ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

ユニバーサルフロンティア理論発見までの経緯(1)

2014年12月08日 | 究極理論
はじめにMユニバース粒子ありき、だったのか、それともはじめに韓=南部模型だったのか・・。

 これは記憶を突き詰めて考えると、どっちが先だったのか忘れてしまったような感じがします、ニワトリが先かタマゴが先か。ところが論理的に突き詰めてみますと、やはりクォークの整数荷電がなければ電荷0の宇宙物質開闢粒子Mユニバースというのは思い付きようがないから、だから韓=南部模型が先にあったのだと分かります。これは自分としてもそのくらい昔にやった、古来より十年一昔と申しますから、だから忘却の彼方にあっても可笑しくはなく、あるいは今となってはそのくらいそこはかとなかったのだと存じます。

発見ってそんな物ですよね?

かねてから「陽子の崩壊しない大統一を発明できれば」と念願しておりましたから、

それもあって一気呵成に頑張ってやった仕事であった証拠ですw)

 かような感想を物してきている理由は、Mユニバース粒子を仮定しますでしょう、それがtクォークとbクォークとに崩壊する、崩壊した際に荷電対称性が自発的に破れまして、そこでNボソンとTボソンとが数比2:1で出る、そのNボソンが憑依する状態とTボソンが憑依する状態とがあれば3回に1回は電荷が1だけ減る、あっ、韓=南部模型と同じだと気がつく、それでなんです。ま、最初にtクォークとbクォークとが電荷プラスマイナス1で出るように仮定しているんですから同義反復なんですけどね、ま、論理と同じで証明したような気になる、もちろんある種の証明になっていることは確かなんですけれども、ようするに無からの証明ではなく韓=南部模型の方が先にあります。

 韓=南部模型というのは南部洋一郎著ブルーバックス「クォークの世界」だったかな、そこが出典なんだけどR値の問題というのがあって、なんだかご自身で否定しておられた南部先生が結果を諦められておられないような気がした、いったん気がしてしまうと気にして点検するわけですよ、そうして色付きハドロンがどうたらこうたらという発想を私もやってみた、ま、私は先入観が強いですから2クォークからなる系というのは思い付きませんでしたけれど、その色付きハドロンの考察はそこそこに切り上げてのMユニバース粒子発案だったわけです。

それは宇宙はアイソスピン対称から始まって電荷0と1の基礎粒子に変化していったというような・・。

 まるっきりワインバーグ=サラム理論の主役をレプトンからクォークに置き換えたような物だったのですが、私はそのことも知らなかったしGUTのX粒子が似たような物だということもついぞ知りませんでした。それ以前にGUTの失敗があったからこそ思い付けたことだ、というのは本当だったでしょうけどね、人間誰しもの発想をしたからできた物だという事の方が大きいかと存じます。



ま、これがユニバーサルフロンティア理論事始めですよね・・。

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