車だのの代替手段で用が足せてしまう現実を見せつけられ、結果的に国鉄の地位低下を咋にする結果に(1975年)。
◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第 26回= ◎ ◎
1956- « 隕石から地球を守る男に彼はなぜ選ばれたのか (1/3) »
= Webナショジオ そうだったのか! 『ナショナル ジオグラフィック』 =
……National Geographic Journal Japan 〉/ 2013年2月20日 / (Web編集部) ……
驚きました! 驚きましたよね? ロシアの隕石!! おまけに、あっという間に動画が次々とアップされたのもびっくりでした。ロシアではなんでこんなにドライブレコーダーが普及しているの? と思ったら、どうやら事故の調査がけっこういい加減らしく、自己防衛のために使っている人が多い模様。そのせいでしばらくパソコンの画面から目が離せませんでした。
ネットのニュースでは、「空中で爆発」「衝撃波」「爆風」等々の報告が。最新のニュースでは彗星なんて説も出てるけど、いずれにしろ「ビルからモノが落ちた」的な単純なハナシではなく、ツイッターのタイムラインを眺めていても「いったい何が起こったの?」と感じた人は多かったようです。
でも、中の人はすぐ「そうだったのか!」と思い当たりました。なぜなら、2008年9月号の特集「標的は地球? 小惑星接近」を読んでいて、「検証 ツングースカ大爆発」のCGも見たことがあったからです(CGはFlashのためiPhoneとiPadでは見られません)。
居住地から離れたタイガの奥地であるため、人的被害は公的には確認されていないが、遊牧民のチュム(英語版)が吹き飛ばされるなどして死傷者が出たとする伝聞がある[7][8]。また非常に僻地であるため、猟師や木こりなど発見されなかった犠牲者がいた可能性もある。
まさに小天体が空中で爆発して、衝撃波が地上に被害を与えたパターンです。この大爆発と比べると、今回は被害の範囲も狭いし、死者も出ていなかったようなので、隕石が小さかったのでしょう。被害の拡大が心配な一方、心のどこかで少し安心もしていました。
けれど、もしも隕石とか彗星がもっと大きかったらどうなるか。もしかして、恐竜が絶滅したときぐらいのヤツが落っこちてきたら?
そのへんのことも「標的は地球? 小惑星接近」に書かれているので、興味のある人はぜひ読んでみてください。 同時に中の人は以前に観た『ディープ・インパクト』という映画を思い出しました。
大量絶滅をもたらすほどの大きな彗星が地球に接近し、「メサイア(救世主)号」と名づけた宇宙船が彗星の軌道を変える作戦に出撃します。しかし、作戦は失敗。地球最後の日々を迎えるなか、人々はパニックに陥って……という内容。
結末は映画をご覧いただくとして、メサイア号は失敗しちゃうんだけど、“フィッシュ船長”がいい味出しててカッコいいんですよね。
ほかの乗組員の父親ぐらいの年長者。かつて月まで行ったベテラン宇宙飛行士で、世代間のギャップを乗り越えながら、チームをしっかりとまとめてゆく。いかにも古きよきアメリカのヒーローといった感じなんです。
実は、フィッシュ船長にはモデルとなった人物がいます。というより、実在した英雄のイメージを拝借したというほうが適切でしょう。
その人こそ米国「宇宙計画の最大の英雄」ジョン・グレンです。
ただし、ジョン・グレンは月には行っていません。それでも、月に人類の第1歩を刻んだアポロ11号のニール・アームストロング船長やエドウィン・オルドリンよりもアメリカではずっとヒーローとして格上なのです。
なぜ最初に月へ行ったアポロ11号の乗組員よりジョン・グレンなのか。 それは彼が「宇宙を飛行した最初のアメリカ人」だから。
正確に言えば、ぽんと打ち上げて落ちてくるだけの「弾道飛行」をした人はいたものの、それはすでに地球の周回飛行を成功させたロシアとのギャップを少しでも埋めるために行った急場しのぎ。技術的にはさほど意味のないものでした。
米国の宇宙船で地球を周回したのはジョン・グレンがはじめてでした。しかも、まるで「はやぶさ」の帰還のときのように、その飛行はギリギリのドラマに彩られていました。それが彼をよりいっそう偉大な英雄に仕立てあげます。
ジョン・グレンのフライトは1962年2月のことでした。1959年にスタートしたアメリカ初の有人宇宙開発計画「マーキュリー計画」の最初の地球周回飛行計画です。打ち上げの様子は世界中に中継され、1億3000万人を超える人々がテレビの前に釘付けになりました。
打ち上げから海への着水に至るまで、管制センターとのやりとりを含めて、その様子は1962年6月号の特集「フレンドシップ7によるジョン・グレンの軌道3周(John Glenn’s Three Orbits in Friendship 7)」に36ページにわたり克明に記録されています(フレンドシップ7は彼がつけた宇宙船名)。ちょっと長くなりますが、紹介してみましょう。
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