標準模型は十一月革命の産物だった、そうですのやw
で、何の体制に対してのどんな革命だったのかを考えた時に、思い当たるのは湯川中間子論とそこからの進展ですのや、そうですやろ。日本では湯川中間子であるパイ中間子と、ファルミオンであるミュー粒子を合わせての二中間子論が盛んに研究されておりましたけど、あまり大した進展を見せられず、アメリカではゲルマンのクォーク模型が盛んになってましたっけ、そう。
ストレンジクォークのゲルマンですけど、さて?
そこまででしたらゲルマンによるクォーク模型も湯川理論の進展に役立ちそうだったですがな。ストレンジクォークを含まないud二つのクォークの世界が湯川のパイ中間子三重項の世界で、そこにsクォークを足した三クォークの世界がゲルマンの八道説の世界、そうでしてん。
湯川理論がSU(2)でゲルマン模型がSU(3)か?
で、彼らが革命だと大騒ぎしたのは四番目のクォークとなるcクォークが発見された時でしたがな、そう。私見だとSU(3)が破れたというならSU(4)を仮定したらよろしかったところを彼らはそうしないで「十一月革命」と大騒ぎした、どうしてでしょーかね。
八道説が既に破れていたので十五道説など造りかねた?
ソ~でしょーねえー、そうだと思いますのや、で、そこでゲージ原理などからベクトルメソンに目が向き始めた、そうだったと思います、はい。加速器研究ではスピン1のハドロンを生成しやすいですから、スピン0のスカラーメソンを合わせて十五個も確認するのは骨が折れたし、やる気が起こらなかった。彼らアメリカの若い力はそれよりもゲージ原理による力の場の統一に気持ちが向かっていた、おそらくそうでしょう。
それだけですから革命に必然性なんか無かったのでは?
ソコが科学史研究におけるワシの仮説、やっと行き着きましたで、そうw