第一部「大ガウスの抜群定理は2方向の積が曲率だった・・」
それに対して、パリティーは空間部分とスピン部分が反転によってどう変わるかの積によっていた!
鏡に対して平行に進むフェルミオンがあったとしますと粒子としての進行方向は反転しませんから空間部分のパリティー情報は+でして、進行方向に対してのスピンの巻きであるところのヘリシティーは逆になりますからスピン部分のパリティー情報は-だという事になって、全体としてのパリティーは“負”だということに異論は無い、という事情になっておる。で、あるのにもかかわらず陽子とか中性子とかのパリティーが+だというのは、電子の流れる向きとはあべこべに最初にそう定義したという電流の向きと同じなのか、または
それに対して、鏡に向かって垂直に向かってくるフェルミオンにとったとしたらどう変わるのか?
を、考察したら事態がハッキリ見えてくるだろうという期待が持てます!
鏡に対して垂直に進むフェルミオンがあったとしますと粒子としての進行方向が反転しますから空間部分のパリティー情報は-であって、スピンの巻きは見かけ上は変化しませんから+として良いです。だから全体として(空間曲率と同じように)パリティー情報だけから来る計算結果は“負”だから「電気現象にとって最初の定義によって陽子の電荷が(たまたま)正とされている話と同じなだけだ」と考えても良いのです。良いのですが、粒子にとってはヘリシティーが物理現象の本質だとした場合には、進行方向にとったらスピンの向きだって反転しておるから-だとして良いと思うんです。思うんですけど、それは“いまだかつて ”学会で承認されたことのない“考え方=思想”なんですよ、嗚呼、さてしもどうしたものか・・。ま、学会で承認されたことはない思想であったとしても当方で正当化して良いとなったら「鏡に対して垂直に向かってくるフェルミオンのパリティーは進行方向の-とヘリシティーの-とを掛け合わせて+になる」そして電子の進む向きと電流の向きがあべこべであるように「この場合のフェルミオンのパリティーは-である」と定義して良いのですよ?
つまりUFTでは鏡の向きによってパリティーの符号が逆転するように要請いたします!
鏡にとって進行方向が垂直と水平とでは対称性の符号があべこべだと思うのです・・。
さあ「いつ何時誰の挑戦でも受けて立つ」ってゆーよーな“あのときの猪木”のような心境ですよ・・。
第二部「パリティーが幾何学だけで出てきて無意味なのはバリオンの方じゃないのか? 」
基本的にバリオンに進行方向というものは存在しないでしょう?
鏡に対して軸方向を平行においたバリオンを考えます。この場合のバリオンは陽子や中性子のようにスピン1/2だと致しましょう。鏡像になったバリオンを右巻きだと左巻きだとか言うには進行方向が存在しない限りは他に基準といった物が求められます。P変換という事はあらゆる空間座標の逆転を行うのですから、粒子にとっての前方と後方とだって逆になりますし、この場合は粒子は進行していないのですから鏡に水平な成分も逆になるというべきでしょうか、で、そうしたら粒子の回転はそのままであって逆回転だというのじゃなくなります。そこでもう一つの方向である上下方向の逆転を果たさなければなりませんが、そうしてはじめて「P変換によってバリオンのスピンは反転する」ということがいえます。
ここで鏡をバリオンの軸方向に正対して置くことを考えてみましょう!
P変換という同じ現象を映す鏡の向きを変えただけですから結果が変わらないであろうことは直ぐに予想がつきます。進行方向がなくても鏡が基準になりますからスピンが反転しているのは自明です。他の二方向についても毎回反転しますから(やはり)「P変換によってバリオンのスピンは反転する」ということを導くことができました。ここで対象を進行方向の存在する素粒子に変えたいと思います。そうしたら「鏡と平行に進行するフェルミオンは進行方向は同じままにヘリシティーが反転する」ということと「鏡と垂直に進行するフェルミオンは進行方向が逆転してヘリシティーも逆転する」という前の記事で示しておいたような結果が得られます。
素粒子には進行方向が存在すると示唆したのはヒグス機構による現実から来た考察です・・。
質量があるならば、見かけ上は光速度未満であったとしても、ヒグス粒子とヒグス粒子との間は光速度で飛ぶのですから素粒子には進行方向が厳然として存在します。往復運動が加わらない限り、減速だけであるならば、見かけ上は逆に進むような慣性系なりロケットなりが考えられたとしても「素粒子にとっての宇宙空間に対する方向が歴然と存在できる」という事実を否定できません。そしてクォークには封じ込めの力が働くのでそのような対象はレプトンに限られます。また、そこから「ハドロン内においてクォークは往復運動をしているのではないか?」という有望な仮説が得られました。このことはUFTにとって非常に喜ばしい成果です。
素粒子たるフェルミオンにとってヒグス機構は縦と横とで違いが出て可笑しく無くなりました!
第三部「ヘリシティーを変えないヒグス機構から何が分かるか?」
フェルミオンスピンの物理特性はヘリシティーであって幾何的な巻き方でない!
と、いうことなんだよ・・、それが、で、その理由はフェルミオンの持つ固有速度が光速度であることからヒグス機構によって速度低下を来したとしても「宇宙において固有の運動方向を獲得している」ということなんだ。このことは光速度一定および上限ならびに光速度までのあらゆる速度を許す相対性理論に反しているように思われるかもしれない。ま、ここが難所というか関所といえば関所なんであって箱根八里であるとか、まあ~、そのような場所だ。たとえば、実際はそうじゃないが、電子の質量獲得後の速度が光速度の6割だったとしようか、同じ方向に進む光速度の8割で進むロケットに乗っている観測者から見たら見かけ上の進行方向が逆に見えるから左巻きの電子が右巻きに見えるはずである。そう見えたらその電子はもはやロケットと同じ宇宙にいるのじゃないのと同じである。ま、そもそも《V-A相互作用》によって左巻きの電子だけが弱い相互作用を受けるというストーリーは“巨視的に電子を静止させる慣性系”の上での出来事なんである。
「巨視的に静止させたとしても微視的には運動方向を持っている」という下りが《ヒグス理論》がUFTにもたらした成果であるといって良い!
しかしヒグス機構はUFTによって痛々しいまでに改変されてしまった・・、ピーター・ヒグスの愚痴と恨み事があの世からのものでないのを祈るばかりだが、南部のひも理論によれば物質粒子はすべて左巻きで重力子だけが右巻きなんだから仕方がない。もちろん、僕は自分の思考形態に沿って素直に理論構成してきたのであって《南部理論》など頭になかったがふと思い出したのである、大枠においても違いはもちろんある。たとえばUFTでは、tクォークやcクォークは右巻きであり、同じ電荷でありながらuクォークは左巻きである。それがudsクォークによるゲルマンによってSU(3)対称性と誤認された世界における「自然現象ではベータプラス崩壊は起こらない」という事の理由でもある。
このような物理学は「スピン0過程によってはフェルミオンスピンは必ず反転する」と主張している《標準模型》では決して成しえない種類の果実なのです・・。
子供の頃のアインシュタインが先入観によって禁止した《光速度慣性系》を採用し、
ニールス・ボーアから彼の安心まくらである《対応原理》を取り上げなければ成し得ない世界、
それが新しい【ユニバーサルフロンティア理論】による大成果であると誇って良いのであると確信いたしました!
それに対して、パリティーは空間部分とスピン部分が反転によってどう変わるかの積によっていた!
鏡に対して平行に進むフェルミオンがあったとしますと粒子としての進行方向は反転しませんから空間部分のパリティー情報は+でして、進行方向に対してのスピンの巻きであるところのヘリシティーは逆になりますからスピン部分のパリティー情報は-だという事になって、全体としてのパリティーは“負”だということに異論は無い、という事情になっておる。で、あるのにもかかわらず陽子とか中性子とかのパリティーが+だというのは、電子の流れる向きとはあべこべに最初にそう定義したという電流の向きと同じなのか、または
それに対して、鏡に向かって垂直に向かってくるフェルミオンにとったとしたらどう変わるのか?
を、考察したら事態がハッキリ見えてくるだろうという期待が持てます!
鏡に対して垂直に進むフェルミオンがあったとしますと粒子としての進行方向が反転しますから空間部分のパリティー情報は-であって、スピンの巻きは見かけ上は変化しませんから+として良いです。だから全体として(空間曲率と同じように)パリティー情報だけから来る計算結果は“負”だから「電気現象にとって最初の定義によって陽子の電荷が(たまたま)正とされている話と同じなだけだ」と考えても良いのです。良いのですが、粒子にとってはヘリシティーが物理現象の本質だとした場合には、進行方向にとったらスピンの向きだって反転しておるから-だとして良いと思うんです。思うんですけど、それは“いまだかつて ”学会で承認されたことのない“考え方=思想”なんですよ、嗚呼、さてしもどうしたものか・・。ま、学会で承認されたことはない思想であったとしても当方で正当化して良いとなったら「鏡に対して垂直に向かってくるフェルミオンのパリティーは進行方向の-とヘリシティーの-とを掛け合わせて+になる」そして電子の進む向きと電流の向きがあべこべであるように「この場合のフェルミオンのパリティーは-である」と定義して良いのですよ?
つまりUFTでは鏡の向きによってパリティーの符号が逆転するように要請いたします!
鏡にとって進行方向が垂直と水平とでは対称性の符号があべこべだと思うのです・・。
さあ「いつ何時誰の挑戦でも受けて立つ」ってゆーよーな“あのときの猪木”のような心境ですよ・・。
第二部「パリティーが幾何学だけで出てきて無意味なのはバリオンの方じゃないのか? 」
基本的にバリオンに進行方向というものは存在しないでしょう?
鏡に対して軸方向を平行においたバリオンを考えます。この場合のバリオンは陽子や中性子のようにスピン1/2だと致しましょう。鏡像になったバリオンを右巻きだと左巻きだとか言うには進行方向が存在しない限りは他に基準といった物が求められます。P変換という事はあらゆる空間座標の逆転を行うのですから、粒子にとっての前方と後方とだって逆になりますし、この場合は粒子は進行していないのですから鏡に水平な成分も逆になるというべきでしょうか、で、そうしたら粒子の回転はそのままであって逆回転だというのじゃなくなります。そこでもう一つの方向である上下方向の逆転を果たさなければなりませんが、そうしてはじめて「P変換によってバリオンのスピンは反転する」ということがいえます。
ここで鏡をバリオンの軸方向に正対して置くことを考えてみましょう!
P変換という同じ現象を映す鏡の向きを変えただけですから結果が変わらないであろうことは直ぐに予想がつきます。進行方向がなくても鏡が基準になりますからスピンが反転しているのは自明です。他の二方向についても毎回反転しますから(やはり)「P変換によってバリオンのスピンは反転する」ということを導くことができました。ここで対象を進行方向の存在する素粒子に変えたいと思います。そうしたら「鏡と平行に進行するフェルミオンは進行方向は同じままにヘリシティーが反転する」ということと「鏡と垂直に進行するフェルミオンは進行方向が逆転してヘリシティーも逆転する」という前の記事で示しておいたような結果が得られます。
素粒子には進行方向が存在すると示唆したのはヒグス機構による現実から来た考察です・・。
質量があるならば、見かけ上は光速度未満であったとしても、ヒグス粒子とヒグス粒子との間は光速度で飛ぶのですから素粒子には進行方向が厳然として存在します。往復運動が加わらない限り、減速だけであるならば、見かけ上は逆に進むような慣性系なりロケットなりが考えられたとしても「素粒子にとっての宇宙空間に対する方向が歴然と存在できる」という事実を否定できません。そしてクォークには封じ込めの力が働くのでそのような対象はレプトンに限られます。また、そこから「ハドロン内においてクォークは往復運動をしているのではないか?」という有望な仮説が得られました。このことはUFTにとって非常に喜ばしい成果です。
素粒子たるフェルミオンにとってヒグス機構は縦と横とで違いが出て可笑しく無くなりました!
第三部「ヘリシティーを変えないヒグス機構から何が分かるか?」
フェルミオンスピンの物理特性はヘリシティーであって幾何的な巻き方でない!
と、いうことなんだよ・・、それが、で、その理由はフェルミオンの持つ固有速度が光速度であることからヒグス機構によって速度低下を来したとしても「宇宙において固有の運動方向を獲得している」ということなんだ。このことは光速度一定および上限ならびに光速度までのあらゆる速度を許す相対性理論に反しているように思われるかもしれない。ま、ここが難所というか関所といえば関所なんであって箱根八里であるとか、まあ~、そのような場所だ。たとえば、実際はそうじゃないが、電子の質量獲得後の速度が光速度の6割だったとしようか、同じ方向に進む光速度の8割で進むロケットに乗っている観測者から見たら見かけ上の進行方向が逆に見えるから左巻きの電子が右巻きに見えるはずである。そう見えたらその電子はもはやロケットと同じ宇宙にいるのじゃないのと同じである。ま、そもそも《V-A相互作用》によって左巻きの電子だけが弱い相互作用を受けるというストーリーは“巨視的に電子を静止させる慣性系”の上での出来事なんである。
「巨視的に静止させたとしても微視的には運動方向を持っている」という下りが《ヒグス理論》がUFTにもたらした成果であるといって良い!
しかしヒグス機構はUFTによって痛々しいまでに改変されてしまった・・、ピーター・ヒグスの愚痴と恨み事があの世からのものでないのを祈るばかりだが、南部のひも理論によれば物質粒子はすべて左巻きで重力子だけが右巻きなんだから仕方がない。もちろん、僕は自分の思考形態に沿って素直に理論構成してきたのであって《南部理論》など頭になかったがふと思い出したのである、大枠においても違いはもちろんある。たとえばUFTでは、tクォークやcクォークは右巻きであり、同じ電荷でありながらuクォークは左巻きである。それがudsクォークによるゲルマンによってSU(3)対称性と誤認された世界における「自然現象ではベータプラス崩壊は起こらない」という事の理由でもある。
このような物理学は「スピン0過程によってはフェルミオンスピンは必ず反転する」と主張している《標準模型》では決して成しえない種類の果実なのです・・。
子供の頃のアインシュタインが先入観によって禁止した《光速度慣性系》を採用し、
ニールス・ボーアから彼の安心まくらである《対応原理》を取り上げなければ成し得ない世界、
それが新しい【ユニバーサルフロンティア理論】による大成果であると誇って良いのであると確信いたしました!
2)W粒子は重いクォーク(反クォーク)から出て軽い反クォーク(クォーク)に入る
3)W^+ボソンは右巻きと、W^-ボソンは左巻きと反応する
4)さらに細かいことは今後とも検討する
>それがudsクォークによるゲルマンによってSU(3)対称性と誤認された世界における「自然現象ではベータプラス崩壊は起こらない」という事の理由でもある。
このくだりはちょっとタンマ!