韓=南部模型をSU(3)と宣伝するのは誤りですがなw
電荷の区別が2種類しかないのじゃから純粋な量子数は2種類しか与えられん、電荷が区別つかない2つの状態があって色の区別だとやったって、それはRGBの三原色の量子数というワケにはいかない、そうじゃろ、それが現実じゃて。南部は両者とも差別と表現してたが、それは初版本にあって後で削除された表現じゃが、ま、そんな無理を言われても他は困ったことじゃろう、特に学生さんは、そう。韓=南部模型じゃからB状態だけがチガウとして、B反Bだけを排除する定式をしたとしても、ワシの頭ではグルーオンは3種類しか決められんと思う。
つまり韓=南部模型は実質上はSU(2)なんですがなw
さらにスピンが右巻きか左巻きかで区別される、そうある他ないですのや、そこは二段構えやないと不合理感が拭われんのやがな、南部も無理言うて生きたもんや。差別はアキマヘン、差別は、自然界でも区別はあっても差別はおマヘンのや、そうやがな。阪神の岡田監督は「自分は差別はせえへんけど区別はするで」と明言した、そうやないとイカンのや。
二段階の区別と見かけ上の三原色のアナロジー、そうやw
そこでワシが力説してる「自然界において群論は表現であって原理でない」と言う言葉が生きますで、そう言うとるんですがな、そうやがな。まさにみかけの表現としてのアナロジーであってメタファーではない、そうやねん。数学者森毅は「数学はメタファーや」と言うたけど、そうそう、三原色のアナロジーに数学原理としてまでの意味はない言うこっちゃ、そやがな。
自然界にだって二段階認証が存在する、本日の収穫じゃw