天才的かつ革命的な科学上の進展は、しばしばパラダイムシフトと呼ばれます!
そして、個々人に生じた発想には、ゲシュタルトスイッチが出現すると言われます。しかし、アインシュタインの説くゲシュタルトスイッチは騙し得の一種で、どちらに見えるのかどちらでもいいというような曖昧さが残ります。きっと保身のためもあって止むを得ずに採用した措置を合理化したモノだったのでしょう。それに対して、地動説とか大陸移動説とかいうような変革の場合には、パラダイムスイッチが出現するというのが私の見解です。
どこかで、完全に切り替わらなくてはならない、そういうことですw
そして、ゲシュタルトシフトが生じる、そうでしょーねー、徐々に慣れ親しんでもらうしかナイじゃないですかあ?
太陰暦の暦から太陽暦のそれには瞬時に切り替わりましたでしょう、で、人間さまの活動としては徐々に切り替わっていく、そうなるでしょーね。アインシュタインは一般相対性理論の認識部分に「重力と言おうと時空の曲がりと見ようと同じことだ」というようなゲシュタルトスイッチ部分を設けましたが、それは当時の学会の保守性からしたら仕方ない措置だった、つまり、本来は必要のない妥協だったというワケです。
アインシュタイン自身、弁別まではデキていなかった、そうかもワカラナイですねえw
そんなことまで必要だったという話から「アインシュタインは超天才だった」という話にまで進展するかもしれないですわな、ま、それもむべなるかな。この(ユーチューバーを始めとして)凡人が才能を示していくばかりの平成末期から令和にかけての時代に、そしたら彼らユーチューバーのような人たちを天才としたら、んー、学問の世界もかえって見通し良くなるかもワカラナイですわな。ちなみに最近、ブラックホールの影の写真が撮られてアインシュタインは本音が正しかったことが判明したという、ご同慶の至りですな。
アインシュタイン流の保身が要らなくなる時代が来ますように・・。
で、素粒子の世界で“超天才”っていうと『超弦理論』関係者の中から選んでいくことになるでしょーけど、問題は「かの理論でユニバーサルフロンティア理論を証明デキたりはしない」ということなんです。ユニバーサルフロンティア理論はもっと地道な、しかし「コペルニクスやウェゲナーのような発想を要する理論だ」というワケです。
天動説のままで一般相対性理論が証明デキたりはしません!
(なんか文句ある?)
そして、個々人に生じた発想には、ゲシュタルトスイッチが出現すると言われます。しかし、アインシュタインの説くゲシュタルトスイッチは騙し得の一種で、どちらに見えるのかどちらでもいいというような曖昧さが残ります。きっと保身のためもあって止むを得ずに採用した措置を合理化したモノだったのでしょう。それに対して、地動説とか大陸移動説とかいうような変革の場合には、パラダイムスイッチが出現するというのが私の見解です。
どこかで、完全に切り替わらなくてはならない、そういうことですw
そして、ゲシュタルトシフトが生じる、そうでしょーねー、徐々に慣れ親しんでもらうしかナイじゃないですかあ?
太陰暦の暦から太陽暦のそれには瞬時に切り替わりましたでしょう、で、人間さまの活動としては徐々に切り替わっていく、そうなるでしょーね。アインシュタインは一般相対性理論の認識部分に「重力と言おうと時空の曲がりと見ようと同じことだ」というようなゲシュタルトスイッチ部分を設けましたが、それは当時の学会の保守性からしたら仕方ない措置だった、つまり、本来は必要のない妥協だったというワケです。
アインシュタイン自身、弁別まではデキていなかった、そうかもワカラナイですねえw
そんなことまで必要だったという話から「アインシュタインは超天才だった」という話にまで進展するかもしれないですわな、ま、それもむべなるかな。この(ユーチューバーを始めとして)凡人が才能を示していくばかりの平成末期から令和にかけての時代に、そしたら彼らユーチューバーのような人たちを天才としたら、んー、学問の世界もかえって見通し良くなるかもワカラナイですわな。ちなみに最近、ブラックホールの影の写真が撮られてアインシュタインは本音が正しかったことが判明したという、ご同慶の至りですな。
アインシュタイン流の保身が要らなくなる時代が来ますように・・。
で、素粒子の世界で“超天才”っていうと『超弦理論』関係者の中から選んでいくことになるでしょーけど、問題は「かの理論でユニバーサルフロンティア理論を証明デキたりはしない」ということなんです。ユニバーサルフロンティア理論はもっと地道な、しかし「コペルニクスやウェゲナーのような発想を要する理論だ」というワケです。
天動説のままで一般相対性理論が証明デキたりはしません!
(なんか文句ある?)
レベル1:本やメルマガを読むなど、自宅内で完結するもの。
レベル2:博物館に行くなど、一応外出するが、人とのコミュニケーションがほとんどないもの。
レベル3:講演会を聴くなど、外出し、間接的にはその人に触れることになるもの。
レベル4:学者とトークするなど、直接、人と交わるもの。
ということで、レベル1は日常的ですが、私は、レベル2以上の機会となるとぐっと減ります。
レベル3がほとんどなく、レベル4は無いことになります。
パラダイムシフト、懐かしいですね。
ということで、私も、一度は、こういった大天才たちと一度はお話ししたいものです。
物理理論のレベル、ですけど、
レベル1は「オカルトではないがあり得るというだけの主張」
レベル2は「筋道を立てて説得しているモノ」
レベル3はグラショウの言う「それだけが起こることを証明デキるレベル」
レベル4は「抽象的物理理論として優れていると判定される」
世の中における問題は、レベル4のような顔をしてレベル2やレベル3をクリアーしておらない偽理論が多いということw