数学では決定不能な「夏は暑い」などの命題も真理値はφとして三値論理学を打ち立てたいと思うのです!
さらに、そこからファジー論理を導くには、たとえば「夏は90パーセント以上の確率で夏日である」という事実があれば、夏は暑いは「90パーセント以上の確率で真である」と判定する、などの操作によって可能です。それに対して数論における無矛盾性問題などでは完全にフィフティーフィフティーであるように仕組めばいいと思います。
さて無矛盾性問題などでファジー論理は可能なのでしょうか・・。
超現順序数を使った証明などでは可能かもしれませんが、私には別のアイデアがあるのですよw
数論の無矛盾性は正真正銘の決定不能命題なのではないだろうかということなのです。論理学はその件に関して何ら雄弁な解決策を持ちえないということではありませんか。数論が無矛盾であるか、あるいは矛盾しているか、ということは完全に決定不能であってそれだけだということです。数論だからこそ極限まで減らすことができた真理値φというあたりに事柄の真相が潜んでいると思うのです。
論理学標準モデルなんかくそっくらえということですよ!
なお、ほかの決定不能命題はゲーデル命題とまったく同値でして、いずれも数論が無矛盾ならば真とも偽とも証明されないが、数論が矛盾しているならば真とも偽とも証明されてしまう命題です。そこは運命を共にします。なお、ここでは数論の部分的矛盾ということを想定しております。
ご清聴ありがとうございましたw
さらに、そこからファジー論理を導くには、たとえば「夏は90パーセント以上の確率で夏日である」という事実があれば、夏は暑いは「90パーセント以上の確率で真である」と判定する、などの操作によって可能です。それに対して数論における無矛盾性問題などでは完全にフィフティーフィフティーであるように仕組めばいいと思います。
さて無矛盾性問題などでファジー論理は可能なのでしょうか・・。
超現順序数を使った証明などでは可能かもしれませんが、私には別のアイデアがあるのですよw
数論の無矛盾性は正真正銘の決定不能命題なのではないだろうかということなのです。論理学はその件に関して何ら雄弁な解決策を持ちえないということではありませんか。数論が無矛盾であるか、あるいは矛盾しているか、ということは完全に決定不能であってそれだけだということです。数論だからこそ極限まで減らすことができた真理値φというあたりに事柄の真相が潜んでいると思うのです。
論理学標準モデルなんかくそっくらえということですよ!
なお、ほかの決定不能命題はゲーデル命題とまったく同値でして、いずれも数論が無矛盾ならば真とも偽とも証明されないが、数論が矛盾しているならば真とも偽とも証明されてしまう命題です。そこは運命を共にします。なお、ここでは数論の部分的矛盾ということを想定しております。
ご清聴ありがとうございましたw