K中間子の定式は「奇矯だと思えば奇矯なモノ」なんですよ、なにしろ、
|Ks>=(|K0>+|反K0>)/√2 かつ |Kl>=(|K0>-|反K0>)/√2
が“最後の休憩所”なんですけど、それまでに「KsとKlとが同じクォーク組成から出来ているハドロン」だということに関する手形、それから1964年のフィッチとクローニンの手柄(ノーベル賞受賞)によるCP破れが生じているンだという手形、さらに再び「CP破れがナイ場合の中性K中間子の定式はこれで良いんだ」という手形、その全てを落として後に山頂が出てくるんだという話かと存じました・・。
まー、日本人物理学者にとっちゃあー(殊に、小林氏と益川氏の両者にとっちゃあー)耳の痛い話です!
比べたら、日本人物理学者は誰一人として“粒子物理学者”ではナイ、山登りでいうなれば“クライマー”(山を登る人__転じて、ここでは粒子物理学を崖登りをするように打ち立てる人の意)ではなくてセスナ機でさらーっとばかりに俯瞰した奴らに過ぎない、などと愚痴をこぼされたら「グラショウ様の仰る通りでございます、うへええ~」とばかりに平伏すほかになくなってしまって久しい、ま、哀しいかな、それが(日本人物理学者の)現実なのであった・・。
まー、お前だってそーじゃないかとばかりに言わないことですよ、まー、ここは!
だって「UFTを崖登りをしないで打ち立てた安直な発想の産物とは言わさないぞ」と、ばかりに、まー、かような意気込みでやってるんですから、昨今は・・。
で、僕としたら、僕だって日本人物理学者だからという理由ではなくて、また別の観点から「K中間子がそんなに難解だというのはグラショウの錯覚ではナイか?」いや、もっと言って「このK中間子の定式はこのままでは不完全なのではないか?」と思うのですよ。中性K中間子というのは、すべからく弱い相互作用によって崩壊をするので、P対称性は破れているワケですが、1964年にフィッチとクローニンがCP破れを発見するまではCP対称性は保存されていると信じられてきました。
ですから、冒頭に掲げた定式は、今では近似式に過ぎません!
ここで行なっている話はその話ではございません。CP破れを無視した近似によって「冒頭の定式が成立する」というのが定説なんですけど「それも怪しい」というのが、他でもない、この小文の論旨だということです。|X>という記法は、P|X>=-|X>という性質と、C|X>=|反X>=-|X>という性質とがあるので「KsもKlもCP変換によって変化しない」「中性K中間子にCP破れはナイ」ということが導かれます。
だけど、これじゃ奇妙なことには P|X>=C|X> なんだよな、そうじゃなくてファインマン流にはCP=Tなんだろうと、ならば CP|X>=T|X>=|反X> と、こうしたら C|X>=-|反X> これじゃ無茶苦茶だ。
ここで、もしUFTの考え方をさせてもらえるならば C=TE なんだよね?
T|X>=|騾馬反X> ,E|騾馬反X>=|反X> ゆえに C=TE なんですよ・・。
あー、そりゃ、あんなことやってたらエベレスト級にもなるわさ、どっかでひょいと勘違いして終わる・・。
(こっちも疲れてきました、標準模型はこんなところからズタズタで、おそらくCP破れが宇宙の起源と直結するという話はユニバース粒子から始めるのが近道でしょ?)
|Ks>=(|K0>+|反K0>)/√2 かつ |Kl>=(|K0>-|反K0>)/√2
が“最後の休憩所”なんですけど、それまでに「KsとKlとが同じクォーク組成から出来ているハドロン」だということに関する手形、それから1964年のフィッチとクローニンの手柄(ノーベル賞受賞)によるCP破れが生じているンだという手形、さらに再び「CP破れがナイ場合の中性K中間子の定式はこれで良いんだ」という手形、その全てを落として後に山頂が出てくるんだという話かと存じました・・。
まー、日本人物理学者にとっちゃあー(殊に、小林氏と益川氏の両者にとっちゃあー)耳の痛い話です!
比べたら、日本人物理学者は誰一人として“粒子物理学者”ではナイ、山登りでいうなれば“クライマー”(山を登る人__転じて、ここでは粒子物理学を崖登りをするように打ち立てる人の意)ではなくてセスナ機でさらーっとばかりに俯瞰した奴らに過ぎない、などと愚痴をこぼされたら「グラショウ様の仰る通りでございます、うへええ~」とばかりに平伏すほかになくなってしまって久しい、ま、哀しいかな、それが(日本人物理学者の)現実なのであった・・。
まー、お前だってそーじゃないかとばかりに言わないことですよ、まー、ここは!
だって「UFTを崖登りをしないで打ち立てた安直な発想の産物とは言わさないぞ」と、ばかりに、まー、かような意気込みでやってるんですから、昨今は・・。
で、僕としたら、僕だって日本人物理学者だからという理由ではなくて、また別の観点から「K中間子がそんなに難解だというのはグラショウの錯覚ではナイか?」いや、もっと言って「このK中間子の定式はこのままでは不完全なのではないか?」と思うのですよ。中性K中間子というのは、すべからく弱い相互作用によって崩壊をするので、P対称性は破れているワケですが、1964年にフィッチとクローニンがCP破れを発見するまではCP対称性は保存されていると信じられてきました。
ですから、冒頭に掲げた定式は、今では近似式に過ぎません!
ここで行なっている話はその話ではございません。CP破れを無視した近似によって「冒頭の定式が成立する」というのが定説なんですけど「それも怪しい」というのが、他でもない、この小文の論旨だということです。|X>という記法は、P|X>=-|X>という性質と、C|X>=|反X>=-|X>という性質とがあるので「KsもKlもCP変換によって変化しない」「中性K中間子にCP破れはナイ」ということが導かれます。
だけど、これじゃ奇妙なことには P|X>=C|X> なんだよな、そうじゃなくてファインマン流にはCP=Tなんだろうと、ならば CP|X>=T|X>=|反X> と、こうしたら C|X>=-|反X> これじゃ無茶苦茶だ。
ここで、もしUFTの考え方をさせてもらえるならば C=TE なんだよね?
T|X>=|騾馬反X> ,E|騾馬反X>=|反X> ゆえに C=TE なんですよ・・。
あー、そりゃ、あんなことやってたらエベレスト級にもなるわさ、どっかでひょいと勘違いして終わる・・。
(こっちも疲れてきました、標準模型はこんなところからズタズタで、おそらくCP破れが宇宙の起源と直結するという話はユニバース粒子から始めるのが近道でしょ?)
だから「冒頭の定式はCPは保存する」は言えているが・・・。
そうするとC=Pだし、CP≠Tだし、もう無茶苦茶で、標準模型は崩壊する・・・。