ま、僕の言っているスピンやアイソスピン、W粒子の組成などが正論である世界というのは今のところどこにも存在しないわけなんです。もちろん正論なんかだったらこれまでに誰かが発見していて既に定説になっていなければおかしいとも言えます。逆に言うと僕と同じ研究を仕上げるためにはバックグラウンドにUFTが無かったら無理ですから僕は研究成果を取られる心配はまずございません。
なぜならばクォークの電荷が変動する基礎で研究しておられる人すら他に一人もいないでしょうから!
南部先生風に言うならば「自然が人智を欺く形で物理学は進展を続けている」わけですよ。P対称性の破れから始まって、CPまでが破れていたり、クォークを必要に応じて一つずつ増やす形で研究してきたアメリカの研究者にとったらτ粒子の出現だけでそうであるとか、まあ、いろいろあります。「ニュートリノに質量が有るのは困る」という形で考えるのが標準理論の信奉者たちです。それらすべてが欺かれてきたのならば次のように宣告できるのです。
破れていると思ってきた保存則が成立していたっておかしくはないではないですか?
抽象的な行列だとばかり信じてきたスピンが「量子数に関する足し引きが成立している」ので「微小領域において角運動量保存則が成立している」なんてことは唖然とすることらしいけど変じゃないでしょうが・・。「レプトンとクォークとで弱い相互作用による結果がアイソスピンで1/2ずれている」なんてことにしたって彼らの頭では平凡な事象において解決する必要など感じないことなのだそうですけど基本的な力の普遍性からすると両者において一致していなければ変でしょうが・・。どうも理論物理学者の発想ってのは柔らか頭が過ぎてぐにゃぐにゃした感じがします。一時期のトポロジスト達と同じなのでしょうか・・。
僕にしたって保存則だから成立させようとしたのじゃなくてイメージしていっただけのことです!
アインシュタインやらボーアやらの思考実験と同じですよ・・。「考えるだけで実験したと同じ」と主張する、という方法は実験物理屋さんにとったら奇妙なことでしょうけど、理論家の頭だけでなく理科教育にとっても「考えた通りに自然がないのは困ったことである」と考えることが許されます。つまり、もし、そんなことが一部分にでも存在したら「自然というのは理解できる物じゃない」という不可知論が結論になってしまう、なってしまえば理論物理の究極は自然科学じゃなくなってしまうからです。そう言う意味で大切な思考実験の成立とその喜びを素直に示してあげただけですからあまり奇妙な解釈はしない方が良いですよ、では・・。
今の理論物理学では湯川流の借金は保存則をむしろ満たしていると求められています!
例えば今年度のノーベル賞ネタでは小林-益川行列によるCP破れの説明にはエネルギー保存を度外視したようなところがあります。それは「W粒子質量(約80Gev)分のエネルギーの借金を造化神に願い出たらtクォーク質量(約173Gev)分だけ貸してくれた」という《エネルギー非保存過程》を内包しているからです。UFTだったらそこも改善できます・・、ユニバース粒子質量(約210Gev)はtクォークよりもずっと重いので湯川流の借金だけで説明できるのです・・。
なぜならばクォークの電荷が変動する基礎で研究しておられる人すら他に一人もいないでしょうから!
南部先生風に言うならば「自然が人智を欺く形で物理学は進展を続けている」わけですよ。P対称性の破れから始まって、CPまでが破れていたり、クォークを必要に応じて一つずつ増やす形で研究してきたアメリカの研究者にとったらτ粒子の出現だけでそうであるとか、まあ、いろいろあります。「ニュートリノに質量が有るのは困る」という形で考えるのが標準理論の信奉者たちです。それらすべてが欺かれてきたのならば次のように宣告できるのです。
破れていると思ってきた保存則が成立していたっておかしくはないではないですか?
抽象的な行列だとばかり信じてきたスピンが「量子数に関する足し引きが成立している」ので「微小領域において角運動量保存則が成立している」なんてことは唖然とすることらしいけど変じゃないでしょうが・・。「レプトンとクォークとで弱い相互作用による結果がアイソスピンで1/2ずれている」なんてことにしたって彼らの頭では平凡な事象において解決する必要など感じないことなのだそうですけど基本的な力の普遍性からすると両者において一致していなければ変でしょうが・・。どうも理論物理学者の発想ってのは柔らか頭が過ぎてぐにゃぐにゃした感じがします。一時期のトポロジスト達と同じなのでしょうか・・。
僕にしたって保存則だから成立させようとしたのじゃなくてイメージしていっただけのことです!
アインシュタインやらボーアやらの思考実験と同じですよ・・。「考えるだけで実験したと同じ」と主張する、という方法は実験物理屋さんにとったら奇妙なことでしょうけど、理論家の頭だけでなく理科教育にとっても「考えた通りに自然がないのは困ったことである」と考えることが許されます。つまり、もし、そんなことが一部分にでも存在したら「自然というのは理解できる物じゃない」という不可知論が結論になってしまう、なってしまえば理論物理の究極は自然科学じゃなくなってしまうからです。そう言う意味で大切な思考実験の成立とその喜びを素直に示してあげただけですからあまり奇妙な解釈はしない方が良いですよ、では・・。
今の理論物理学では湯川流の借金は保存則をむしろ満たしていると求められています!
例えば今年度のノーベル賞ネタでは小林-益川行列によるCP破れの説明にはエネルギー保存を度外視したようなところがあります。それは「W粒子質量(約80Gev)分のエネルギーの借金を造化神に願い出たらtクォーク質量(約173Gev)分だけ貸してくれた」という《エネルギー非保存過程》を内包しているからです。UFTだったらそこも改善できます・・、ユニバース粒子質量(約210Gev)はtクォークよりもずっと重いので湯川流の借金だけで説明できるのです・・。
このブログは自分にとって難しいです...。
でも、自分の使用としている事が見ることができていい刺激になりました。
そこで、buturikyouikuさんがこれまで感じてきた物理関連の不満、ここがいいななどを詳しく知りたくなりました!
大学、自分の理論など...
を教えてください!!
いきなり質問してすみません
グラショウは他でもない大統一理論の創立者なので、彼がああいうスタイルだと安心してしまうのですが、ま、理論の世界の勉強は初学者が核心だと思うところをなかなか教えてくれないシブチンなところがあります・・。
関西学院大学ぐらいですとノンビリ勉強できるかもしれないですが、ま、そんなことないか、で、ここもかつては理学部でしたけど今は理工科のようですね?