まあー、相対論についていけない人のほとんどは「双子のパラドクスがあるゆえに相対論は間違いである」って言うんだよなあw
こちらでどれだけ説明しても双子のパラドクスがあればそれだけで矛盾だと言い張るのですよね。ま、それで当ブログでも考えてみたのだけれど、んー、彼らを言い負かして終わることは簡単でも、そこから彼らを説得するということはほとんど絶望的でね。強いて言えば特殊相対論現実だけで往復することがそもそも不可能なんだけど、こっちは「だから加速運動を扱う必要がある」「加速運動を厳密に扱うには一般相対論が必要だ」とやるんだけど、彼らは「みろ、あり得ないプロセスを含む物理なんかやってるからだ」「そもそも重力を無視するとはあり得ないことをやってる」と来るのですよ。
もっとも肝心なところを逆手にとって逃げられたらこっちとしたら説得のしようがないですわな・・。
私見ではローレンツ対称性が重力の存在で自発的に破れている可能性なら有ると存じますがw
さて、韓=南部模型の場合、双子のパラドクスにあたるのはクォークのパラフェルミ性ですが、クォークがパラフェルミ粒子であるとは同種クォークのクォークスピンが必ず揃うことを指して言います。その場合、3つのクォークスピンが揃ったバリオンが存在するのですが、その存在こそが韓=南部模型の成立を論理的に危うくするのです。パウリの禁制から1つの量子状態には2つのフェルミオンが入ることがデキません。韓=南部模型ではR状態とG状態の区別が電荷の上からつけることが不可能セスから、そこから「実質2色の模型」と考えられることになります。
実質2色では3つのクォークがそれ以外は同じ量子状態を取ることが不可能になります・・。
だから韓=南部模型でも実質3色であることが求められます!
そこをどう説明するかの話になるのですが、おそらく、南部先生ご自身はその論争に負けたことになっているようなのですよw
彼ら白人は、こと理論物理では、論争ということになれば歯を剥き出しにして本気で立ち向かいますから、か弱い神経の我ら日本人の代表だった南部先生が気おされるばかりで何もできなくても可笑しくはありません。彼らの心情は「物理的真理は問答法によって得るべき」であるようです。アリストテレスのように「議論がどっちに傾いていても真理は別にある」とは、けっして思ってくれなかったのだと、私はそう思います。チーン、南部ダウン、テンカウント、クォーク荷電は純然たる分数だということに決まったと、そんな具合ではなかったでしょうか。
日本人の神経ではけっして理解できない物事の世界がそこにはあった、それが事の顛末だったでしょう・・。
こちらでどれだけ説明しても双子のパラドクスがあればそれだけで矛盾だと言い張るのですよね。ま、それで当ブログでも考えてみたのだけれど、んー、彼らを言い負かして終わることは簡単でも、そこから彼らを説得するということはほとんど絶望的でね。強いて言えば特殊相対論現実だけで往復することがそもそも不可能なんだけど、こっちは「だから加速運動を扱う必要がある」「加速運動を厳密に扱うには一般相対論が必要だ」とやるんだけど、彼らは「みろ、あり得ないプロセスを含む物理なんかやってるからだ」「そもそも重力を無視するとはあり得ないことをやってる」と来るのですよ。
もっとも肝心なところを逆手にとって逃げられたらこっちとしたら説得のしようがないですわな・・。
私見ではローレンツ対称性が重力の存在で自発的に破れている可能性なら有ると存じますがw
さて、韓=南部模型の場合、双子のパラドクスにあたるのはクォークのパラフェルミ性ですが、クォークがパラフェルミ粒子であるとは同種クォークのクォークスピンが必ず揃うことを指して言います。その場合、3つのクォークスピンが揃ったバリオンが存在するのですが、その存在こそが韓=南部模型の成立を論理的に危うくするのです。パウリの禁制から1つの量子状態には2つのフェルミオンが入ることがデキません。韓=南部模型ではR状態とG状態の区別が電荷の上からつけることが不可能セスから、そこから「実質2色の模型」と考えられることになります。
実質2色では3つのクォークがそれ以外は同じ量子状態を取ることが不可能になります・・。
だから韓=南部模型でも実質3色であることが求められます!
そこをどう説明するかの話になるのですが、おそらく、南部先生ご自身はその論争に負けたことになっているようなのですよw
彼ら白人は、こと理論物理では、論争ということになれば歯を剥き出しにして本気で立ち向かいますから、か弱い神経の我ら日本人の代表だった南部先生が気おされるばかりで何もできなくても可笑しくはありません。彼らの心情は「物理的真理は問答法によって得るべき」であるようです。アリストテレスのように「議論がどっちに傾いていても真理は別にある」とは、けっして思ってくれなかったのだと、私はそう思います。チーン、南部ダウン、テンカウント、クォーク荷電は純然たる分数だということに決まったと、そんな具合ではなかったでしょうか。
日本人の神経ではけっして理解できない物事の世界がそこにはあった、それが事の顛末だったでしょう・・。