人類はP対称性の破れ以来ずーっと奇妙なンであって、その原因は反対称も対称性の一種としてしまうその態度にある・・。
だから現在の基準においてCPTが破れていようといまいとCPT定理なんか自然認識として用を為さない、大切なことは恒等変換を見極めるという慎重な研究態度である。大学院の素粒子研究室において「粒子をT変換した物が反粒子」「反粒子と騾馬粒子とは同じ物」だと教えているのだと聞くが、それはちょっと待ってほしいように思う。
ちゃんと検討してみてほしい、論拠はディラック方程式の時間を反転させたら電荷とエネルギーとが共に逆転することだったが、電荷とエネルギーとを共に反転させたら負エネルギーの反粒子になるじゃないか?
あるいは騾馬粒子を時間反転させたら反粒子になるだろう・・。
だが、粒子を時間反転させて反粒子になどなりはしない、それだけは何かの間違いだろう!
それを「反粒子は負エネルギーで時間逆行している存在」などと詭弁を抜かす、反粒子が時間逆行していること自体が非自明であるし、負エネルギーが時間反転しているならば騾馬粒子を時間反転させた物ではなかったか?
それらを整理していくと結論は一つに集約される、それが【CPTE恒等】なのであった・・。
おそらく事態が判明したらトカゲの尻尾切りよろしく「その大学院生だけが誤解していた」ことにするのだろう、まあいい人間誰しも間違いはあるもの、大切なのはそれを誤魔化さないことだ。そんなことより私がCPT定理を糞ッ食らえと言っているのはアメリカの素粒子族に共通したまだるっこしい研究態度・姿勢にその原因がある。慎重に一つずつ増やしていって真の対称性を極める、結構なことのようだが先に述べたような難点もあり、理論の独立性を重んじるとき恒等変換をこそ見極めるべきだったと私は信じている。
それで出てきたのがCPTE恒等だったのだよw)
恒等変換さえ得てしまえば、あとはCP=TEだとかCPT=Eのような等式がたやすく得られるので便利この上ない、たとえCPT定理が正しくても、それは宇宙においてE対称性が成り立つこと、すなわちエネルギーの正負が対等であることを意味しておるに過ぎない。
本日は朝飯前の檄文ということで終えておくとしようw)
だから現在の基準においてCPTが破れていようといまいとCPT定理なんか自然認識として用を為さない、大切なことは恒等変換を見極めるという慎重な研究態度である。大学院の素粒子研究室において「粒子をT変換した物が反粒子」「反粒子と騾馬粒子とは同じ物」だと教えているのだと聞くが、それはちょっと待ってほしいように思う。
ちゃんと検討してみてほしい、論拠はディラック方程式の時間を反転させたら電荷とエネルギーとが共に逆転することだったが、電荷とエネルギーとを共に反転させたら負エネルギーの反粒子になるじゃないか?
あるいは騾馬粒子を時間反転させたら反粒子になるだろう・・。
だが、粒子を時間反転させて反粒子になどなりはしない、それだけは何かの間違いだろう!
それを「反粒子は負エネルギーで時間逆行している存在」などと詭弁を抜かす、反粒子が時間逆行していること自体が非自明であるし、負エネルギーが時間反転しているならば騾馬粒子を時間反転させた物ではなかったか?
それらを整理していくと結論は一つに集約される、それが【CPTE恒等】なのであった・・。
おそらく事態が判明したらトカゲの尻尾切りよろしく「その大学院生だけが誤解していた」ことにするのだろう、まあいい人間誰しも間違いはあるもの、大切なのはそれを誤魔化さないことだ。そんなことより私がCPT定理を糞ッ食らえと言っているのはアメリカの素粒子族に共通したまだるっこしい研究態度・姿勢にその原因がある。慎重に一つずつ増やしていって真の対称性を極める、結構なことのようだが先に述べたような難点もあり、理論の独立性を重んじるとき恒等変換をこそ見極めるべきだったと私は信じている。
それで出てきたのがCPTE恒等だったのだよw)
恒等変換さえ得てしまえば、あとはCP=TEだとかCPT=Eのような等式がたやすく得られるので便利この上ない、たとえCPT定理が正しくても、それは宇宙においてE対称性が成り立つこと、すなわちエネルギーの正負が対等であることを意味しておるに過ぎない。
本日は朝飯前の檄文ということで終えておくとしようw)