自然数の可算無限性というのは、実は、ペアノ公理の「一つずつ増やしていく」といった性質の規定に根ざしているらしい、ということが明らかになりました。いや、これだって自己納得してみただけのことなんですけれども、どうやら「一つずつ増やしていく」システムでない限りは「数えられる」という性質(=可算性)にはそぐわないのだという意味らしいです。
有限領域では二倍にしても必ず数えられることが保証されているのだが無限領域ではその限りでない!
まず、そのことが「実数の可算性は証明されない」ということの意味であるように思われました。他に、理由らしきものをイメージ論理で言い表す(ことが出来たら著作権が生じるモンね・・)としたら次のようです、すなわち・・。
カントルの超自然数列は ω<ω^2<ω^ω が言えても 2^ω<ω^ω は言えないシステムだ!
こういうことなんです・・。それでアレフゼロだとかアレフワンだとかの『無限濃度』の表示が必要になってしまい、ωだって“無限を表す数の一種”であるにも関わらず「加算か非可算か?」という論議には証明としては使い物にならなくしてしまっているというのが現実です。
で、数学の消費者として言いたいのは「そんな頼りないようなことでイイのか!」という叱咤激励です!
で、有限主義を推し進めたアメリカの『内部集合論』という超準解析学の基礎では「無量大数を仮定することによってωを有限数のように扱う」といった思想を展開しているようでしたが、私ことbuturikyouikuにとったら「それでは逃げの一手を打ったに過ぎない」というような感想にいたる話だということになるんですよ、それが・・。
そうしたら当方としたら、いつものように「無限は一つ」だといった理屈を基礎とした“新しい解析学”(=微分解析学のこと)を打ち立てたくなりますよ!
まあ、そこまで言っても「ドーゾ、ドーゾ、気の済むまで幾らでも・・、お気軽に!」ってゆー了見であり、そのような感覚もある、奇妙な“左脳変人”の世界ですよねえ~・・、数学基礎の世界ってのはいつまでたっても。
まったく、もおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!
有限領域では二倍にしても必ず数えられることが保証されているのだが無限領域ではその限りでない!
まず、そのことが「実数の可算性は証明されない」ということの意味であるように思われました。他に、理由らしきものをイメージ論理で言い表す(ことが出来たら著作権が生じるモンね・・)としたら次のようです、すなわち・・。
カントルの超自然数列は ω<ω^2<ω^ω が言えても 2^ω<ω^ω は言えないシステムだ!
こういうことなんです・・。それでアレフゼロだとかアレフワンだとかの『無限濃度』の表示が必要になってしまい、ωだって“無限を表す数の一種”であるにも関わらず「加算か非可算か?」という論議には証明としては使い物にならなくしてしまっているというのが現実です。
で、数学の消費者として言いたいのは「そんな頼りないようなことでイイのか!」という叱咤激励です!
で、有限主義を推し進めたアメリカの『内部集合論』という超準解析学の基礎では「無量大数を仮定することによってωを有限数のように扱う」といった思想を展開しているようでしたが、私ことbuturikyouikuにとったら「それでは逃げの一手を打ったに過ぎない」というような感想にいたる話だということになるんですよ、それが・・。
そうしたら当方としたら、いつものように「無限は一つ」だといった理屈を基礎とした“新しい解析学”(=微分解析学のこと)を打ち立てたくなりますよ!
まあ、そこまで言っても「ドーゾ、ドーゾ、気の済むまで幾らでも・・、お気軽に!」ってゆー了見であり、そのような感覚もある、奇妙な“左脳変人”の世界ですよねえ~・・、数学基礎の世界ってのはいつまでたっても。
まったく、もおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!