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GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

現代数学はエルランゲン・プログラムと心中状態ではないか(1)

2011年01月23日 | Weblog
私はボヤイやガロアの生い立ちに同情することはあっても彼らの数学まで“よいしょ”する義理立てを行う者ではない!

 エルランゲン・プログラムはクラインだったが、ま、同時代のポアンカレの好敵手だったわけだが、両者とも地方出身の田舎紳士上がりと見えてアインシュタインなどと比べたら野暮ったいし、なんだか古臭いように思うのは私だけだろうか。見比べたら(微妙な違いに思う者が多いかもしれないが)リーマンの方がずーっと歴史上の偉人としての風格を漂わせているように見えます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

えー、まー、もちろんそれは(当方としての)“欲目”なんですよ、もちろんね、それで対等だってわけです・・。

 顔や風体のことはともかく、ここへ来て、どうしても気になってきたのは「エルランゲン・プログラムはリーマン幾何とは相性が悪かった」という現実なんです。だったら“一騎打ち”になるのが正当ではなかったのか、と思いついたらボヤイのいう一般幾何学のことがチラッと目蓋(まぶた)に浮かんだのでしたよ。

「ユークリッド幾何は証明できないことを証明したのだからこれでイイのです」と父ボヤイに言い放った若ボヤイ・・。

 それにしてもガウスは自分自身とまったく同じだと言い張るし、ロバチェフスキーの空想幾何なんて頼りないものを誉めるし、鼻を明かそうと数学上の大著述を目指した際に言い出したのがユークリッド幾何と非ユークリッド幾何とを統一して捉えた一般幾何学って奴(やつ)だった。

あっと驚いたことにはエルランゲン・プログラムはボヤイの一般幾何学に沿ったまとめ方になっていたのだ!

 私はここに幾何学の基礎原理に関しては《ガウス=リーマン=アインシュタイン・ライン》が正しかったのだと断言できます。クラインの後を受けたトポロジーを含んだ現代数学、ことに幾何学の基礎からの構築についての私の見解はどうしようもないものであって、ようするに数学史はそんなに長らく多くを間違って進んできていて修正されておらないという惨状だとしか言えません。

かのヒルベルトをも邪念にした幾何の根本原理は重力理論を彼の手からアインシュタインに渡すことになりました・・。

 ボヤイのような一旦、精神的に挫折した者が高度な精神機能を駆使するばかりの研究生活において大願を成就するのは困難だといったのは日本の寺阪でしたが、私はそこまでは同意するにやぶさかでない。つまりヒルベルト程の人が例外ではなかった。しかし問題はその次にボヤイの場合、ガウスに手痛く裏切られたのが原因であるように(著作において)書かれていたことです。ガウスの冷たい性格が自分自身をより大きく人よりも正しく見せたい虚栄心によるものでなく、せこいまでの保身によるものだった、などという的外れな見解を書き散らかしてありました。真実はそうではなかったでしょう、大ガウスが保身なんかするわけがないし、ま、自分たちレベルの保守的数学者の世過ぎと一緒にしてくれるな、という思いに駆られました。

ガウスは非ユークリッド幾何というものに懸念を抱いており、それで空想上の幾何学と銘打ったロバチェフスキーの方に限定的な賛辞を贈った、というのが史実!

 数学の現代化、その最初の旗手としてのクラインによるエルランゲン・プログラムは、そのガウスに沿った形ではなくて、むしろ恵まれなかったハンガリーの田舎貴族のせがれ(ボヤイのこと)に添った形で進んだのだが、私はそのことを彼ら(クラインとポアンカレですが)による同情と自己愛がそうさせた、つまりボヤイは貴族の一種でしたから同郷の念とまでいかなくても、そこはそれ、何かがあったのではないかと訝しがっている次第。同じ境遇の革命的天才にフランスのガロアがいるのだが最近はアベルの名に隠されていて見えない所にまで追い込まれている。可換群までしか物理学には必要ない、ということなのか、しかし、私は、ことは可換か非可換ではないように思っている・・。

なにしろ、UFTでは非可換な加法まで存在するし、時空表示には四元数を予定しているのだ(ははは)!

 -φ+φ=0は正しいが、φ-φは存在しないのである。ま、それをしも加法の非可換というかどうかは意見の別れるところだろうが、時空は四元数表示によってP破れを表現して、さらに時間逆行粒子を反粒子ではなくて騾馬粒子だということの証明を付けられる空間にしておきたい。それはハミルトンを敬って弔うということでもあるのだ。ガウスだってそうだが、やっぱり正しい人って正しいように思うのである。

 

 

 

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