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「落穂拾ひ」

2011-11-03 14:54:16 | 書籍レビュー
「日日の麺麭・風貌 」より、「落穂拾ひ」
小山清
講談社文芸文庫

ビブリア1巻に登場した「落穂拾ひ」を読んでみました。
淡々とした、日々の何気ない物語。


なんか知らないけど、本が全然見つけられなくて・・
アマゾンでも、すっごい高いのしかなかったり・・ なにこの、まぼろし感!?笑
あとからこの「日日の麺麭・風貌 」があることに気付きましたが、それでも1000円からだった。
見つからないから、「そうだ、図書館行こう!」と思って行ったんですよ!昨日仕事帰りに。
事前に蔵書を調べたらあったからね。
図書館行くのなんて大学生以来ですよ。
しかもその時は読書でなくて、「やばいレポートが!死ぬ!」っていう感じでしたし・・。


「日日の麺麭・風貌 」は短編集なのですが、時間も無いので
「落穂拾ひ」と解説だけ読んできました。

作者自信の体験を描いた”私小説”というものだそうです。
ですから中に出てくる”僕”は小山清ということですね。
”Dという小説家”というのが本文に出てきますが、これも小山清が師事していた太宰治のことだそうです。

なるほど、まったりとした・・
そして、ビブリアの人達が「あんなこと、あるわけねえ」「嘘の日記のようにも取れる」
と言っている意味もわかった気がしました。。
というのは、「落穂拾ひ」の最後の方で”僕”が女の子から贈り物をもらうんですね。
それがあまりにできすぎていて甘ったるい、というのです。笑
確かに・・”僕”には特に何の取り柄もなさそうだし、普通ならあまりないミラクルですものね^^
でもまぁ、良かったですよ^^ 和んだ。
内容もですが日記が始まる前の冒頭でね、
「ある老人は嘘の日記を書いているそうだ」「それも有りかもしれない」みたいなことを言っていて、
作品の最後に「以上が僕の最近の目録であり、また交友録でもある。実録かどうか、それは云うまでもない。」と言っているんですよ。
読者を惑わせている。小洒落ていますね。
どうなんでしょうか。怪しいといえば怪しいのは女の子のエピソードだけなんですが・・
どっちなのかなぁ、うふふ^^ と放っておくのも嫌ではないです。

ビブリアの「落穂拾ひ」の回には「落穂拾ひ」とリンクさせたセリフ等がいくつか出てきます。
志田という人物のセリフで「金目のもんじゃねえ分なおさらだ」というのがあるのですが、
それには何の説明も無くて気付きませんでしたが、それも「落穂拾ひ」の中の
「金目のものでないだけに一層。」というセリフから来ているのですね。面白いなーっ♪


「落穂拾い」というと、ミレーの絵画を思い出す人も多いと思いますが、
誕生日が同じ(10月4日)ということもあってか、小山清はミレーを好きだったらしいです。
解説でもそんなことが書いてあるのですが、作品の最後でもそのことがでてきて、「そうなんだあ!」って思いました。
ミレーの「落穂拾い」には、収穫後に集めきれず残された麦の落穂を貧しい人達が拾っている様子が描かれています。
そこから転じて、「物事の本筋からこぼれ落ちた些細な事を拾い上げて処理する」という意味で使われるそうですが、
小山清の「落穂拾ひ」も、見落とされるような日常の些細なできごとを綴っているのです。



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