ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

「地域の話合い」が報道され~

2025-03-21 17:40:23 | Weblog
 最近なんどかこの日記でも「地域の農地問題での話合い」について記してきた。
私は、組織内に置いても地域の課題について、例え些細なことでも皆で「良く話し合う」事を基本にして
来たつもりだ。若い頃には「お前は口先ばかりだ~!」なんて言う批判も随分といただいた。
その「口先ばかり」にならないためにも皆で話し合って結論を出すことが必要なのかも知れない。
案外と私にとつて「口先ばかり」から生まれた「良く話し合う」なのかも知れない。

 組織活動などでは、組織の一員になっているがためにいただく報酬らしきものもある。その主たる活動は
会議に出席し論議することも大きな役割だ。もちろん日常的な活動もあるが・・。
私はその役割を果たすためにも、随分と会議の場所では発言もしてきた。
妻が報酬をもらう組織活動に始めて参加した昔、私は妻に活動の先輩ふりしてよく言ったものだ。
「「黙って椅子に座っているだけではだめですよ~」と。そんな妻の活動ぶりは見た事無いが、今では
妻の方が色々な役職をもらい大先輩になっている。私の前では決してハナを高くして「いばってはいない」が・・。

 そんな地域での話合いの成果が報道されていた。
特に先人が切り開いてきた農地を守り有効活用することは、先祖から引き継ぎ「今を生きる私達の使命だ」と
言っても過言ではない。

             

             

 これまで多額の国費を投資して整備された農地。
大型機械も入り生産性が拡充され酪農経営の安定に繋がっていることはたしかであろう~。
別な部分での厳しさはあろうが・・・。

 先日、私も受益者であったが、国費で整備された農地の完了報告会と祝賀会が行われた。
私の農地も狭い区画が大幅に拡大され効率化が図られた。その圃場で10年ほど牧草収穫してきたが、
酪農経営卒業と同時に、次の世代にしっかりと引き継がれ有効活用されている。

 そうした活用方法も地域全体で話合い、農地を荒廃させないことが大切なことであろう~~。
やっぱり、地域農業を守るためにも地域の課題は、地域で皆で話し合うことが最も大切なことなんだろう~~。

            

             


         
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薪(まき)わり

2025-03-20 17:36:41 | Weblog
 私が30歳の頃までの我が家の冬の暖は薪(まき)ストーブで薪をたいていた。
家周辺が山々だから沢山の木があつた。薪ストーブから石油ストーブに変わり石炭の記憶は風呂釜も
含めてまったくない。子供の頃の薪運びなどの手伝いが脳裏に焼き付いている。チェンソーもない時代は
大人がノコで切り倒し、一定の長さにして、小切りはエンジン付きの大きなノコギリだったように
思う。懐かしく思い出される。

 そんな時代から、薪切りや薪わりは、今の時期の来年に向けての暖の準備が恒例の仕事だつた。
暖気が続いて気温が下がり、残雪が固くなってぬからなくなったりしたときは、薪切りは最適な時期だった。
例え数本の木であっても倒れる瞬間は、まさしく「いのちをいただく」瞬間でもあり「寂しさ」を感じてしまう。
まさに樹木が冬眠している間で、目を覚まし水分を吸わない間に切り倒さなくてはならなかった。

      

    
 
 そんな事を思い出しながら、見通しの悪い所や建物に邪魔になっている木を切り倒し、短く切って
薪わりをしている。今の薪わりは暖を取るためのものではなく、体験交流等の際に使うものですから
少しの量でよい。

    

 運動不足の老体にはとても力のいる仕事だ。
狙いを定めてオノを振り下ろしても、狙いがはずれてしまう。
もう少しだけ体力増進を含めて、薪わりに精をだしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1枚のハガキ

2025-03-19 16:16:22 | Weblog
 今朝は久しぶりに気温が低かった。
我が家の前庭で、午前6時過ぎの気温はマイナス13度。ビリッとした冷たさがホホに突き刺さる。
思わず両手でホホをふさぐ。普段なら普通の気温だが、この所の暖気で冷たさを忘れかけていたのかも
知れない。

 昨日、お出かけから戻ったら郵便物の中に1枚のハガキがあった。
差出人より先に文面に目が行った。
「なんとも嬉しい内容か・・・」と思い女房に見せた。2人で喜びあった。

 文面からしてコロナ前と言うから、何年も前のことになる。
それなのに思いおこしていただいてご連絡いただけるとは・・・。大変に申し訳ないことですが
私達にはお顔なども思い出すとことはできなかつた。しかし・・文面からその姿を想像し、とても感謝
した。本当に有り難うございました。あまりの嬉しさで今日の日記の話題にさせていただきました。
お許し下さい。

            

    

 道の駅でミルクジャムも購入していただいたとのこと。
当時はまだ45㌘程度のものだつたかと。昨年から80㌘くらいの瓶にしました。
おハガキさん・・どうぞこちらにお出で際は再度お立ち寄り下さい。茶屋の営業は5月3日から
になりますが、毎日まいにちお暇していますので、事前にメールいただけ増したらいつでも・・。
  (道の駅で売られています)

            

 こうした出来事は、私達に取っては本当に元気をいただくものです。
多少の困難はあっても「喜んでくれている人がいる~」と言う事で感動として胸にきざみ、力に変えています。

 以前、地震の際、ブラックアウトになったことがありました。
その時、3泊4日の2名の酪農体験生の受入れと重なりました。困難を乗り越え予定通りに受入れ
計画された我が家のプログラムを進めました。その時プログラムの中に「いのちの授業」があり
伝えました。帰ってしばらくして、彼女のSNSに当時の感想を書かれている文面を発見しました。
今でも大切にコピーして保存しています。

 その文面の感想と今回の1枚のハガキを重ねて見ることが出来ました。
私達にとってとても大切なものです感謝に堪えません。

          

              
           (この中の1人です)
 道の終点の山奥で、酪農経営をやめても付近の牧草地を管理しながら農業者として生きながら
消費者との交流活動が出来る事にとてもありがたい事だと常に思っています。
今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻をお願い致します。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小川優子女史

2025-03-18 17:17:15 | Weblog
 今日の日記のタイトルに「小川優子女史」とした。
小川優子は私の女房です。

 先日の私のSNSにこんな書き込みを頂きとても嬉しくなった。
その書き込みとは・・・
「小川さんはいつも明るく前向きに楽しむ事を実践されていますが、それがお元気の源のひとつなのか
なと思っています。奥様と共に行動されているのもとても良い事なんだと思います。見習わなきゃです」と。

 そんな事からうれしさ余りに女房と過ごした日々を思いおこした見たくなり、古い写真を見た。
恥ずかしさがあふれ出ていましたが、あえてこの日記に書くことにした。

 私達は、2年6ヶ月前までは酪農家として牛も90頭ほど飼っていた。
女房は私より7歳ほど若い。それだけエネルギーは私よりあるのかも知れない。(写真は全て古いもの)

     

 私達は再婚同志だ。(私は40代前半で再婚した。紹介されるまで知らない間ガラ)
このことを私達は多くの初対面のかた方にも語ってきたことだ。何故か・・と言う理由はある。
私達が再婚して28年がたった。女房が酪農家になって18年が過ぎた。その前は学業終えてから
ずっ~と町の保育師として働いていた。

 私のワガママで、私の所に来るなり大変な苦労をさせた。地域の学校を閉校の危機から守ろうと
始めた山村留学。多くの子供達を里親として迎え私達の家で生活を共にした。
一言の小言を言わず役割を果たしてくれた。
そしてまもなく始めたファームイン(農家民宿)、茶屋の営業開始でソフトクリームや牛乳販売。
牛のお世話をしながら、消費者を牧場に向かい入れる交流活動の一環での体験者の受け入れ、宿泊者の
食事、更には、ミルクジャムの製造などなど・・・

     

    

    

 牛のお世話は、余り負担にならないようにと、私とキチッと分担して、少し早めに仕事を終えて頂き
宿泊者のお世話等など・・・

     

 1年に何度かは、学生が10~13人が1度に宿泊。1泊が多いですが・・。
狭い牛舎での体験や食事のお世話での苦労もありました。
辛い事も沢山ありましたが、1つひとつ話し合って乗り越えました。事故や病気の心配も沢山あ
りましたが何事もなく今日まで無事に過ごせています。

 そして・・「楽しかったです。とても感動しました・・」と言う言葉が私達をも元気にさせて
いただき、その言葉が私達に感動となって胸に刻み込みます。
次につなげようと・・・。そして・・バスを見送ります。

            

 以前開催していた100キロマラソンの時も沢山宿泊してくれました。
夜は我が家でも前夜祭です。それにもキチッとお付き合いです。
朝は午前2時から朝食とランナーを送り出す準備。午前4時には出発。スタートの午前5時に激励に私達も参加。
直ぐに帰ってきた牛のお世話や搾乳。午前8時からは牛の姿でエイドのお手伝い。
「とても楽しかった」と時々思い出して古い写真を見て語りあいます。

     
 
 シカの被害が多く狩りまでやってくれ、銃を持って長くなります。
安心して家庭菜園に取り組めます。

    

 今では、老いた私は不安なのか、遠くのお出かけは二人で出る事がほとんど。都会のレストラン
に入ってもAI注文。なかなかついて行けません。
お出かけのほとんどが老後の楽しみとしてです。でも女房の今は色々と役職は多い。
老いた私は常にボサッとして呑気な日々。
多くのみなさんには、沢山たくさんお世話になったのに何も恩返しが出来なく私は、生涯を終えようと
しているのかも知れません。

 SNSへ書いてくれたコメントにたくさんの元気を頂き、私達の牛を飼いながらの「28年間の暇なし人生」を
ほんの少しだけ「ひもとく機会」をいただきました。

まさしく女房の「小川優子女史」にふさわしい思いで日記だったかも知れません。
有り難うございました。

 最近の日記の長さを気にかけています。
いつもいつも沢山のご閲覧、ご訪問有り難うございます。
最後まで読んでいただき有り難うございました。



   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼岸荒れ・・?

2025-03-17 15:39:11 | Weblog
 昨夜から風も強まり、朝から荒れた天気の我が家周辺。
それでも妻は午前中の会議に出かけ、役目を終えて帰ってきた。私の午後からの集まりは中止。
またまた妻は午後5時からの会議があると、行けるか行けないか私案している。
降雪は大してないが風が強く地吹雪による道路が大変だ。

 吹雪模様ではあったが、午前6時半頃ウォーキングに出かけた。
昨日まで夏のような道が一変。「ギュッぎゅっ!」と靴で締め付けられる雪の音をリズムに変えて
歩きずらい道を「健康のためによいのでは・・」と語りながら歩いた。

    

 つい先日、短靴に変えたばかりの道。
吹きだまりの所は15㌢ほどの積もっていた。

           

 良く意味も分からないままに「彼岸だから彼岸荒れだよ~」なんてよく言っていた。
今回も「彼岸荒れだな~」と。こんな言葉を知っているのだから、良く使っていた言葉であり、言い伝えられ
ているのだ。先日も集まりの中で「彼岸が近いから天気はあれるよ~」なんて言うことが良く言われていた。

 フト、不思議に思い、いつの時代から彼岸に天気が荒れていたのだろう~と言われているのかと
「彼岸荒れってなんだろう~」とネット検索してみた。
多くは記されていなく、良くわからないこだが「お釈迦様が入滅したとされる陰暦2月15日涅槃会の頃に吹く
北西の季節風のなごり」らしい・・・?

 妻に知ったふりして聞いてみた。ネットで少しだけ情報をえてたので。
私 「彼岸って何だか分かるかい」
妻「フフフ・・・お参りする日」
私「阿弥陀仏の極楽浄土のこと。オレも良くわかんないけど・・」
私は続けて・・「彼岸はあちらの岸で、限りなく明るい世界でよ~なくなった人達は明るい世界にい
るんだよ。真西の方向」と。 だからその人達にお参りするのか・・。「こちらは娑婆の世界」
何だか良く分からないが少しの間だけ会話が続いていた。

 吹雪の天気から、亡くなられた仏の世界を見つめてみることが出来たようだ。直ぐに忘れて
しまうだろうが「彼岸荒れ」の意味が何となくわかったような・・・。

 そんな吹雪模様の中、妻は午後5時からの会議に出かけていった。戻ってこないところを見ると道は
安全だったのだろう~~。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稚内公演が終わりました

2025-03-16 17:16:20 | Weblog
 昨夜は久しぶりの稚内泊でした。
体調も万全だったために、お寿司もある居酒屋風のお店で妻と少し飲み、昔話にハナを咲かせていました。
贅沢にもお腹がいっぱいになりました。お寿司を2貫だけ頼んで、ごつい手で美味しく食べました。

             

 昨日は、森崎博之のアグリマンショーの稚内公演を楽しみました。
全道各地7カ所の公演の6カ所目でした。最後は3月29日の十勝の幕別町100年記念ホールで開催され
ルと言うことです。

     

 稚内公演、沢山の方ガタがご来場されていました。
「ジャガイモ農家の後継者にかかわる一人舞台・・」自分の姿と重なり涙が出ました。
3年ほど前でしょうか~~~。偶然見ていたNHKの「あさイチ」というテレビ番組で紹介されて
いたのを写真に収めていました。番組を見た方から連絡いただいたこともありました。
そんな事と重ね合わせて見ていました。

      

            

 終わった後のバタバタしている時間帯でしたが、町長さんや副町長さん、教育長さん、町観光協会会長さ
ん等の後について行って私達も楽屋に森崎さんを訪ねることが出来ました。
有難うございました。
狭い廊下でみなさんで写真を取らせていただきました。

            

              

 3月29日の幕別町での北海道公演の最後の盛会を祈らずにはいられませんとともに、森崎さんの
アグリマンとしての益々のご活躍、ご健勝を祈念するものでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アグリマンショー」いよいよ明日

2025-03-14 17:07:15 | Weblog
 森崎博之のアグリマンショーforアグリマンの稚内公演がいよいよ明日開催される。
私達も稚内公演を鑑賞予定です。稚内総合文化センター大ホールで午後15時00分開演だ。
1200席以上のセンターホールだと言う。どのくらいの人たちが入場するのだろうか~。
農業王国北海道のアグリマンとして、歌に芝居に料理などなどとても楽しみだ。

           

           

 長寿番組である「あぐり王国」で私の酪農家現役時代に取材に来ていただいた事を懐かしく思い出されます。
先日、当時のあぐり王国の取材時のアナウンサーと森崎さんにお会いする機会がありました。
これまた懐かしく思いました。

            

             

 昨日までの超暖気とは変わって、あさから湿った降雪でした。
10㌢以上降りました。午後からは久しぶりに除雪車が走ってきました。
そんな悪く天候の中でしたが、我が家では昨日に続き別な打ち合わせの会議会場になりました。
時には居酒屋になったり、焼き肉屋になったり会議場になったりの多目的我が家かも知れません。
地域の農地を守る大切な打ち合わせが出来ました。
   (今日は会議場だけです。居酒屋は以前の写真二枚)

             

     


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「話合い」を基本にして~

2025-03-13 17:37:08 | Weblog
 天気予報通りに雨降りの1日だった。
小雨程度ではあつたが、この雨で積雪の量は減った感じがする。しかし・・今夜からは雪マークが明日の
夕方までついているからこれまでの暖気で減った以上に積もるものと思う。
でもこれからの積雪は、太陽の照らす陽だけでも溶けやすい。

 先日、昨年12月に受け入れた教育旅行の受入れ後の意見交換会がズームで行われた。
意見交換会といえども、一方的な説明や話が長く意見交換する時間が足りなく予定時間を大幅にオーバー
したものだった。私も閉会までいられず退出した。

 意見交換会といえども、何だか消化不良に終わったようで不満も腹の底に貯まったままだった。
そんな事もあり、今日は私たちの地域で受け入れた4人で「今後の教育旅行の受入れのあり方」的なことの
意見交換した。そうした小人数での話合いの会場は我が家になることが多い。

 私は、課題を感じると例え少人数であろうが、関わる人たちで徹底的に「話し合う」ことを基本に
据えている。ですから些細なことでも皆で意見交換する。必ず良い答えが出るし課題を共有出来る事が
最大のメリットが「話合い」にあると勝手に思っているから「あつまろう~」と呼びかける。

 今日もわずか4人の話合いであっても良い方向が出された。
そして・・その事を実践にうつしていくことだ。
「失敗したら、またかんがえよう~まずこれでやってみよう~」素晴らしい意見に勇気をもらった。
  (4人いたが1人は撮影者)

            

 日本最北の地が良くて来てくれる生徒達を暖かく向かえてあげる事は大切だ。しかも多くの人たちが
困難を乗り切って受け入れてくれる。他人の人たちと寝食を共にしたり、生き物の牛の体験をさせ
たりすることは、受け入れた者に取って大変なプレシャーもかかっている。さいしんの注意を払って事故の
ないようにしている。「事故がないことは奇跡ではない」と言う事だ。

 そして・・来ていただいた生徒達に少しでも満足感を与えてあげる。
その為に「皆でやろうや~~」が今日の話合いの結論だった。

 12月にきた生徒達は、お別れ会に集まった役場に来たとき、町長室や教育長室まで入って行き歓迎された。
「浜頓別町の暖かさ」を感じてくれたのかも知れない。

    

 はたして・・今日の話合いを基本とした話合いで、よりよい成果があらわれるだろうか~~。
今年の受入れで試される。

 (この頃の日記の文章が長いように思う。沢山の方に閲覧いただいている事におだっているのではないだろうか~と自分を自分で疑問にも・・)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歩く道

2025-03-12 17:11:10 | Weblog
 気温の高い日が続いている。
積雪も少しはへった。明日も気温が高く雨の予報も出ている。
道路の雪は全て溶け、全面的に舗装が顔を出している。深夜に雨が降ったのかブラックアイスバーンに
なっているところもある。

 これだけ雪が溶けると、毎日のウオークのスタイルが変わる。
昨日から長靴から短靴に変わった。胸にはスマホからラジオを受信するスピーカーをつけている。
これはヒグマ対策の一環だ。私たちの存在をラジオの音声で知らせるためだ。
ソロソロヒグマも冬眠から覚めてくる時期でもある。

 なれるまでだろうが・・・短靴は爽快に歩ける。
油断するとブラックアイスバーンに足を取られそうになる。その為か、妻はまだ長靴のままだ。
 
     

            

 至る所で真っ白い中にシカの姿がある。
道の真ん中で私たちを迎えるものまで現れる。ラジオの声にビックリしているのか顔を高く上げて私たちを
見つめる。やがて恐ろしくなったのか、雪原の中を走り出す。次々の現れる。

            

        

     

 こんな広い道を独り占めしたかのように歩く。
歩きながら脳裏は65年以上前の時代の道を思いおこさせている。
先を見ても穴だらけの中に何日も前に振った雨が、水たまりとなって残っている道。水たまりの穴を
かわしながら歩いた道。いまのこの道からは当然想像もつかないだろう~。

 「この場所はひどい笹が覆い被さっていたなあぁ~、この場所はヒグマの通り道で気づかれないように
音も出さずに歩いたっけ・・」と幼少期(小学生)の小股の歩きを・・・。

 雪の積もった日の道は大変。先頭を歩いてくれるのは父親が追う馬だつた。
馬の歩幅と子供の歩幅の違いは凄い。どのように歩いていたのかは思い起こせない。良くも歩いたものだと・・。
しかし・・雪解けが進むと歩く道には馬の糞が沢山のこっていたことだけは思い出す。幼いあの頃だつた
とはいえ当時は、誰が今日の道を想像できただろうか~。でもこの道が出来たのはもう30年も前になる
だろうか~~。

 住んでいて良かったのかも知れない。
この道を通って大型バスが子供達や大人の人たちを乗せて山奥まで体験にやって来てくれていることも
道があるからこそだ。

             

 いつもいつもの閲覧、有り難うございます。
いつもつたない文章ですいません。

 この暖かい天気は明日までとか・・・明日以降は再び冬型で吹雪き元の予報も・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お誕生日おめでとう ③

2025-03-11 15:50:10 | Weblog
 お誕生日おめでとう②を書いて10日が過ぎた。
3月1日の誕生日からも10日が過ぎたことになる。歳を取ると「歳を重ねることに複雑な心境にもなる」と
言うような思いになることが事実なのかも知れない。しかし・・何事もなく歳を重ねていられること
に感謝する事こそも大切なことなのであろう~~。

 先祖がこの地に入植してからの1,5世紀以上の歳月。
子供の頃の出来事のほとんどが記憶から遠ざかっているのだが、古い写真を眺めて見ると、何となく当時の
記憶もよみがえる気もする。小学校までの片道4㌔の道のり。1番の山奥なために学校は皆と一緒に出ても
1㎞㍍先で1人ぽっちになって1㎞㍍を歩いて我が家に・・。

 「なんで我が家はこんなに遠い所に・・」なんて思って歩いていたことは事実であろう。
馬車一台が通るほどの道幅。(馬車一台幅は乗用車一台幅と同じくらい)
しかも、道は道路縁の笹が覆い被さっていたと思う。
熊の恐怖におびえながら歩いていたことは間違いない。しかし・・1度も熊と遭遇する事はなかった。

 子供の頃から、そんな時代を生き今日の何不自由ない生活が送れることに・・誕生日を積み重ねて
これていることに感謝なんだろうね~~やっぱり・・・。
高校生の頃の姿を思いおこし・・・。
今では怪獣にでも頭をかじられそうな老いを感じ・・。

             

             

 貧困時代を牛とともに歩んで来られ、幾多の生活のどん底を眺めながらも生きてこられたことに
感謝なんだろうね~~。牛とともにこんなにイキイキ時代もあったのかと・・。

             

 そとし・・52年間の酪農人生を終えたとき・・
先祖から受け継いだ大地をしっかりと守ってこれたことに感謝なんだと・・。
酪農人生卒業の日の動画が今も生きている。

             

 お誕生日おめでとう③・・・何だかへんてこな文章になってしまったとおもう。
最近、昔むかしの写真を眺めることがある。
「自分の生きた人生をひもといてみたい」という意識があるのだろうか~~。
それがこの先も「お誕生日おめでとう」のタイトルと関連づけれるのかも~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする