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カリー命題パラドクスの解決と、現実のクォーク反クォーク対、さらにはゲーデル命題

2015年01月21日 | 究極理論
カリー命題「この命題が正しければ,A」は(T⇒A)と表示されます・・。

T⇒A

F∨A



「この命題はA」

C「C is A」  ―――――ア)

Qua.C(C)

 ゆえに当命題の否定命題だと思って¬C「C is not A」を選んだとしても、それは反クォーク命題¬Qua.¬C(C)であって意味を強調するばかりです。内容を否定しようと思ったら否定クォーク命題¬Qua.C(C)であるC「C is not A」でなければなりませんが、命題論理学でも述語論理学でもかような否定文の作り方をしないのでAを偽とする意味の文章は造られませんw)

とくに否定文のつもりの反クォーク命題がクォーク命題の意味の強調になってしまうことはパラドクスの最大の原因でしょう!

問題は現実のクォークや反クォークが同じような論理構造になってることが疑われることです・・。

一個のクォークのまわりにはクォークをこちらに向けたクォーク反クォーク対が取り巻きますけれども、低エネルギーではスクリーニングによっては中心電荷が消えてしまってすべて凝縮対になると言われています。

クォーク命題がクォーク命題だというのは伊達や酔狂ではございませんw)

 クォーク反クォーク対は矛盾ではなく実在し、相互作用という現実によって崩壊します。もちろん電子陽電子対だって似たようなポジトロニウムという似たような対を造るのですが、ひょっとして電磁場にも強い相互作用が関与しておるのでしょうか、あるいは電磁場特有の漸近的自由が存在するのでしょうか?

後者はフォトンが極性を持っておることができたら実現しますが・・。

 ア)をみるとカリー命題はゲーデル命題と同じ構造をしていることが分かりますから、ゲーデルのパラドキシカルな結論も似たような経緯によって捏造されたことだという印象が強くなってきます。自己言及そのものは数論に固有に存在しているとして、クォーク命題になってしまったら述語論理学では手に負えません。述語文に主語の名前を付けたらクォーク命題という特別なものになってしまって、そこには新論理学のクォーク命題論が適用されます。

数論の無矛盾性だってゲンツェンの証明があるではございませぬか・・。



もうエゴの大国アメリカの学問なんか信じませぬw)

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