先日の早朝、起床しての直ぐにテレビを見ていた。
その内容は、山形県のある村の「限界集落に住む人々の生活」の姿であった。
テレビ局ディレクターも1カ月間滞在し暮らしぶりを取材したもので
あつた。取材に当たっての
事前の了解では、集落内には賛否が分かれたという・・紹介もあつた。
「限界集落」と言う事に抵抗があったのだろう~。
テレビ局ディレクターも1カ月間滞在し暮らしぶりを取材したもので
あつた。取材に当たっての
事前の了解では、集落内には賛否が分かれたという・・紹介もあつた。
「限界集落」と言う事に抵抗があったのだろう~。
いつ頃から「限界集落」という言葉が出てきたのかは分からないが、私どもが耳にするようになった
のは、近年のように思う。(実際には1990年代にある社会学者が提唱したとという事をネットで見た)
放送は確か10世帯20名くらいが暮らす小さな集落だったと・・・。いろいろと助けあって生活してい
る様子がうかがえた。特に感動したのは「長く住み続けるためにも行政ばかりを頼るのではなく
支援を頂きながら皆で行動すること」が大切だ・・・と薄くなった道路の白線引きなどを行い交通安全の
支援を頂きながら皆で行動すること」が大切だ・・・と薄くなった道路の白線引きなどを行い交通安全の
為に地域の人が総出で書いていた。
歳はとっても、楽しく生活し協力しあって地域作りをしている様子が伝わってきた。
「限界集落」という定義そのものが今の時代にあわないような気も沢山した。
高齢者率がたかかったとしても・・若者がいなくても、地域の社会共同活動はいくらでも成り
立つ時代だ。電話1本で葬儀屋さんが飛んでくる。結婚式も身内だけ、お祭りも簡素化され・・た時代だ。
より大切なことは、インフラやライフラインが整備され、そこに住む人達が楽しく生活や仕事をし
生涯この地で生き続けたいという気持ちをもつことではないだろうか~と感じた。良く聞く言葉に
「ず~~と住み続けたい町」とあるが、まさしくそう思うことだろう~。
そのように思う人々の集落には、例え高齢化率が100%であろうが「限界集落」という言葉を当ては
まらないように思う。
毎日まいにちお酒を飲んでいても、人々の生活が楽しく社会生活も成り立っていたならば
素晴らしい集落なのではないだろうか~~。私たちは良く乾杯をする。「不安や不満はない」と言ったら
素晴らしい集落なのではないだろうか~~。私たちは良く乾杯をする。「不安や不満はない」と言ったら
ウソにはなるが・・・。