やはり、その人が生きていて内容に関して説明を聞けるということがいちばん大切なんだw)
数学論文だったら文章だけで何もかも伝わる、証明なんかだったらなおさらそうで論文だけを審査して正しいかどうかを決める、ところが数学の証明をそっくりそのまま模写してしまったら作者不明になってしまう、そこは信用問題というか悪いことはできないというか、偽論文なんかが存在しても必ず調べはつくようにできていてガウスなんかも例外じゃない。ガウスに非ユークリッド幾何の権利なんかあるわけがない、若ボリアイ宛ての返事に自分で書いていたことには「これは自分の三十年間の沈思黙考の足跡とぴったり符合する」「自分とともに埋もれてしまうのも勿体ないのでボツボツ書くつもりでいた」ということだから論文は未了どころか一編も残っておらない、老ボリアイとのやりとりの中で「こりゃ、ユークリッド幾何は証明できないのではなかったか?」と気がついたとしてもそれまでのことである。
群論だって理解しなかったし、しょせんガウスは過去の人、ニュートン物理と微積分が堪能だった計算屋に過ぎなかったw)
そもそも「ユークリッド幾何の証明は難しい」ということから「ユークリッド幾何は証明できない」さらに「非ユークリッド幾何が存在する」の順序で進んだからといって、それが非ユークリッド幾何の創設者として必要にして十分かといえばもちろんそんなことはない。
それは出発点だから・・・。
ガウスが知人に「ユークリッド第五公準を否定しても無矛盾な体系は造られる」と手紙で漏らしていたとしても、それだけでは非ユークリッド幾何学を打ち立てたことにはならない、それは研究の示唆であるし、自分自身で告白しているように論文らしき物は遺しておらない。
思えば、
非ユークリッドや群論に至っては
大ガウスとてコーシーと
さほど違わなかったことが察せられるw)
私見では非可換の算術はもっと大切であり、たとえばマックスウェル方程式は当初は四元数を用いて書かれた、時空を表すのに四元数がちょうどであるならば四次元時空の必然性が生じてくる。それはT変換をした場合にP変換を伴うこと(T⊃P)を現行の基礎(ミンコフスキー空間)よりも雄弁に語らしめる。さて、ここから物理学だけの話をする、T変換はC変換を伴う(T⊃C)し、もちろんエネルギーが反転する(T⊃E)から、トータルでT=CPEというのはごく自然に提案される、どーだ、これこそがCPTE恒等の秘密だ。
数学論文だったら文章だけで何もかも伝わる、証明なんかだったらなおさらそうで論文だけを審査して正しいかどうかを決める、ところが数学の証明をそっくりそのまま模写してしまったら作者不明になってしまう、そこは信用問題というか悪いことはできないというか、偽論文なんかが存在しても必ず調べはつくようにできていてガウスなんかも例外じゃない。ガウスに非ユークリッド幾何の権利なんかあるわけがない、若ボリアイ宛ての返事に自分で書いていたことには「これは自分の三十年間の沈思黙考の足跡とぴったり符合する」「自分とともに埋もれてしまうのも勿体ないのでボツボツ書くつもりでいた」ということだから論文は未了どころか一編も残っておらない、老ボリアイとのやりとりの中で「こりゃ、ユークリッド幾何は証明できないのではなかったか?」と気がついたとしてもそれまでのことである。
群論だって理解しなかったし、しょせんガウスは過去の人、ニュートン物理と微積分が堪能だった計算屋に過ぎなかったw)
そもそも「ユークリッド幾何の証明は難しい」ということから「ユークリッド幾何は証明できない」さらに「非ユークリッド幾何が存在する」の順序で進んだからといって、それが非ユークリッド幾何の創設者として必要にして十分かといえばもちろんそんなことはない。
それは出発点だから・・・。
ガウスが知人に「ユークリッド第五公準を否定しても無矛盾な体系は造られる」と手紙で漏らしていたとしても、それだけでは非ユークリッド幾何学を打ち立てたことにはならない、それは研究の示唆であるし、自分自身で告白しているように論文らしき物は遺しておらない。
思えば、
非ユークリッドや群論に至っては
大ガウスとてコーシーと
さほど違わなかったことが察せられるw)
私見では非可換の算術はもっと大切であり、たとえばマックスウェル方程式は当初は四元数を用いて書かれた、時空を表すのに四元数がちょうどであるならば四次元時空の必然性が生じてくる。それはT変換をした場合にP変換を伴うこと(T⊃P)を現行の基礎(ミンコフスキー空間)よりも雄弁に語らしめる。さて、ここから物理学だけの話をする、T変換はC変換を伴う(T⊃C)し、もちろんエネルギーが反転する(T⊃E)から、トータルでT=CPEというのはごく自然に提案される、どーだ、これこそがCPTE恒等の秘密だ。