湯川秀樹さんは標準模型主義なんか目をむいて反対されるでしょーねw
あんなハレンチな強い相互作用になんかツイていけるか、ってワケですやろ、違いますやろか、とっとっとっと、いや、私としたらその露骨な話以前に、日本の偉人はたいてい日本を自慢いたしますが、その中でも欧米と日本を比べて日本が高くて欧米が低いと評論した人は、まあ、他にはいなかったのではないか、と言っておるワケでして、で、どうでっしゃろ、お立合い。
日本は高い、欧米は一段半は低い、なんてナカナカ言えませんw
私は、多くの人に、この言葉の真意を探っていただきたく思って電子ペンを取った次第ですのや。ひとつには、やはり湯川氏は、自らの中間子論には相当の自信を持っておられたということですし、何もかもゲージ場という前提で進む欧米の素粒子理論に、個人的に大きな憤りを感じておられたことは疑いなかった、ということですがな。
で、手っ取り早く比べるのにはハイゼンベルクの弟子との比較という寸法w
なんでもゲージ場という連想から、中間子としてスピン1のベクトル中間子を想定してくるという発想の貧困と安直さ、そこから「湯川と比べて一段半は低かったハイゼンベルクの弟子」という構図が見えてきませんかね。
(憶測ですが・・)
あんなハレンチな強い相互作用になんかツイていけるか、ってワケですやろ、違いますやろか、とっとっとっと、いや、私としたらその露骨な話以前に、日本の偉人はたいてい日本を自慢いたしますが、その中でも欧米と日本を比べて日本が高くて欧米が低いと評論した人は、まあ、他にはいなかったのではないか、と言っておるワケでして、で、どうでっしゃろ、お立合い。
日本は高い、欧米は一段半は低い、なんてナカナカ言えませんw
私は、多くの人に、この言葉の真意を探っていただきたく思って電子ペンを取った次第ですのや。ひとつには、やはり湯川氏は、自らの中間子論には相当の自信を持っておられたということですし、何もかもゲージ場という前提で進む欧米の素粒子理論に、個人的に大きな憤りを感じておられたことは疑いなかった、ということですがな。
で、手っ取り早く比べるのにはハイゼンベルクの弟子との比較という寸法w
なんでもゲージ場という連想から、中間子としてスピン1のベクトル中間子を想定してくるという発想の貧困と安直さ、そこから「湯川と比べて一段半は低かったハイゼンベルクの弟子」という構図が見えてきませんかね。
(憶測ですが・・)