蜘蛛の糸にしても元を正せば大乗仏教と小乗仏教の諍いw
アナタ方は本当に「主人公が小我を重んじたのが原因で地獄に落ちた」と信じておられるのでショーか、それはナイですがな。一本の蜘蛛の糸に群がる衆生だって醜いですし、幾千幾万の重さに耐えられるとも思えマヘンがな、そうでっしゃろ、そうやないか。そこを元から掘り起こしてさまざまに講義してこそ授業でっしゃろ、そう。
虎にされた男の話だとか地獄の杜子春だとか、いろいろw
すべて文章を味わうのが目的であって、道徳教育じみた教訓として講義するのは正しくない、そうやんか。作家の意図を押し付けて歩いていたかつての国語教師像は、ワシとしては底が浅かったと糾弾したい、そうですやんか。阪神タイガースは虎になることを是として日本一になりましたよ、そう。杜子春には「とにかくお前には無理だと言われた」という側面がありますがな、そうやねんて。せっかく生じる無限の味わいが消えてしまいますがな。
国語教師はもっと謙虚に、作家の代弁者に化けたらアカン