レビューっていうか翻訳っていうかただの和訳ですん(●´ω`●)
ビブリア3巻に登場し、とても気になっていた小説です。SFです。
3ブロックぐらい先に翻訳文がありますので、スクロールしてお読みください☆↓↓↓
「初対面の主人公に向かって、彼女はこう言うんです」
栞子さんは内緒話をするように、俺に顔を寄せた。間近で見る彼女の瞳は、興奮を物語るように輝いていた。
「『おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた』」
胸がざわっと波打った。本当に自分が丘の上でそう言われた気がする。
「い、いいですね、すごく」
「でしょう。こんな可愛いこと言われたら、好きになってもおかしくないですよね」
と、屈託なく笑った。自分がなにをしているのか分かっていないらしい。
ほら、ほら、ほら!ビブリアもたんぽぽ娘も,読みたくなりましたでしょ?
この小説は「CLANNAD」っていうアニメ(ゲーム?)にも登場しているようですね。
既に出版されている翻訳本は絶版で,これを収録しての発売を予定していた河出書房さんの『奇想コレクション』も、
何年も発売予定のまま、いっこうに出版されない「たんぽぽ娘」。。
モー待ってらんないょ!!!!!
今出してたら、ビブリア効果でかなり売れただろうに。もったいない。
幸い短いので,自分で訳してみました。
素人なので、間違っているところやおかしいところは少なからずあると思います。
それでよければ,引用などはご自由にどうぞ☆でもminacoの名前を出すか、リンクしてくださるとありがたいです(´□`*)ゞ
なお,誤訳など直接ご指摘いただくことは大歓迎です!!!
美しく訳すのって難しいですね!少なくとも話の筋は追えると思います。
お手数ですが、読みやすいようにご自分でウィンドウ幅などを調節なさってください。
では、いってらっしゃいませ。
(*2013年3月1日一部修正)
「たんぽぽ娘」ロバート・F・ヤング、1961年
『ごく一般の中年男であるマークは、妻に急な仕事が入ったため、一人田舎町で休暇を過ごしていた。
ある日、近くの丘まで出かけてみると、そこにはタンポポ色の髪を持つ可愛らしい少女が立っていた。
彼女は未来から来たという。気があった二人は急速に親しくなっていくが、少女は突然姿を消してしまう。
彼女にはある重大な秘密があった・・・』
1
丘に立つその少女は、エドナ・ミレイ(*アメリカの詩人)を思わせた。それは、少女が午後の陽射しの中でタンポポ色の髪を風になびかせていたからかもしれないし、少女が身にまとう白い古風なドレスが、彼女の細く長い足に巻き付いていたからかもしれない。いずれにしてもマークは、彼女が過去からやってきたという、はっきりとした印象を受けた。そしてそれは見当違いなことだった。というのは、実際のところ、彼女は過去からではなく、未来からやってきたのだったから。
丘を登って息をつかせていた彼は、少女の後ろにいくらか距離をとって休んだ。彼女はまだ彼に気付いていなかった。彼は、どうすれば彼女を驚かさずに自分の存在を知らせることができるか考え、考えをまとめるため、パイプに草を詰め、手を丸めてそれをおおいながら火をつけた。もう一度少女を見ると、彼女はこちらを向いて興味深そうにマークを見つめていた。
空がかなり近いことと、顔に当たる風の心地よさを感じながら、マークはゆっくりと少女に向かって歩いていった。もっと散歩をするべきだな、と彼は思った。丘に来るときに彼は森を歩いていたのだが、今は後ろにその木々が広がり、秋のはじまりで暖かく色付いていた。森の向こうには釣り用の桟橋と小屋のある小さな湖が見えている。妻が突然陪審員として招集され、マークはせっかくの夏休みを、2週間一人で寂しく過ごさねばならなくなった。昼間は桟橋で釣りをして、涼しい夜はリビングにある垂木のついた暖炉の前で読書をする。2日間そうして過ごした後、彼は何の気なしに森に出かけて丘を登り、そして少女を見つけたのだった。
少女の瞳は青かった。彼女のほっそりとしたシルエットをふちどる、空のように青かった。顔は卵形で、若く、柔らかく、愛らしい。彼は手をのばし、風が触れるその頬を撫でたい衝動に抗わねばならないほどで、それは強烈なデジャヴであった。手は脇にぴたりとついたままであったが、彼は自分の指先が震えているのを感じた。
"どうした、俺は44歳だぞ。"彼はうろたえた。"それにこの娘はきっと20歳にもなっていない。いったい俺はどうしちまったっていうんだ?”
「景色は気に入ったかい?」彼は少女に聞こえるように問いかけた。
「ええ、とても」彼女は答えて振り返り、興奮気味に腕で半円を描いた。「とっても素晴らしいわ!」
マークは少女の視線を追った。「うん。そうだね」二人の眼下には9月の色を帯びた森が低地まで広がり、離れたところの小さな村を囲んで、郊外の居留地の前まで押し迫っていた。遠くの方では、コーヴ市のぎざぎざした影を和らげる霧のせいで中世の城を思わせて、夢よりも非現実的な景色があった。「君も街から来たのかい?」彼はたずねた。
「ある意味、そうね」彼女は言い、微笑んだ。「私は今から240年後のコーヴ市から来たの。」
その微笑みは、少女は彼が話を信じるとは思っていないことを表していた。しかし彼が信じたふりをすれば素敵だと、暗に言っている。マークは微笑み返した。「だとすると、西暦2201年ということになるね?街はだいぶ大きくなっているだろうね。」
「ええ、そうよ。巨大都市の一部になっていて、全ての道がそこまでつながっているわ。」少女は足元に広がる森を指差した。「2040番通りはあのカエデの森を突き抜けているのよ。」彼女は続けて言った。「あそこのニセアカシアの木立が見えて?」
「ああ。見えるよ。」
「そこに新しいショッピングセンターができているのよ。中にあるスーパーマーケットはとても大きくて、全部見るのに半日かかるぐらい。それに、アスピリンからエアロカーまで、ほとんどのものが揃うんだから。スーパーの隣には、っていうのはあそこのブナの木立の所なんだけど、そこには最先端のデザイナーの作品を取り扱う、大きな洋服店があるわ。今着ている服はちょうど今朝、そこで買ったの。綺麗でしょう?」
綺麗だとすれば、それは彼女が着ているからだ。しかしマークは礼儀正しくその白いドレスを観察した。見たことのない素材でできており、綿菓子と海の泡と雪を合成させたもののような気がした。きっと、ミラクルファイバー製造業者によって造られる合成技術に、もはや限界はないのだ。若い娘のほら話にしたって同じだ。「君はタイムマシンに乗ってここに来たんだね?」彼は少女に言った。
「ええ。父が発明したの。」
マークは彼女を注意深く見つめた。こんなに純粋な表情は今まで見たことがなかった。「ここへはよく来るのかい?」
「あら、そうよ。お気に入りの時代なの。時にはここに何時間も立っていて、ずっとずっと見ているのよ。おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。」
「でも、"昨日"というのはどういうことかな?」マークは聞いた。「いつも同じ時間に戻っているのではないの?」
「あなたの言いたいことは分かるわ。」少女は答えた。「どういうことかっていうとね、タイムマシンは普通のものと同じように時間の経過の影響を受けるのよ。もしきっかり同じ時間に行きたければ、毎回24時間戻して設定しないといけないの。私はそんなことしないわ。だって、違う日に来る方が楽しいもの。」
「お父さんは一緒に来ないのかい?」
頭上でガンの群れがV字の形を作りゆっくりと漂っていたのをしばらく見やってから、少女は「父は病気なの」と言った。「できることなら喜んで一緒に来ると思うわ。」彼女はそこで慌てたように付け足した。「でも、私が見たものを全部教えてあげるから大丈夫。一緒に来るのとほとんど同じよ。そうじゃなくて?」
そう訴える眼差しには、心に響くほどの熱がこもっていた。「絶対そうだよ」マークも熱をこめて言った。「タイムマシンを持っているっていうのは、素敵に違いないね。」
少女はまじめな顔でうなずいた。「美しい草原に立つのが好きな人たちへの贈り物だわ。23世紀には、そんな草原はあまり残っていないの。」
マークは微笑んだ。「20世紀でもそんなにたくさん残っていないよ。かなり貴重なコレクターズアイテムだと考えていいんじゃないかな。僕ももっと遊びに来ないといけない。」
「あなたはこの近くに住んでいるの?」と彼女はたずねた。
「ここから3マイルほどの小屋に泊まっているんだ。休暇のはずなんだけど、どうもちょっと違う感じでね。妻は陪審員で仕事に呼ばれてしまって一緒に来れなかったし。でも休暇を延期できなかったから、ソロー(*アメリカの思想家)を気取るはめになってしまったのさ。僕はマーク・ランドルフ。」
「私はジュリーよ」少女は言った。「ジュリー・ダンヴァース。」
その名前は彼女によく似合っていた。白いドレスも同じように似合っていた。青い空も、この丘と9月の風も似合っていた。恐らくこの少女は、森の中の小さな村にでも住んでいるのだろう、しかしそんなことはどうでもよかった。もし彼女が未来から来たふりをしたいのなら、マークは喜んでそれにつきあうつもりだ。困ったことなのは、彼が最初に少女を見たときの感情であり、彼女を見つめるたびに襲われる愛しさの方であった。「君は何の仕事をしているの、ジュリー?」彼はたずねた。「それともまだ学生かい?」
「秘書になる勉強をしているわ」彼女は言い、小さなステップを踏んでつま先立ち、可愛らしくくるりと回って胸の前で両手を組んだ。「本当に私、秘書になりたいのよ。」彼女は続けた。「大きくて立派なオフィスで働いて、偉い人たちが話すことを記録するのって、とにかく素晴らしいに違いないわ。私を秘書に雇ってみたいかしら、ランドルフさん?」
「もちろんだよ。」彼は言った。「妻は僕の秘書だったことがあってね、戦争前のことだけど・・・。それで僕たちは出会ったのさ。」どうして自分はそんなことを話したのか?彼にはわからなかった。
「奥さんはいい秘書でした?」
「最高だった。彼女を失うのは痛手だったよ。でも、秘書としては失うけれども、別の意味では手に入れるのだものね。だから、失うと言うのはふさわしくないな。」
「ええ、そうね。あら、ランドルフさん、私もう帰らなくてはならないわ。パパが、私が見たものを全部聞きたくて待っているし、夕飯を作らなくちゃ。」
「明日もここへ来るかい?」
「たぶんね。毎日来てるもの。今日のところはさようなら、ランドルフさん。」
「またね、ジュリー。」彼は言った。
マークは少女が軽い足取りで丘をかけ下り、カエデの森に――今から240年後の2040番通りなる所へ――消えるのを眺めていた。44歳の男は笑っていた。なんて可愛らしい女の子だろう、と思った。こんなにもとんでもなく不思議なこと、こんなにも人生をワクワクさせることは、刺激的であるに決まっている。彼は今までその2つを拒否していた分、いっそうありがたく思えた。20歳のとき、マークはロースクールで学ぶ真面目くさった男だった。24歳のとき、彼は自分の業務を持ち、それは小さいものだったが,彼は完全に夢中になった――いや、完全にではなかったけれど。彼がアンと結婚してから少しのあいだ、急いで稼ぐ必要はなくなった。そして、戦争が始まり、もう1つの期間――前のよりもずっと長いもの――があった。収入を得ることが、ときには卑劣な義務にさえ思えたほどに、マークが民間の仕事に戻った後それは大変なものであった。つまり、彼は息子を妻同様に支え、仕事はそれまで以上に忙しくなったのだ。最近は毎年、4週間の休暇――アンと息子のジェフと共にリゾートで過ごす2週間と、ジェフの大学が始まった後に湖のそばの小屋でアンと二人で過ごす2週間――を自分に許しているが。けれども今年はその2つ目の休暇を、一人きりで過ごしていたのだ。まあ、今となっては、一人きりというわけでもないかもしれないが。
パイプは少し前に火が消えていたが、彼はそれに気がついてさえいなかった。火をもう一度つけて、風を受けながら深く吸い込んだ。そして丘を下り、小屋に向かって戻り始めた。すでに秋分は過ぎ、日はかなり短くなっている。辺りはほとんど暗くなっていて、湿った夜がすでに、かすんだ空気の中に広がっていた。
マークはゆっくりと歩き、彼が湖に着く前に太陽は沈んでいた。湖は小さいが深く、森の木々がその淵まで生えていた。小屋は岸から少し行った松林が囲む所にあり、曲がりくねった小道が桟橋へ続いている。その後ろには砂利の車道が高速へ繋がる埃っぽい道へと導いていた。裏口には彼のワゴン車が止めてあり、時がくればマークをすぐに文明社会へ連れ帰るために待っている。
彼は台所で簡単な夕食を作って食べ、読書をしにリビングへ入った。小屋の発電機がブンブンうなっていることを除いては、近代人間が受け継いだうるさい音が邪魔していない静かな夜だった。暖炉の傍の、本がたくさん詰まった棚からアメリカの詩人の作品集を選び出して座った彼は、パラパラとページをめくる指を「丘の上の午後」で止めた。彼は大切にしているその詩を3回読んだが、読む度に少女が陽の光の中に立っている姿が浮かんだ。風になびく髪、長く華奢な足を柔らかな雪のように包み込む白いドレス・・・。彼は何かがぐっと、のどに詰まるような感覚を覚えた。
マークは本を棚に戻し、丸太作りのベランダへ出て、パイプを作って火をつけた。彼は妻であるアンのことを考えようと自分に強いた。アンの顔が脳内を占める――引き締まった、しかし優しいあご。温かく、思いやりのある瞳。そこには彼がどうしても正体がわからない恐れのようなものがあった。静かな柔らかさのある頬、優しい微笑み―。それぞれの特質は彼女の活気に満ちた明るい茶色の髪と背の高さ、しなやかな品の良さによってより強くなった。妻のことを考えるときはいつもそうなのだが、彼女が年をとらないことに――だいぶ昔の朝、マークが見上げ、びっくりさせてしまい、彼の机の前におどおどと立っている姿を見ていた頃――から変わらず、一体どうやって彼女が愛らしいまま年月を重ねてきたのかに、驚くのだった。あれからほんの20年後に、自分の娘ほど歳の離れた,空想好きな少女に会うことを心待ちにすることになるとは、想像もつかないことだった。いや、心待ちになどしていないさ――それほどには。一時の気の迷いだ・・・ただそれだけだ。少しの間、感情のコントロールが利かなくなって、ぐらついていたのだ。今や彼の足はきちんと地についていて、平穏で分別のある世界に戻っていた。マークはパイプをトントンとたたいて灰を出し、小屋の中へ入った。寝室に行き服を脱いで、ベッドにもぐり込み、電気を消した。彼はすぐに眠れる方なのだが、なかなか寝付けなかった。やっと眠くなってきた頃、からかうような夢とともに、ぱらぱらとした断片が彼を襲った。
"おとといは兎を見たわ"と彼女は言った。"きのうは鹿、今日はあなた。"
2
2日目の午後、ジュリーは青いドレスを着ていた。タンポポ色の髪には、結ばれた青いリボンがよく似合っていた。丘を登った後、しばらく彼は立ったまま動かず、のどにつまる何かが過ぎ去るのを待っていた。それから歩いていき、風に吹かれている少女の隣に立った。しかし彼女の首やあごのなだらかな曲線は、例の、のどの違和感を連れ戻し、彼女が振り返って「こんにちは、来てくれるとは思っていなかったわ。」と言ったときには、答えるのにかなりの時間がかかってしまった。
「でも、来たじゃないか。」やっとのことでマークは言った。「君だって。」
「ええ。」彼女は言った。「嬉しいわ。」
近くにある、露出した花崗岩がベンチのような形をしていたので、二人はそこへ座って景色を見渡した。マークはパイプを詰めて火をつけ、風の中に煙を吐いた。「私のパパもパイプを吸うわ。」少女は言った。「火をつけるときにはあなたと同じように、手を丸くしてつけるのよ。たとえ風が吹いていないときでもね。あなたとパパは似ているところがたくさんあるわ。」
「君のお父さんのことを話してくれないか。」マークは言った。「君自身のこともね。」
彼女は話してくれた。自分が21歳であること、父親は政府の物理学者を引退していること、2040番通りの小さなアパートに住んでいること。4年前に母親が亡くなってからずっと、父親のために彼女が家を切り盛りしていること。その後で、マークは彼自身のことと、アンとジェフのことを話した――いつかジェフと共同経営したいと思っていること、アンがカメラ恐怖症であること。結婚式の日に写真を撮られることを彼女がどんなに嫌がったかということ、それからもずっと嫌がっていること、家族3人で去年の夏キャンプに行って素晴らしい時間を過ごしたこと。
彼が話を終えたとき、彼女は言った。「なんて素敵な家族と人生を送っているのでしょう。1961年に暮らすのは素晴らしいに違いないわ!」
「君の持っているタイムマシンでなら、好きなときにここへ来ることができるだろ。」
「そんなに簡単にはいかないわ。パパを一人にしちゃうことを別にしても、時間警察を考慮しないといけないわ。あのね、時間旅行の権利は政府の支援を受けている歴史家のメンバーに限られていて、一般人には禁止されているのよ。」
「問題なくやっているように見えたけれど。」
「パパが自分でタイムマシンを発明したから。時間警察はそのことを知らないの。」
「だけど、それなら君は今も法を破っているということなんだね。」
彼女はうなずいた。「でも時間警察の人たちがそう思うってだけよ。彼らの時間の概念範囲でだけなのよ。私のパパはパパ自身の概念を持っているわ。」
彼女が話すのを聞いているのはとても楽しかった。話している内容はそれほど重要ではなく、嘘みたいな話だろうと何だろうと、とりとめなく話していてほしかった。「その話、聞かせてくれないか。」彼は言った。
「まず、公式の概念についてお話するわね。公式概念を支持する人は、未来から来る人誰一人として、過去で起きるどんなことにも物理的に関わってはいけないと言っています。なぜなら、未来の人の今現在に矛盾が生じてしまうし、それに、未来の出来事はその矛盾に合わせるために、入れ替えられてしまうからよ。その結果、時間旅行省は権限を認められた職員のみがタイムマシンを使えるよう徹底して、もっと素朴な人生を切望したり、永遠にいつでも別の時代へ行けるよう歴史家を偽ったりする時間旅行者を取り締まるための,警察を配備したの。
でも私のパパの概念によれば、時間のシナリオはもう記されているんですって。とっても広い視野で見ると、パパが言うには、起ころうとしている全てのものは、すでに起こっているのよ。だから、もし未来からやって来た人が過去の出来事に関わったら、その人はその出来事の関係者になるってことなの――それに関わったという単純な理由でね――というわけで、矛盾が生じるわけがないんだわ。」
マークはパイプが欲しくなり、深く一服した。「君のお父さんはとても面白い人のようだね。」彼は言った。
「あら、そうなのよ!」熱で彼女の頬がピンク色に染まり、瞳の青い色を輝かせた。「あなたはパパが読んだ本の数を信じられないと思うわ、ランドルフさん。もう、私たちのアパートは本で破裂しそうよ!ヘーゲル、カント、ヒューム、アインシュタイン、ニュートンにヴァイツゼッカー。私も・・・私だって、いくつか読んだわ。」
「僕も同じぐらい持っているよ。僕も読んだ。」
少女はうっとりと彼の顔を見つめた。「なんて素晴らしいの、ランドルフさん。」彼女は言った。「私、かけてもいいわ!私たちは本当に趣味が合うって。」
続いて起こった会話は、そのことを決定的に裏付けた――超越論的審美学、バークレイアニズムと相対性理論は、9月の丘の上で中年の男と少女が議論するには、およそふさわしくない話題だったと、彼は間もなく考えた。まして男は44歳で少女は21なのだ。しかし幸運なことに、そこには補うものがあった。彼らの超越論的審美学についての活気溢れる議論は、先天的または後天的な結論よりも重要なこと引き出した。とっても小さな宇宙を、彼女の瞳に引き出したのだ。彼らのバークレイの分析は善良な主教の元来の弱点を挙げるだけではなく、少女の頬に赤みをさす手助けもした。そして彼らの相対性理論の考察は、Eが一定不変にmcの2乗に等しいこと以上に、知識は邪魔者なんかではなく、女性的魅力を引き出すことを証明した。
その瞬間の雰囲気はずるずると、思った以上に長く続き、マークがベッドに入るときもまだ彼を取り囲んでいた。その時間、彼はアンのことを考えようとすらしなかった。うまくいかないと思ったのだ。そうする代わりに、暗闇の中に横たわり、次々と浮かんでくるものにとにかく思考を任せた。するとどれもこれもが、9月の丘とタンポポ色の髪を持つ少女のことばかりだった。
"おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。"
翌朝、彼は小さな村まで車を走らせ、自分に手紙が届いていないか郵便局へ確認に行った。何も届いていなかったが、別に驚かなかった。ジェフは自分と同じぐらい筆無精だし、アンは今、外部と連絡を取れないのだろう。マークは仕事をしているとき、秘書に、本当に緊急でない限り連絡するなと言っていた。
彼は皺だらけの郵便局長に、この辺りにダンヴァースという一家が住んでいるかを尋ねようか考えた。しかしやめた。ジュリーがせっかく、わざわざ作りあげた関係を壊してしまうことになるし、彼は自分たちのそんな関係を信用に足るものだとは思っていなかったが、崩したいとも思わなかった。
その午後、彼女は髪の毛と同じ黄色い色のドレスを身に纏っており、やはり、彼女を見たときに彼ののどに何かがつまる思いがして、口をきくことができなかった。けれどその瞬間が過ぎ去り言葉が出始めると順調で、二人の思いは活き活きとした小川のように、午後の涸れ谷を陽気に横切っていった。今回、二人が別れるときにこう聞いたのは少女の方だった。「明日はここへいらっしゃるの?」――これは彼の台詞を盗っただけではあるが――その言葉は森を抜けて小屋へ帰る間じゅう、彼の鼓膜で歌い踊り、ベランダでパイプをふかす夜の後には子守唄となり彼を眠りへ導いた。
次の日の午後に彼が丘へ登ったとき、そこには誰もいなかった。最初、彼は何も考えられないほどに失望した。そして彼は考えた。彼女は遅れている、それだけだ。もうすぐ来るだろう。それから彼は花崗岩のベンチに腰を下ろして待つことにした。しかし彼女は来なかった。時間は何分と経ち――何時間と経った。森の影は這うように伸び、丘の途中まで登ってきていた。空気も冷たくなってきた。彼はとうとうあきらめ、みじめな様子で小屋へ向かった。
その次の日の午後も彼女は現れなかった。次の次の日も。彼は食べることも眠ることもままならなかった。釣りはつまらなくなり、読書もできなくなった。その間じゅう彼は自分自身が嫌いだった。失恋した学生のような体たらくの自分が嫌いだった。可愛らしい顔や足に舞い上がる他の40代の馬鹿どもと変わらない自分が嫌いだった。数日前までの彼は妻以外の女性が気になることすらなかったというのに、今や、1週間も経たないうちに、少女が気になるどころか恋に落ちるまでになってしまったのだ。
4日目に丘に登ったとき、マークの希望はすっかり消えていた――しかしふいに、希望は太陽の中に立ったときによみがえった。彼女は今度は黒いドレスを着ていたので、彼は彼女がなぜ来なかったのか理解できたはずだった。けれど彼はわからなかった――丘に登って、彼女の目から涙がこぼれ、唇が震えだすのを見るまでは。「ジュリー、どうしたんだい?」
少女は彼にすがりついた。その肩は震え、彼の上着に顔を押し付けた。「パパが死んじゃったの」彼女は言った。それからどういうわけか、彼は、彼女が葬儀のあいだ涙を流さずにいて、父親が死んでから今ここで初めて泣いたのだと悟った。
彼は彼女に優しく腕を回した。彼は今まで彼女にキスをしたことはなく、このときは・・・軽くしかしなかった。彼の唇は彼女の額を遠慮がちに触れて、少しだけ髪にも触れた。――それだけだった。「かわいそうに、ジュリー」彼は言った。「君にとってお父さんがどれだけ大きな存在だったか、僕にはわかっているよ。」
「パパには自分が長く生きられないことが、ずっと前からわかっていたのよ」彼女が言った。「研究所でストロンチウム90の実験をしていたときから知っていたんだわ。でも誰にも言わなかった――私にさえも・・・もう生きていけないわ。パパがいないなら、生きる意味なんて何もないわ――何も、何も、なんにも!」
彼は少女をきつく抱きしめた。「君は何か見つけるさ、ジュリー。そして誰かを、ね。君はまだ若い。だってまだ子供じゃないか、そうだろう。」
彼女は急に頭をぐいと引き、涙の引いた瞳を彼に向けた。「子供なんかじゃないわ!そんなこと言わないで!」
驚いた彼は彼女を離し、後ずさりした。彼女の怒った顔を初めて見た。「そういう意味では・・・」彼は言いかけた。
彼女の怒りはその唐突さに劣らず、儚いものだった。「私を傷つけようとしたわけじゃないことはわかっているわ、ランドルフさん。でも私は子供ではないわ、本当に、子供なんかではないのよ。もう二度とあんなこと言わないって約束して。」
「わかった」彼は言った。「約束する。」
「もう行かなくちゃ。」彼女は言った。「やることが山ほどあるの。」
「ねえ・・・明日は、ここへ来るかい?」
少女は彼を長い間見つめていた。夏のにわか雨の後の霧のせいで、彼女の青い瞳は輝いていた。「タイムマシンが壊れかけているの」彼女は言った。「取り替えなくてはならない部品があって・・・でも私はどうやればいいのかわからないのよ。私たちの・・・私のタイムマシンはたぶん、あと1回ぐらいなら使えるかもしれないけど、でもそれもわからないわ。」
「でも、来ようとしてはくれるんだよね、そうだろう?」
彼女はうなずいた。「ええ、やってみるわ。それで、ランドルフさん?」
「なんだい、ジュリー?」
「もし来れなかったときのために・・・覚えておいてもらうために言うけど・・・私、あなたを愛してるわ。」
そして彼女は行ってしまった。丘を跳ねるように駆け下り、一瞬で、カエデの木立の中へ消えてしまった。マークの手はパイプに火をつけるとき震えていて、マッチで指を火傷してしまった。その後どうやって小屋へ戻ったのか、夕食を済ませたのか、ベッドへ入ったのか、思い出せない。自分の部屋で目が覚めて、朝キッチンへ行くと水切り台には夕食の後の皿が置いてあったので、それらのことは全て済ませているはずなのだけれど。
彼は皿を洗い、コーヒーを入れた。朝は桟橋のふちで釣りをして過ごし、何も考えないようにつとめた。後で現実に直面するのだ。今は、彼女が彼を愛しているということと、あと数時間後にもう一度ジュリーに会えると思うだけで十分だった。壊れかけたタイムマシンでも、あの小さな村から丘まで彼女を運ぶのに、何の問題もないはずだ。
彼は丘に早めに到着して花崗岩のベンチに座り、少女が森から出てきて丘を登るのを待っていた。自分の動機が早鐘を打つように聞こえてきて、手が震えているのがわかった。"おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。"
彼は待って待って待ち続け、そして少女は来なかった。次の日も来なかった。影が長くなり空気が凍るほどになると、彼は丘を下りカエデの森へ入る。やがて彼は森の中へ続く小道を見つけ、正確に辿り、あの小さな村へ抜けた。小さな郵便局の前に立ち寄り、手紙が届いていないか確認した。皺だらけの郵便局員が何も届いていないと告げた後も、彼は少しの間ぐずぐずと残っていた。「あの・・・この辺りに、ダンヴァースという名前の家がありませんか?」彼はつい口に出してしまった。
郵便局員は首を振った。「聞いたことないね。」
「最近、町でお葬式がありませんでしたか?」
「ここ1年ぐらいはないと思うがね。」
それからというもの、彼は休暇が終わるまで毎日丘に登ったが、心の中では少女が戻ってこないことがわかっていた。彼女はまるで最初から存在しなかったかのように、全く彼の元から消えてしまった。夕方には取り憑かれたように村へ通い、やけになって、郵便局員が勘違いしているという希望を抱いていた。しかしジュリーを思わせるものは何も見つからず、彼女の容貌を通りすがりの人に説明してみても、欲しい情報は何も得られなかった。
10月の始め、彼は街に戻って来た。できる限り、アンとの関係は何も変わっていないように振る舞った。しかし彼女は少し彼を見ただけで、何かが変わったことに気付いているようだった。彼女は何も聞かないけれど、月日が過ぎるにつれて口数が少なくなり、アンの瞳に見えるあの恐れは、日に日に顕著になっていってマークを困惑させた。
彼は、日曜日の午後は田舎までドライブして丘を訪ねる習慣にした。木々はもう黄金色に染まり、空は1ヶ月前よりも青くなっていた。数時間の間、花崗岩のベンチに座り、あの少女が姿を消した所を見つめていた。"おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。"
11月半ばの雨の夜、彼はスーツケースを見つけた。それはアンのもので、偶然見つけたのだった。彼女は町へビンゴをしに行っており、家には彼1人だった。4つほどやかましいテレビ番組を2時間見た後、彼は前の冬に奥へしまったきりのジグソーパズルを思い出した。
何でもいい――どんなものでも構わない――そう思った彼は、ジュリーのことを忘れるため、パズルを取りに屋根裏部屋へ上がった。彼がそのそばに積まれた箱を引っ掻き回して探しているときに、そのスーツケースは棚から落ちてきたのだった。そして床にぶつかりはじかれたように開いた。
彼はスーツケースを拾うためにかがんだ。それは結婚当初借りていた小さなアパートへ彼女が持ってきたものと同じで、彼女が常に鍵をかけて、笑いながら、妻が夫にさえも秘密にしておくべきものが入っているのだと言っていたのを思い出した。鍵は年月を経て錆びており、落ちた衝撃で壊れていた。
ふたを閉めようとして、白いドレスのすそがはみ出ているのに気付き、彼の動きは止まった。その素材はなんとなく見たことがある。これと似た素材を見たのは、そんなに前のことではない――綿菓子と海の泡と、雪を思わせる素材だ。
彼はふたを開け、震える指でドレスを取り出した。その肩の部分をつかみ広げてみると、優しい雪がふわりと部屋に舞っているようだった。そのドレスを長い時間見つめていると、のどに何かがつまるような思いがした。それから優しくドレスをたたみ直し、スーツケースへ戻してふたを閉めた。スーツケースはひさしの下のあるべき所へ戻した。"おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。"
雨は屋根を打ちつける。のどにつまる何かは、今や泣きそうになるほどとても痛かった。ゆっくりと、彼は屋根裏部屋の階段を下りて、螺旋階段からリビングへ入った。暖炉の上の時計は10時14分を告げている。数分のうちにアンの乗ったビンゴバスは彼女を角で降ろし、彼女は通りを歩き、玄関に着くだろう。そしてアンは・・・いや、ジュリーは。ジュリアンだろうか?
それが彼女のフルネームだったろうか?おそらく、そうだろう。人はいつだって、呼び名を決めるときに元の名前の一部を残すものだ。名字を完全に変えることで、彼女は恐らく、名前の方は本名を残しても安全だと考えたのだろう。名前を変えることの他にも色々したのだろう・・・時間警察から逃れるために。彼女がちっとも写真を撮られたがらないはずだ!昔、仕事をもらうためにびくびくしながらマークの事務所を訪ねたときは、どれほど恐い思いであったことだろう!知らない時代に一人ぼっちで、父親の時間の概念は正しいのかもわからず、40歳で彼女を愛してくれるであろう男性は20歳でも同じ気持ちを抱いてくれるのかも、わからないままだったのだ。彼女は自分で言っていた通り、ちゃんと戻ってきたのだった。
"20年間"と、彼は不思議に思った。"ずっと知っていたんだ。9月のある日、俺が丘へ登り、彼女の姿を・・・太陽の中に佇む、若くて、愛らしい姿を見て、そして再び恋に落ちることを。知っていたに決まっている。あれは私の未来であったと同時に、彼女の過去であったのだから。でもなぜ言ってくれなかったんだ?どうして今もなお黙っているんだ?"
彼はふいに理解した。
息が苦しくなり、玄関へ行きレインコートをかぶって雨の中へ飛び出した。土砂降りの中を歩き、彼の顔を雨が強く打ちつけて雫が頬を滴り落ちる。雫は雨だけでなく,涙も混じっていた。アンのように――ジュリーのように――永遠に美しい人が、いったいどうして老いることを恐れるのだろうか。彼の瞳の中では色褪せることがないとわからなかったのだろうか――小さな事務所に立つ彼女を仕事机から見上げると同時に恋に落ちた瞬間から、彼女は1日も老いることはなかったと。だから丘で見た少女が彼には別人に見えたのだと、わからなかったのだろうか?
彼は通りに着き、角まで歩き続けた。彼女を乗せたビンゴバスが止まる頃、彼はそのすぐそばまで来ていた。白いトレンチコートを着た少女が降りてきた。のどにつまった何かはナイフのように鋭く尖り、マークはまったく息ができなくなった。タンポポ色の髪の毛は茶色く落ち着いて、少女らしい魅力はなくなっている。しかし優しげな愛らしさはその穏やかな顔に残っていて、長くほっそりとした脚には上品で均整のとれた美しさが、11月の通りの淡い光に照らされている。9月の太陽の黄金の輝きの中では知り得なかった美しさ。
彼女は彼のところまで歩いてきた。その瞳には、見慣れたあの恐れがあった――その強烈な恐れは忍耐のしるしだった。もう彼にはその原因がわかっている。彼女の姿はかすんでいて、よく見えないまま彼は彼女のもとへ歩いたが、そこへ辿り着いたときには視界ははっきりとしていた。彼は何年もの時を経て彼女に手が届く。雨で濡れた頬に触れた。彼女はそれですべてを悟って、瞳の奥の恐れは永遠に消え去った。彼らは手を取り合い、雨の中を家に向かって歩いていった。
<参考>
THE DANDELION GIRL原文
訳1
訳2
いかがでしたか?
正直、私は、ふぅん・・・って感じでした。笑
ロマンチックで、いい話ではありますけどね。
ビブリアの大輔くんは「読んでよかったと思える内容だった」とだけ感想を述べていて、
これは小説のネタバレを書きたくないからなのでしょうけど、私はリアルにその程度の感想でした。
そもそもタイムトリップものって、辻褄合わせようと考えるとわけわかんなくなっちゃうんで苦手なんです^^;
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>画像 「たんぽぽ娘」イメージ
PSE。
ビブリア3巻に登場し、とても気になっていた小説です。SFです。
3ブロックぐらい先に翻訳文がありますので、スクロールしてお読みください☆↓↓↓
「初対面の主人公に向かって、彼女はこう言うんです」
栞子さんは内緒話をするように、俺に顔を寄せた。間近で見る彼女の瞳は、興奮を物語るように輝いていた。
「『おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた』」
胸がざわっと波打った。本当に自分が丘の上でそう言われた気がする。
「い、いいですね、すごく」
「でしょう。こんな可愛いこと言われたら、好きになってもおかしくないですよね」
と、屈託なく笑った。自分がなにをしているのか分かっていないらしい。
ほら、ほら、ほら!ビブリアもたんぽぽ娘も,読みたくなりましたでしょ?
この小説は「CLANNAD」っていうアニメ(ゲーム?)にも登場しているようですね。
既に出版されている翻訳本は絶版で,これを収録しての発売を予定していた河出書房さんの『奇想コレクション』も、
何年も発売予定のまま、いっこうに出版されない「たんぽぽ娘」。。
モー待ってらんないょ!!!!!
今出してたら、ビブリア効果でかなり売れただろうに。もったいない。
幸い短いので,自分で訳してみました。
素人なので、間違っているところやおかしいところは少なからずあると思います。
それでよければ,引用などはご自由にどうぞ☆でもminacoの名前を出すか、リンクしてくださるとありがたいです(´□`*)ゞ
なお,誤訳など直接ご指摘いただくことは大歓迎です!!!
美しく訳すのって難しいですね!少なくとも話の筋は追えると思います。
お手数ですが、読みやすいようにご自分でウィンドウ幅などを調節なさってください。
では、いってらっしゃいませ。
(*2013年3月1日一部修正)
「たんぽぽ娘」ロバート・F・ヤング、1961年
『ごく一般の中年男であるマークは、妻に急な仕事が入ったため、一人田舎町で休暇を過ごしていた。
ある日、近くの丘まで出かけてみると、そこにはタンポポ色の髪を持つ可愛らしい少女が立っていた。
彼女は未来から来たという。気があった二人は急速に親しくなっていくが、少女は突然姿を消してしまう。
彼女にはある重大な秘密があった・・・』
1
丘に立つその少女は、エドナ・ミレイ(*アメリカの詩人)を思わせた。それは、少女が午後の陽射しの中でタンポポ色の髪を風になびかせていたからかもしれないし、少女が身にまとう白い古風なドレスが、彼女の細く長い足に巻き付いていたからかもしれない。いずれにしてもマークは、彼女が過去からやってきたという、はっきりとした印象を受けた。そしてそれは見当違いなことだった。というのは、実際のところ、彼女は過去からではなく、未来からやってきたのだったから。
丘を登って息をつかせていた彼は、少女の後ろにいくらか距離をとって休んだ。彼女はまだ彼に気付いていなかった。彼は、どうすれば彼女を驚かさずに自分の存在を知らせることができるか考え、考えをまとめるため、パイプに草を詰め、手を丸めてそれをおおいながら火をつけた。もう一度少女を見ると、彼女はこちらを向いて興味深そうにマークを見つめていた。
空がかなり近いことと、顔に当たる風の心地よさを感じながら、マークはゆっくりと少女に向かって歩いていった。もっと散歩をするべきだな、と彼は思った。丘に来るときに彼は森を歩いていたのだが、今は後ろにその木々が広がり、秋のはじまりで暖かく色付いていた。森の向こうには釣り用の桟橋と小屋のある小さな湖が見えている。妻が突然陪審員として招集され、マークはせっかくの夏休みを、2週間一人で寂しく過ごさねばならなくなった。昼間は桟橋で釣りをして、涼しい夜はリビングにある垂木のついた暖炉の前で読書をする。2日間そうして過ごした後、彼は何の気なしに森に出かけて丘を登り、そして少女を見つけたのだった。
少女の瞳は青かった。彼女のほっそりとしたシルエットをふちどる、空のように青かった。顔は卵形で、若く、柔らかく、愛らしい。彼は手をのばし、風が触れるその頬を撫でたい衝動に抗わねばならないほどで、それは強烈なデジャヴであった。手は脇にぴたりとついたままであったが、彼は自分の指先が震えているのを感じた。
"どうした、俺は44歳だぞ。"彼はうろたえた。"それにこの娘はきっと20歳にもなっていない。いったい俺はどうしちまったっていうんだ?”
「景色は気に入ったかい?」彼は少女に聞こえるように問いかけた。
「ええ、とても」彼女は答えて振り返り、興奮気味に腕で半円を描いた。「とっても素晴らしいわ!」
マークは少女の視線を追った。「うん。そうだね」二人の眼下には9月の色を帯びた森が低地まで広がり、離れたところの小さな村を囲んで、郊外の居留地の前まで押し迫っていた。遠くの方では、コーヴ市のぎざぎざした影を和らげる霧のせいで中世の城を思わせて、夢よりも非現実的な景色があった。「君も街から来たのかい?」彼はたずねた。
「ある意味、そうね」彼女は言い、微笑んだ。「私は今から240年後のコーヴ市から来たの。」
その微笑みは、少女は彼が話を信じるとは思っていないことを表していた。しかし彼が信じたふりをすれば素敵だと、暗に言っている。マークは微笑み返した。「だとすると、西暦2201年ということになるね?街はだいぶ大きくなっているだろうね。」
「ええ、そうよ。巨大都市の一部になっていて、全ての道がそこまでつながっているわ。」少女は足元に広がる森を指差した。「2040番通りはあのカエデの森を突き抜けているのよ。」彼女は続けて言った。「あそこのニセアカシアの木立が見えて?」
「ああ。見えるよ。」
「そこに新しいショッピングセンターができているのよ。中にあるスーパーマーケットはとても大きくて、全部見るのに半日かかるぐらい。それに、アスピリンからエアロカーまで、ほとんどのものが揃うんだから。スーパーの隣には、っていうのはあそこのブナの木立の所なんだけど、そこには最先端のデザイナーの作品を取り扱う、大きな洋服店があるわ。今着ている服はちょうど今朝、そこで買ったの。綺麗でしょう?」
綺麗だとすれば、それは彼女が着ているからだ。しかしマークは礼儀正しくその白いドレスを観察した。見たことのない素材でできており、綿菓子と海の泡と雪を合成させたもののような気がした。きっと、ミラクルファイバー製造業者によって造られる合成技術に、もはや限界はないのだ。若い娘のほら話にしたって同じだ。「君はタイムマシンに乗ってここに来たんだね?」彼は少女に言った。
「ええ。父が発明したの。」
マークは彼女を注意深く見つめた。こんなに純粋な表情は今まで見たことがなかった。「ここへはよく来るのかい?」
「あら、そうよ。お気に入りの時代なの。時にはここに何時間も立っていて、ずっとずっと見ているのよ。おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。」
「でも、"昨日"というのはどういうことかな?」マークは聞いた。「いつも同じ時間に戻っているのではないの?」
「あなたの言いたいことは分かるわ。」少女は答えた。「どういうことかっていうとね、タイムマシンは普通のものと同じように時間の経過の影響を受けるのよ。もしきっかり同じ時間に行きたければ、毎回24時間戻して設定しないといけないの。私はそんなことしないわ。だって、違う日に来る方が楽しいもの。」
「お父さんは一緒に来ないのかい?」
頭上でガンの群れがV字の形を作りゆっくりと漂っていたのをしばらく見やってから、少女は「父は病気なの」と言った。「できることなら喜んで一緒に来ると思うわ。」彼女はそこで慌てたように付け足した。「でも、私が見たものを全部教えてあげるから大丈夫。一緒に来るのとほとんど同じよ。そうじゃなくて?」
そう訴える眼差しには、心に響くほどの熱がこもっていた。「絶対そうだよ」マークも熱をこめて言った。「タイムマシンを持っているっていうのは、素敵に違いないね。」
少女はまじめな顔でうなずいた。「美しい草原に立つのが好きな人たちへの贈り物だわ。23世紀には、そんな草原はあまり残っていないの。」
マークは微笑んだ。「20世紀でもそんなにたくさん残っていないよ。かなり貴重なコレクターズアイテムだと考えていいんじゃないかな。僕ももっと遊びに来ないといけない。」
「あなたはこの近くに住んでいるの?」と彼女はたずねた。
「ここから3マイルほどの小屋に泊まっているんだ。休暇のはずなんだけど、どうもちょっと違う感じでね。妻は陪審員で仕事に呼ばれてしまって一緒に来れなかったし。でも休暇を延期できなかったから、ソロー(*アメリカの思想家)を気取るはめになってしまったのさ。僕はマーク・ランドルフ。」
「私はジュリーよ」少女は言った。「ジュリー・ダンヴァース。」
その名前は彼女によく似合っていた。白いドレスも同じように似合っていた。青い空も、この丘と9月の風も似合っていた。恐らくこの少女は、森の中の小さな村にでも住んでいるのだろう、しかしそんなことはどうでもよかった。もし彼女が未来から来たふりをしたいのなら、マークは喜んでそれにつきあうつもりだ。困ったことなのは、彼が最初に少女を見たときの感情であり、彼女を見つめるたびに襲われる愛しさの方であった。「君は何の仕事をしているの、ジュリー?」彼はたずねた。「それともまだ学生かい?」
「秘書になる勉強をしているわ」彼女は言い、小さなステップを踏んでつま先立ち、可愛らしくくるりと回って胸の前で両手を組んだ。「本当に私、秘書になりたいのよ。」彼女は続けた。「大きくて立派なオフィスで働いて、偉い人たちが話すことを記録するのって、とにかく素晴らしいに違いないわ。私を秘書に雇ってみたいかしら、ランドルフさん?」
「もちろんだよ。」彼は言った。「妻は僕の秘書だったことがあってね、戦争前のことだけど・・・。それで僕たちは出会ったのさ。」どうして自分はそんなことを話したのか?彼にはわからなかった。
「奥さんはいい秘書でした?」
「最高だった。彼女を失うのは痛手だったよ。でも、秘書としては失うけれども、別の意味では手に入れるのだものね。だから、失うと言うのはふさわしくないな。」
「ええ、そうね。あら、ランドルフさん、私もう帰らなくてはならないわ。パパが、私が見たものを全部聞きたくて待っているし、夕飯を作らなくちゃ。」
「明日もここへ来るかい?」
「たぶんね。毎日来てるもの。今日のところはさようなら、ランドルフさん。」
「またね、ジュリー。」彼は言った。
マークは少女が軽い足取りで丘をかけ下り、カエデの森に――今から240年後の2040番通りなる所へ――消えるのを眺めていた。44歳の男は笑っていた。なんて可愛らしい女の子だろう、と思った。こんなにもとんでもなく不思議なこと、こんなにも人生をワクワクさせることは、刺激的であるに決まっている。彼は今までその2つを拒否していた分、いっそうありがたく思えた。20歳のとき、マークはロースクールで学ぶ真面目くさった男だった。24歳のとき、彼は自分の業務を持ち、それは小さいものだったが,彼は完全に夢中になった――いや、完全にではなかったけれど。彼がアンと結婚してから少しのあいだ、急いで稼ぐ必要はなくなった。そして、戦争が始まり、もう1つの期間――前のよりもずっと長いもの――があった。収入を得ることが、ときには卑劣な義務にさえ思えたほどに、マークが民間の仕事に戻った後それは大変なものであった。つまり、彼は息子を妻同様に支え、仕事はそれまで以上に忙しくなったのだ。最近は毎年、4週間の休暇――アンと息子のジェフと共にリゾートで過ごす2週間と、ジェフの大学が始まった後に湖のそばの小屋でアンと二人で過ごす2週間――を自分に許しているが。けれども今年はその2つ目の休暇を、一人きりで過ごしていたのだ。まあ、今となっては、一人きりというわけでもないかもしれないが。
パイプは少し前に火が消えていたが、彼はそれに気がついてさえいなかった。火をもう一度つけて、風を受けながら深く吸い込んだ。そして丘を下り、小屋に向かって戻り始めた。すでに秋分は過ぎ、日はかなり短くなっている。辺りはほとんど暗くなっていて、湿った夜がすでに、かすんだ空気の中に広がっていた。
マークはゆっくりと歩き、彼が湖に着く前に太陽は沈んでいた。湖は小さいが深く、森の木々がその淵まで生えていた。小屋は岸から少し行った松林が囲む所にあり、曲がりくねった小道が桟橋へ続いている。その後ろには砂利の車道が高速へ繋がる埃っぽい道へと導いていた。裏口には彼のワゴン車が止めてあり、時がくればマークをすぐに文明社会へ連れ帰るために待っている。
彼は台所で簡単な夕食を作って食べ、読書をしにリビングへ入った。小屋の発電機がブンブンうなっていることを除いては、近代人間が受け継いだうるさい音が邪魔していない静かな夜だった。暖炉の傍の、本がたくさん詰まった棚からアメリカの詩人の作品集を選び出して座った彼は、パラパラとページをめくる指を「丘の上の午後」で止めた。彼は大切にしているその詩を3回読んだが、読む度に少女が陽の光の中に立っている姿が浮かんだ。風になびく髪、長く華奢な足を柔らかな雪のように包み込む白いドレス・・・。彼は何かがぐっと、のどに詰まるような感覚を覚えた。
マークは本を棚に戻し、丸太作りのベランダへ出て、パイプを作って火をつけた。彼は妻であるアンのことを考えようと自分に強いた。アンの顔が脳内を占める――引き締まった、しかし優しいあご。温かく、思いやりのある瞳。そこには彼がどうしても正体がわからない恐れのようなものがあった。静かな柔らかさのある頬、優しい微笑み―。それぞれの特質は彼女の活気に満ちた明るい茶色の髪と背の高さ、しなやかな品の良さによってより強くなった。妻のことを考えるときはいつもそうなのだが、彼女が年をとらないことに――だいぶ昔の朝、マークが見上げ、びっくりさせてしまい、彼の机の前におどおどと立っている姿を見ていた頃――から変わらず、一体どうやって彼女が愛らしいまま年月を重ねてきたのかに、驚くのだった。あれからほんの20年後に、自分の娘ほど歳の離れた,空想好きな少女に会うことを心待ちにすることになるとは、想像もつかないことだった。いや、心待ちになどしていないさ――それほどには。一時の気の迷いだ・・・ただそれだけだ。少しの間、感情のコントロールが利かなくなって、ぐらついていたのだ。今や彼の足はきちんと地についていて、平穏で分別のある世界に戻っていた。マークはパイプをトントンとたたいて灰を出し、小屋の中へ入った。寝室に行き服を脱いで、ベッドにもぐり込み、電気を消した。彼はすぐに眠れる方なのだが、なかなか寝付けなかった。やっと眠くなってきた頃、からかうような夢とともに、ぱらぱらとした断片が彼を襲った。
"おとといは兎を見たわ"と彼女は言った。"きのうは鹿、今日はあなた。"
2
2日目の午後、ジュリーは青いドレスを着ていた。タンポポ色の髪には、結ばれた青いリボンがよく似合っていた。丘を登った後、しばらく彼は立ったまま動かず、のどにつまる何かが過ぎ去るのを待っていた。それから歩いていき、風に吹かれている少女の隣に立った。しかし彼女の首やあごのなだらかな曲線は、例の、のどの違和感を連れ戻し、彼女が振り返って「こんにちは、来てくれるとは思っていなかったわ。」と言ったときには、答えるのにかなりの時間がかかってしまった。
「でも、来たじゃないか。」やっとのことでマークは言った。「君だって。」
「ええ。」彼女は言った。「嬉しいわ。」
近くにある、露出した花崗岩がベンチのような形をしていたので、二人はそこへ座って景色を見渡した。マークはパイプを詰めて火をつけ、風の中に煙を吐いた。「私のパパもパイプを吸うわ。」少女は言った。「火をつけるときにはあなたと同じように、手を丸くしてつけるのよ。たとえ風が吹いていないときでもね。あなたとパパは似ているところがたくさんあるわ。」
「君のお父さんのことを話してくれないか。」マークは言った。「君自身のこともね。」
彼女は話してくれた。自分が21歳であること、父親は政府の物理学者を引退していること、2040番通りの小さなアパートに住んでいること。4年前に母親が亡くなってからずっと、父親のために彼女が家を切り盛りしていること。その後で、マークは彼自身のことと、アンとジェフのことを話した――いつかジェフと共同経営したいと思っていること、アンがカメラ恐怖症であること。結婚式の日に写真を撮られることを彼女がどんなに嫌がったかということ、それからもずっと嫌がっていること、家族3人で去年の夏キャンプに行って素晴らしい時間を過ごしたこと。
彼が話を終えたとき、彼女は言った。「なんて素敵な家族と人生を送っているのでしょう。1961年に暮らすのは素晴らしいに違いないわ!」
「君の持っているタイムマシンでなら、好きなときにここへ来ることができるだろ。」
「そんなに簡単にはいかないわ。パパを一人にしちゃうことを別にしても、時間警察を考慮しないといけないわ。あのね、時間旅行の権利は政府の支援を受けている歴史家のメンバーに限られていて、一般人には禁止されているのよ。」
「問題なくやっているように見えたけれど。」
「パパが自分でタイムマシンを発明したから。時間警察はそのことを知らないの。」
「だけど、それなら君は今も法を破っているということなんだね。」
彼女はうなずいた。「でも時間警察の人たちがそう思うってだけよ。彼らの時間の概念範囲でだけなのよ。私のパパはパパ自身の概念を持っているわ。」
彼女が話すのを聞いているのはとても楽しかった。話している内容はそれほど重要ではなく、嘘みたいな話だろうと何だろうと、とりとめなく話していてほしかった。「その話、聞かせてくれないか。」彼は言った。
「まず、公式の概念についてお話するわね。公式概念を支持する人は、未来から来る人誰一人として、過去で起きるどんなことにも物理的に関わってはいけないと言っています。なぜなら、未来の人の今現在に矛盾が生じてしまうし、それに、未来の出来事はその矛盾に合わせるために、入れ替えられてしまうからよ。その結果、時間旅行省は権限を認められた職員のみがタイムマシンを使えるよう徹底して、もっと素朴な人生を切望したり、永遠にいつでも別の時代へ行けるよう歴史家を偽ったりする時間旅行者を取り締まるための,警察を配備したの。
でも私のパパの概念によれば、時間のシナリオはもう記されているんですって。とっても広い視野で見ると、パパが言うには、起ころうとしている全てのものは、すでに起こっているのよ。だから、もし未来からやって来た人が過去の出来事に関わったら、その人はその出来事の関係者になるってことなの――それに関わったという単純な理由でね――というわけで、矛盾が生じるわけがないんだわ。」
マークはパイプが欲しくなり、深く一服した。「君のお父さんはとても面白い人のようだね。」彼は言った。
「あら、そうなのよ!」熱で彼女の頬がピンク色に染まり、瞳の青い色を輝かせた。「あなたはパパが読んだ本の数を信じられないと思うわ、ランドルフさん。もう、私たちのアパートは本で破裂しそうよ!ヘーゲル、カント、ヒューム、アインシュタイン、ニュートンにヴァイツゼッカー。私も・・・私だって、いくつか読んだわ。」
「僕も同じぐらい持っているよ。僕も読んだ。」
少女はうっとりと彼の顔を見つめた。「なんて素晴らしいの、ランドルフさん。」彼女は言った。「私、かけてもいいわ!私たちは本当に趣味が合うって。」
続いて起こった会話は、そのことを決定的に裏付けた――超越論的審美学、バークレイアニズムと相対性理論は、9月の丘の上で中年の男と少女が議論するには、およそふさわしくない話題だったと、彼は間もなく考えた。まして男は44歳で少女は21なのだ。しかし幸運なことに、そこには補うものがあった。彼らの超越論的審美学についての活気溢れる議論は、先天的または後天的な結論よりも重要なこと引き出した。とっても小さな宇宙を、彼女の瞳に引き出したのだ。彼らのバークレイの分析は善良な主教の元来の弱点を挙げるだけではなく、少女の頬に赤みをさす手助けもした。そして彼らの相対性理論の考察は、Eが一定不変にmcの2乗に等しいこと以上に、知識は邪魔者なんかではなく、女性的魅力を引き出すことを証明した。
その瞬間の雰囲気はずるずると、思った以上に長く続き、マークがベッドに入るときもまだ彼を取り囲んでいた。その時間、彼はアンのことを考えようとすらしなかった。うまくいかないと思ったのだ。そうする代わりに、暗闇の中に横たわり、次々と浮かんでくるものにとにかく思考を任せた。するとどれもこれもが、9月の丘とタンポポ色の髪を持つ少女のことばかりだった。
"おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。"
翌朝、彼は小さな村まで車を走らせ、自分に手紙が届いていないか郵便局へ確認に行った。何も届いていなかったが、別に驚かなかった。ジェフは自分と同じぐらい筆無精だし、アンは今、外部と連絡を取れないのだろう。マークは仕事をしているとき、秘書に、本当に緊急でない限り連絡するなと言っていた。
彼は皺だらけの郵便局長に、この辺りにダンヴァースという一家が住んでいるかを尋ねようか考えた。しかしやめた。ジュリーがせっかく、わざわざ作りあげた関係を壊してしまうことになるし、彼は自分たちのそんな関係を信用に足るものだとは思っていなかったが、崩したいとも思わなかった。
その午後、彼女は髪の毛と同じ黄色い色のドレスを身に纏っており、やはり、彼女を見たときに彼ののどに何かがつまる思いがして、口をきくことができなかった。けれどその瞬間が過ぎ去り言葉が出始めると順調で、二人の思いは活き活きとした小川のように、午後の涸れ谷を陽気に横切っていった。今回、二人が別れるときにこう聞いたのは少女の方だった。「明日はここへいらっしゃるの?」――これは彼の台詞を盗っただけではあるが――その言葉は森を抜けて小屋へ帰る間じゅう、彼の鼓膜で歌い踊り、ベランダでパイプをふかす夜の後には子守唄となり彼を眠りへ導いた。
次の日の午後に彼が丘へ登ったとき、そこには誰もいなかった。最初、彼は何も考えられないほどに失望した。そして彼は考えた。彼女は遅れている、それだけだ。もうすぐ来るだろう。それから彼は花崗岩のベンチに腰を下ろして待つことにした。しかし彼女は来なかった。時間は何分と経ち――何時間と経った。森の影は這うように伸び、丘の途中まで登ってきていた。空気も冷たくなってきた。彼はとうとうあきらめ、みじめな様子で小屋へ向かった。
その次の日の午後も彼女は現れなかった。次の次の日も。彼は食べることも眠ることもままならなかった。釣りはつまらなくなり、読書もできなくなった。その間じゅう彼は自分自身が嫌いだった。失恋した学生のような体たらくの自分が嫌いだった。可愛らしい顔や足に舞い上がる他の40代の馬鹿どもと変わらない自分が嫌いだった。数日前までの彼は妻以外の女性が気になることすらなかったというのに、今や、1週間も経たないうちに、少女が気になるどころか恋に落ちるまでになってしまったのだ。
4日目に丘に登ったとき、マークの希望はすっかり消えていた――しかしふいに、希望は太陽の中に立ったときによみがえった。彼女は今度は黒いドレスを着ていたので、彼は彼女がなぜ来なかったのか理解できたはずだった。けれど彼はわからなかった――丘に登って、彼女の目から涙がこぼれ、唇が震えだすのを見るまでは。「ジュリー、どうしたんだい?」
少女は彼にすがりついた。その肩は震え、彼の上着に顔を押し付けた。「パパが死んじゃったの」彼女は言った。それからどういうわけか、彼は、彼女が葬儀のあいだ涙を流さずにいて、父親が死んでから今ここで初めて泣いたのだと悟った。
彼は彼女に優しく腕を回した。彼は今まで彼女にキスをしたことはなく、このときは・・・軽くしかしなかった。彼の唇は彼女の額を遠慮がちに触れて、少しだけ髪にも触れた。――それだけだった。「かわいそうに、ジュリー」彼は言った。「君にとってお父さんがどれだけ大きな存在だったか、僕にはわかっているよ。」
「パパには自分が長く生きられないことが、ずっと前からわかっていたのよ」彼女が言った。「研究所でストロンチウム90の実験をしていたときから知っていたんだわ。でも誰にも言わなかった――私にさえも・・・もう生きていけないわ。パパがいないなら、生きる意味なんて何もないわ――何も、何も、なんにも!」
彼は少女をきつく抱きしめた。「君は何か見つけるさ、ジュリー。そして誰かを、ね。君はまだ若い。だってまだ子供じゃないか、そうだろう。」
彼女は急に頭をぐいと引き、涙の引いた瞳を彼に向けた。「子供なんかじゃないわ!そんなこと言わないで!」
驚いた彼は彼女を離し、後ずさりした。彼女の怒った顔を初めて見た。「そういう意味では・・・」彼は言いかけた。
彼女の怒りはその唐突さに劣らず、儚いものだった。「私を傷つけようとしたわけじゃないことはわかっているわ、ランドルフさん。でも私は子供ではないわ、本当に、子供なんかではないのよ。もう二度とあんなこと言わないって約束して。」
「わかった」彼は言った。「約束する。」
「もう行かなくちゃ。」彼女は言った。「やることが山ほどあるの。」
「ねえ・・・明日は、ここへ来るかい?」
少女は彼を長い間見つめていた。夏のにわか雨の後の霧のせいで、彼女の青い瞳は輝いていた。「タイムマシンが壊れかけているの」彼女は言った。「取り替えなくてはならない部品があって・・・でも私はどうやればいいのかわからないのよ。私たちの・・・私のタイムマシンはたぶん、あと1回ぐらいなら使えるかもしれないけど、でもそれもわからないわ。」
「でも、来ようとしてはくれるんだよね、そうだろう?」
彼女はうなずいた。「ええ、やってみるわ。それで、ランドルフさん?」
「なんだい、ジュリー?」
「もし来れなかったときのために・・・覚えておいてもらうために言うけど・・・私、あなたを愛してるわ。」
そして彼女は行ってしまった。丘を跳ねるように駆け下り、一瞬で、カエデの木立の中へ消えてしまった。マークの手はパイプに火をつけるとき震えていて、マッチで指を火傷してしまった。その後どうやって小屋へ戻ったのか、夕食を済ませたのか、ベッドへ入ったのか、思い出せない。自分の部屋で目が覚めて、朝キッチンへ行くと水切り台には夕食の後の皿が置いてあったので、それらのことは全て済ませているはずなのだけれど。
彼は皿を洗い、コーヒーを入れた。朝は桟橋のふちで釣りをして過ごし、何も考えないようにつとめた。後で現実に直面するのだ。今は、彼女が彼を愛しているということと、あと数時間後にもう一度ジュリーに会えると思うだけで十分だった。壊れかけたタイムマシンでも、あの小さな村から丘まで彼女を運ぶのに、何の問題もないはずだ。
彼は丘に早めに到着して花崗岩のベンチに座り、少女が森から出てきて丘を登るのを待っていた。自分の動機が早鐘を打つように聞こえてきて、手が震えているのがわかった。"おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。"
彼は待って待って待ち続け、そして少女は来なかった。次の日も来なかった。影が長くなり空気が凍るほどになると、彼は丘を下りカエデの森へ入る。やがて彼は森の中へ続く小道を見つけ、正確に辿り、あの小さな村へ抜けた。小さな郵便局の前に立ち寄り、手紙が届いていないか確認した。皺だらけの郵便局員が何も届いていないと告げた後も、彼は少しの間ぐずぐずと残っていた。「あの・・・この辺りに、ダンヴァースという名前の家がありませんか?」彼はつい口に出してしまった。
郵便局員は首を振った。「聞いたことないね。」
「最近、町でお葬式がありませんでしたか?」
「ここ1年ぐらいはないと思うがね。」
それからというもの、彼は休暇が終わるまで毎日丘に登ったが、心の中では少女が戻ってこないことがわかっていた。彼女はまるで最初から存在しなかったかのように、全く彼の元から消えてしまった。夕方には取り憑かれたように村へ通い、やけになって、郵便局員が勘違いしているという希望を抱いていた。しかしジュリーを思わせるものは何も見つからず、彼女の容貌を通りすがりの人に説明してみても、欲しい情報は何も得られなかった。
10月の始め、彼は街に戻って来た。できる限り、アンとの関係は何も変わっていないように振る舞った。しかし彼女は少し彼を見ただけで、何かが変わったことに気付いているようだった。彼女は何も聞かないけれど、月日が過ぎるにつれて口数が少なくなり、アンの瞳に見えるあの恐れは、日に日に顕著になっていってマークを困惑させた。
彼は、日曜日の午後は田舎までドライブして丘を訪ねる習慣にした。木々はもう黄金色に染まり、空は1ヶ月前よりも青くなっていた。数時間の間、花崗岩のベンチに座り、あの少女が姿を消した所を見つめていた。"おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。"
11月半ばの雨の夜、彼はスーツケースを見つけた。それはアンのもので、偶然見つけたのだった。彼女は町へビンゴをしに行っており、家には彼1人だった。4つほどやかましいテレビ番組を2時間見た後、彼は前の冬に奥へしまったきりのジグソーパズルを思い出した。
何でもいい――どんなものでも構わない――そう思った彼は、ジュリーのことを忘れるため、パズルを取りに屋根裏部屋へ上がった。彼がそのそばに積まれた箱を引っ掻き回して探しているときに、そのスーツケースは棚から落ちてきたのだった。そして床にぶつかりはじかれたように開いた。
彼はスーツケースを拾うためにかがんだ。それは結婚当初借りていた小さなアパートへ彼女が持ってきたものと同じで、彼女が常に鍵をかけて、笑いながら、妻が夫にさえも秘密にしておくべきものが入っているのだと言っていたのを思い出した。鍵は年月を経て錆びており、落ちた衝撃で壊れていた。
ふたを閉めようとして、白いドレスのすそがはみ出ているのに気付き、彼の動きは止まった。その素材はなんとなく見たことがある。これと似た素材を見たのは、そんなに前のことではない――綿菓子と海の泡と、雪を思わせる素材だ。
彼はふたを開け、震える指でドレスを取り出した。その肩の部分をつかみ広げてみると、優しい雪がふわりと部屋に舞っているようだった。そのドレスを長い時間見つめていると、のどに何かがつまるような思いがした。それから優しくドレスをたたみ直し、スーツケースへ戻してふたを閉めた。スーツケースはひさしの下のあるべき所へ戻した。"おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。"
雨は屋根を打ちつける。のどにつまる何かは、今や泣きそうになるほどとても痛かった。ゆっくりと、彼は屋根裏部屋の階段を下りて、螺旋階段からリビングへ入った。暖炉の上の時計は10時14分を告げている。数分のうちにアンの乗ったビンゴバスは彼女を角で降ろし、彼女は通りを歩き、玄関に着くだろう。そしてアンは・・・いや、ジュリーは。ジュリアンだろうか?
それが彼女のフルネームだったろうか?おそらく、そうだろう。人はいつだって、呼び名を決めるときに元の名前の一部を残すものだ。名字を完全に変えることで、彼女は恐らく、名前の方は本名を残しても安全だと考えたのだろう。名前を変えることの他にも色々したのだろう・・・時間警察から逃れるために。彼女がちっとも写真を撮られたがらないはずだ!昔、仕事をもらうためにびくびくしながらマークの事務所を訪ねたときは、どれほど恐い思いであったことだろう!知らない時代に一人ぼっちで、父親の時間の概念は正しいのかもわからず、40歳で彼女を愛してくれるであろう男性は20歳でも同じ気持ちを抱いてくれるのかも、わからないままだったのだ。彼女は自分で言っていた通り、ちゃんと戻ってきたのだった。
"20年間"と、彼は不思議に思った。"ずっと知っていたんだ。9月のある日、俺が丘へ登り、彼女の姿を・・・太陽の中に佇む、若くて、愛らしい姿を見て、そして再び恋に落ちることを。知っていたに決まっている。あれは私の未来であったと同時に、彼女の過去であったのだから。でもなぜ言ってくれなかったんだ?どうして今もなお黙っているんだ?"
彼はふいに理解した。
息が苦しくなり、玄関へ行きレインコートをかぶって雨の中へ飛び出した。土砂降りの中を歩き、彼の顔を雨が強く打ちつけて雫が頬を滴り落ちる。雫は雨だけでなく,涙も混じっていた。アンのように――ジュリーのように――永遠に美しい人が、いったいどうして老いることを恐れるのだろうか。彼の瞳の中では色褪せることがないとわからなかったのだろうか――小さな事務所に立つ彼女を仕事机から見上げると同時に恋に落ちた瞬間から、彼女は1日も老いることはなかったと。だから丘で見た少女が彼には別人に見えたのだと、わからなかったのだろうか?
彼は通りに着き、角まで歩き続けた。彼女を乗せたビンゴバスが止まる頃、彼はそのすぐそばまで来ていた。白いトレンチコートを着た少女が降りてきた。のどにつまった何かはナイフのように鋭く尖り、マークはまったく息ができなくなった。タンポポ色の髪の毛は茶色く落ち着いて、少女らしい魅力はなくなっている。しかし優しげな愛らしさはその穏やかな顔に残っていて、長くほっそりとした脚には上品で均整のとれた美しさが、11月の通りの淡い光に照らされている。9月の太陽の黄金の輝きの中では知り得なかった美しさ。
彼女は彼のところまで歩いてきた。その瞳には、見慣れたあの恐れがあった――その強烈な恐れは忍耐のしるしだった。もう彼にはその原因がわかっている。彼女の姿はかすんでいて、よく見えないまま彼は彼女のもとへ歩いたが、そこへ辿り着いたときには視界ははっきりとしていた。彼は何年もの時を経て彼女に手が届く。雨で濡れた頬に触れた。彼女はそれですべてを悟って、瞳の奥の恐れは永遠に消え去った。彼らは手を取り合い、雨の中を家に向かって歩いていった。
<参考>
THE DANDELION GIRL原文
訳1
訳2
いかがでしたか?
正直、私は、ふぅん・・・って感じでした。笑
ロマンチックで、いい話ではありますけどね。
ビブリアの大輔くんは「読んでよかったと思える内容だった」とだけ感想を述べていて、
これは小説のネタバレを書きたくないからなのでしょうけど、私はリアルにその程度の感想でした。
そもそもタイムトリップものって、辻褄合わせようと考えるとわけわかんなくなっちゃうんで苦手なんです^^;
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>画像 「たんぽぽ娘」イメージ
PSE。
そうですねー、自分も最近影響受けて小説読むようになりましたがH.G.ウエルズやジュール・ベルヌばかりです苦笑
最後に「あ、なるほど、そういうことか!」となるのが楽しいです^^
タイムトラベル物はw
しかし、これだけスムーズに訳せるとはさすがminacoさん。真似できない能力^^;
タイムトラベルは面白いんだけど、「あのときのこの人はこの事実を知らなくて、でも今は知ってて、ってことはあのときも・・・」とかなんとか考えてしまうと、ごっちゃになります。笑
これは短いし難しい所ほとんどない(といっても数か所は既存の訳を参考にしました。)ので、英語が嫌いじゃなければ訳せるレベルです。
ほっこりしたいにでも読んでみてください^^b
ありがとうございました。
はじめまして。
お役に立てて、大変嬉しいです!!!
私もこれは「読まずにはいられない!」と思いまして*^^*
訳していて、「おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた。」のとこに来たときは、かなり興奮しました。笑
感想は、やはりそんな感じでしたか。笑
失礼ながら、ひろさんと気が合ったつもりで喜んでいます。笑
でも読まないことにはスッキリしませんものね^^
世に出ている翻訳がないものかとネットを探しまわっていたときには「たんぽぽ娘」のファンの方が(ビブリア関係なしでも)たくさんいらっしゃるのを知って驚きました。
こちらこそ、ありがとうございました
コメントとても嬉しかったです。
ビブリア4巻も楽しみですね!!
はじめまして。
お役に立てて嬉しいです!!!
訳してよかったです
こちらこそ、コメントありがとうございました
ビブリアの中で、結末をこの本だけは書いてないのは、理由がある気がする。(大筋で見当はついてましたが、わかって非常に嬉しいです)
栞子さんのお母さんもかなり深刻な写真嫌いです。栞子さんと瓜二つだという表現もかなり頻繁に出てきます…たんぽぽ娘の結末を書かないことと関係はあるのか?
先が楽しみで、そして怖いです。大輔くんと栞子さんが今や大好きなので。
本当にありがとうございました!
お役に立ててよかったです!
こちらこそ、コメントありがとうございます^^
そうですね、わかりやすいですが意味深な結末ですよね。
た、たしかに・・・照らし合わせるとビブリアとの共通点が多いですね・・・
ミムラねえさん様のご感想や、他の「たんぽぽ娘」を知ってビブリアを読んだ方が「こう使うとは!うまい!」などとおっしゃっているのを見ると、私の知らない観方があって楽しいです^^
ビブリアの先は私も楽しみで少し怖いです。
ハッピーエンドでなくてもいいから、色々と崩れずに終わってほしいな~なんてw
ではでは、
興味深いコメントどうもありがとうございました!!
創元社のJメリル編、年間SF傑作選にあったような記憶です。そのときのメリルは、タイムトラベル初の恋愛小説のように紹介していたようです。記憶も時の彼方になってしまいました。
冒頭、当時の翻訳では絵画のミレーだと思っていました。かってな思い込みですが、解決しました。ありがとうございます。
はじめまして。コメントありがとうございます!
「たんぽぽ娘」を前からご存知の方なんですね。
色々と思い出も持っていらっしゃるかと思いますが、そんな方に懐かしんでいただけて光栄です!
”タイムトラベル初の恋愛小説”ですか。それは話題になりそうですね。笑
確かにSFというより恋愛モノという方がふさわしいような物語ですよね。
エドナ・ミレイは原文では「Edna St. Vincent Millay」と綴られています。
こちらで検索すると、画像付きのウィキへ飛べますよ^^
リンク先のブログを拝見しましたが、本日お誕生日なのでしょうか。
おめでとうございます