おいでよ!ホルン村

ホルンのこと、最近の出来事、今日の出来事等、臨機応変なブログ

苦い思い出・・ヒンデミット

2010-07-21 | 日記

こんばんは。ホルン村です。

今日のお題は「苦い思い出・・ヒンデミット」です。

ホルンソナタ関係を「サクサク」・・と検索していたら・・「ヒンデミット」という名前が出てきたのです。「お久し振り」と言う感じで進んでいくと、この曲にたどり着きました。・・「ヒンデミット・・ホルンソナタ」。(例の●●のソナタではありません)

思い起こせば、38年前・・・ある音大を受験したのですが、その時のホルン科の課題曲がこの「ヒンデミット・・ホルンソナタ」だったのです。

その時の私は、北見市から札幌に毎週土曜の午後(その時はゆとり教育ではなかった!!)国鉄「国鉄民営化・・日本国有鉄道(国鉄)をJR(Japan Railway)として6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社などに分割し民営化したもの)・・どう?・・勉強になった?」の急行に乗り、当時の札響の先生・・吉田氏(大阪出身)に師事していました。

毎週がひたすら「コーポラッシュ」のNO.●~●でした。課題曲に入ったのは(部分的に)受験の2ヶ月前くらいだったと思います。
札幌市の堺川の山の斜面に建っている、素晴らしく「ボロイ」平屋の1軒屋(当時は周りに家はあまりなかった)で夏は窓を開けているので(網戸がない)、カメ虫が異常に電灯に飛んできて、先生は人(私)が一生懸命「コーポラッシュ」のNO.●~●を吹いているのに、一生懸命、長い着火ライターで「火あぶりの刑」に処していました。

いざ受験、ホルン科のトップバッターで演奏室へ・・小体育館のようなところに、テレビでしか見たことがなかった、N響の金管の方達(確か5~6人だったと思います)が椅子に座ってました。憧れていた故千葉馨氏がそばまで来て「G-durの音階2オクターブ吹いてください」・・と言われました。もうその時、私はすでに「ひざが笑っていました
そして課題曲「ヒンデミット」・・「何小節目から何小説目まで・・」と言われた記憶はあるのですが、それ以降の記憶が部分的に抜け落ちています。どのように吹いたのか?・・。

その他、ピアノ(課題曲バッハのフーガの中から1曲選択)、新曲視唱(譜面を渡されすぐ階名で唄う)、聴音(これが苦手だった)和声楽・・。

結果は現在の私

まぁ、それでも現在の私がいて、仲間もいます。幸せです。

★ヒンデミット・・ホルンソナタ・・神様・・デニス・ブレイン氏







これです。その時は「どうして?この曲が課題曲?」・・と思いました。