ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

今回の入院の目的の一つは僕の学問は人格障害を来させないことの証明

2014年05月26日 | 究極理論
つまりゲーデルは数学の不完全性が人間の尊厳を守ると信じたようなことを言っていたけど、だけど人格障害をおこして亡くなったw)

僕はそこのところを彼の行った無理な定式からの必然であるように論じてきたし、それは今でも変わらないわけですよ。嘘つきパラドクスを緩和した定式なんかで数学体系の無矛盾性を論じ切るなんて不可能だということと、定式上の無理から矛盾が合理化されているのにも気がつかないでいたり、それはユニバーサルフロンティア理論ではクォーク命題とか中間子文だとか言うのだけれど、それは形式上の矛盾を不合理として排除できない性質を有しているというゲーデルなどにとっては致命的な結論をモノしております・・。

ゲーデルがしかつめらしく主張してきたことはそんじょそこいらの酔っぱらいが理屈に合わないから人間は偉いと言ってるようなモンだったw)

彼の言う人間の尊厳とは結局のところ非常識の合理化そのものに費やされる性質のことだったとまで言えば辛く当たり過ぎなのかもしれないけれど、ゲーデルの晩年を思うにつけ大脳回路そのものが学説そのものに染まっていかざるを得ない彼の学問の質というか性質を思い浮かべて絶望したのもむべなるかなと思いに耽る。

理論科学というのは人名が付いてもイイとは思うけれど人格化してしまったらヤバいと思わざるを得ません!

学問や学説の人格化とは学説の性質によって引き起こされることというだけじゃなく、たとえばハミルトンなどのように没入した多年の努力などによっても引き起こされる。その中でもカントールなどは両方あいまった最大の自己犠牲だったように思いますけど、ま僕などが当ブログなどで述べさせてもらっている通りにカントールに非というか落ち度がナイわけじゃない。今となっては間違いだということが分からなかったということでもあるし、未解結難問などとは違って自由に作る学問なんかで煩悶する気が知れないということでもある。

この最後の下りで思い知るのは「やはりカントールの末期は学問の人格化だった」という直観なのである・・。

道を誤っても止まらない脳回路、それは神に求めることが出来ない悪魔の仕業、天才の業績は途中で諦めないことに尽きるけれども諦めさせない魔力は解決しようのない問題にまで忍び寄ってくる、ということは彼らはアルコール中毒だったのじゃないかという強力な仮説が成立します。ああー、僕だって危なかった、これを機会に理数系の人びとにアルコール依存症についての正しい知識と理解が広まることを願いますw)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓=南部模型こそが小林=益川... | トップ | 相対論こそ量子力学の子なの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

究極理論」カテゴリの最新記事